野根乙乙地区は東洋町役場の西南西約4kmのところですが、大きく山を迂回して行きます
東洋町役場前から国道55号線(土佐東街)に出て南へ
道成に約3.4kmの野根川の橋の手前を右(北西)へ、国道493号線です
約2.9kmで斜め左(北西)へ、山の裾野を巻くように農道を進みます
約600mで、道路左に東向きの参道で春日神社が鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
境内入口の石燈籠の間から入ります
手水舎です
手水舎の西側に目的のスギです
説明版です
春日神社の大杉
1、樹令 約1000年
2、胸高直径 250cm(幹周7.8m)
3、樹高 45m
(昭和43年3月5日東洋町文化財天然記念樹指定)
当春日神社は宝永年間(AC1704)に奈良の春日大社より分社され、その後300年の永きにわたり名留川部落の「守り神」として多くの氏子により崇拝され続けて来た。
境内に聳える4本の巨杉は何れも樹令1000年を数え、競って天空に枝を張り樹勢は益々旺盛である。
高知県緑化推進委員会・東洋町教育委員会
保存管理者 名留川部落
鳥居です
北東側から、太い注連縄が北側のスギと繋がっています
北西側から、幹の先端が折れています
西側から
北側の一本を南西側から
南側から二本を見ました
拝殿です
本殿です
もう一枚説明版です
春日神社の大杉・春日神社の流鏑馬
*大杉の内容は同上です
春日神社の流鏑馬神事(平成20年11月11日東洋町無形民俗文化財指定)
流鏑馬は鎌倉時代から始まった神社への奉納神事である。
走っている馬の上から矢を射るのは、県内では野根八幡宮と春日神社だけの貴重な伝統行事。
一時期途絶えたこともあったが、平成3年流鏑馬保存協議会が組織され復活し現在に至っている。
では、次へ行きましょう
2024・6・11・15・55
東洋町役場前から国道55号線(土佐東街)に出て南へ
道成に約3.4kmの野根川の橋の手前を右(北西)へ、国道493号線です
約2.9kmで斜め左(北西)へ、山の裾野を巻くように農道を進みます
約600mで、道路左に東向きの参道で春日神社が鎮座します
道路脇に車を止めさせて頂きました
境内入口の石燈籠の間から入ります
手水舎です
手水舎の西側に目的のスギです
説明版です
春日神社の大杉
1、樹令 約1000年
2、胸高直径 250cm(幹周7.8m)
3、樹高 45m
(昭和43年3月5日東洋町文化財天然記念樹指定)
当春日神社は宝永年間(AC1704)に奈良の春日大社より分社され、その後300年の永きにわたり名留川部落の「守り神」として多くの氏子により崇拝され続けて来た。
境内に聳える4本の巨杉は何れも樹令1000年を数え、競って天空に枝を張り樹勢は益々旺盛である。
高知県緑化推進委員会・東洋町教育委員会
保存管理者 名留川部落
鳥居です
北東側から、太い注連縄が北側のスギと繋がっています
北西側から、幹の先端が折れています
西側から
北側の一本を南西側から
南側から二本を見ました
拝殿です
本殿です
もう一枚説明版です
春日神社の大杉・春日神社の流鏑馬
*大杉の内容は同上です
春日神社の流鏑馬神事(平成20年11月11日東洋町無形民俗文化財指定)
流鏑馬は鎌倉時代から始まった神社への奉納神事である。
走っている馬の上から矢を射るのは、県内では野根八幡宮と春日神社だけの貴重な伝統行事。
一時期途絶えたこともあったが、平成3年流鏑馬保存協議会が組織され復活し現在に至っている。
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