蒲郡市は、1954年(昭和29年)4月1日、愛知県で15番目の市として市制施行さました。市名は、蒲形村と西之郡村(現在の市中心部)から一文字ずつ取った合成地名です。渥美半島と知多半島に囲まれた温暖な気候であり、沿岸一帯が三河湾国定公園に指定されています。
又市内の町名は、旧蒲郡町・三谷町・塩津村の区域では市制施行時に、旧大塚村・形原町・西浦町の区域では蒲郡市編入とともにそれぞれ町名が設置されている。
相楽町上ミ地区は、蒲郡市役所の東約8kmのところ
市役所前から県道383号線を東へ、三谷町伊与戸信号で国道247号線に合流して更に南東へ
大塚鎌倉信号を左(北)へ相良ヒメハルロードです、道成りに進んで丁字路を右(北東)へ
坂道を登って行くと、墓地の先に養圓寺の案内板が有りますので従って右へ
間も無く養圓寺山門前の駐車場に車を止めることが出来ました
南東向きに山門です
寶國山 養圓寺です
道路脇に説明版です
寺社ー4養円寺 自然ー5養円寺のヒノキ 自然ー6養円寺のヤマモモ 寺社ー7相良の庚申堂
養円寺
宝国山養円寺は、源頼朝ゆかりの三河七御堂の一つ・全福寺の僧院として天授元年(1375)に創建された。
文明2年(1470)戦火で焼失したが、文禄4年(1595)に再建された曹洞宗の古寺である。
本尊は、釈迦牟尼如来座像である。
養円寺のヒノキ
樹高24m・樹齢約500年の巨木。主幹が地表部分から二つに分かれてているところから「夫婦ヒノキ」とも呼ばれている。
養円寺のヤマモモ
樹高15m・目通り2.6m。幹に空洞がある老木大木。雌株で樹の勢いや枝ぶりもよく、夏には赤い球形の実をいっぱいつける。
相良の庚申堂
ここより北東約150mの小高い丘にある約13㎡程の古いお堂。
堂内には青面金剛像が安置されていて、春・秋の「庚申」の日にはお祭りもあったが今は現存していません。
大塚・相良ふるさと博物館
山門を潜ると参道右手の石垣の上に目的のヒノキです
境内に上がって南側から
蒲郡の名木50選3の案内板ですが半分に割れてしまっています
幹周3.70m(太幹)・2.73m(細幹) 根回り7.21m(全体)の巨木です
参道左の境内にヤマモモです、幹周2.76m 根回り3.86mです
本堂前から見ました
ヒノキです
本堂です
本堂の左軒下に梵鐘が有ります
では、次へ行きましょう
又市内の町名は、旧蒲郡町・三谷町・塩津村の区域では市制施行時に、旧大塚村・形原町・西浦町の区域では蒲郡市編入とともにそれぞれ町名が設置されている。
相楽町上ミ地区は、蒲郡市役所の東約8kmのところ
市役所前から県道383号線を東へ、三谷町伊与戸信号で国道247号線に合流して更に南東へ
大塚鎌倉信号を左(北)へ相良ヒメハルロードです、道成りに進んで丁字路を右(北東)へ
坂道を登って行くと、墓地の先に養圓寺の案内板が有りますので従って右へ
間も無く養圓寺山門前の駐車場に車を止めることが出来ました
南東向きに山門です
寶國山 養圓寺です
道路脇に説明版です
寺社ー4養円寺 自然ー5養円寺のヒノキ 自然ー6養円寺のヤマモモ 寺社ー7相良の庚申堂
養円寺
宝国山養円寺は、源頼朝ゆかりの三河七御堂の一つ・全福寺の僧院として天授元年(1375)に創建された。
文明2年(1470)戦火で焼失したが、文禄4年(1595)に再建された曹洞宗の古寺である。
本尊は、釈迦牟尼如来座像である。
養円寺のヒノキ
樹高24m・樹齢約500年の巨木。主幹が地表部分から二つに分かれてているところから「夫婦ヒノキ」とも呼ばれている。
養円寺のヤマモモ
樹高15m・目通り2.6m。幹に空洞がある老木大木。雌株で樹の勢いや枝ぶりもよく、夏には赤い球形の実をいっぱいつける。
相良の庚申堂
ここより北東約150mの小高い丘にある約13㎡程の古いお堂。
堂内には青面金剛像が安置されていて、春・秋の「庚申」の日にはお祭りもあったが今は現存していません。
大塚・相良ふるさと博物館
山門を潜ると参道右手の石垣の上に目的のヒノキです
境内に上がって南側から
蒲郡の名木50選3の案内板ですが半分に割れてしまっています
幹周3.70m(太幹)・2.73m(細幹) 根回り7.21m(全体)の巨木です
参道左の境内にヤマモモです、幹周2.76m 根回り3.86mです
本堂前から見ました
ヒノキです
本堂です
本堂の左軒下に梵鐘が有ります
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