ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県飯田市、追手町2丁目「飯田城桜丸のイスノキ(県指定)とヒガンザクラ(夫婦桜)」です!!

2024-05-25 12:30:47 | 巨樹・大木
 追手町2丁目は、飯田市役所の東南東約1.5kmのところ

 飯田市役所を北側に出て「市役所前」信号を北東へ、国道256号線を進みます

 約100m二つ目の「本町2・3丁目」信号を右(南東)へ、約500mの「追手町小学校」信号を左へ入って

 直ぐ右の飯田合同庁舎の駐車場に車を止めさせて頂きました

 飯田城(長姫城)跡・周辺案内図です

 飯田図書館の通路から入ると、飯田城桜丸御門(赤門)です、後ろ側の建物が合同庁舎です

 飯田市有形文化財 飯田城桜丸御門(通称赤門)の標柱です

 赤門の説明石碑です
    長姫城遺構 赤門
       長野県知事 吉村午良
 赤門は長姫城桜丸の門で、宝暦4年4月(1754年)に上棟された。
 本丸は町から遠く不便なので桜丸で政務をとったといわれる。
 入母屋造りで瓦葺、鬼瓦には堀氏の家紋「向梅」が使われている。
 平面は二本の鏡柱と控柱とで構成され、潜戸を設けてある。
 明治になり、飯田県・筑摩県飯田支庁・下伊那郡役所・地方事務所等の郡衙の正門として使われてきた。

 桜丸内側から見ました

 門から東側(合同庁舎車庫前)に進むと、目的のイスノキです

 北側から

 「長野県天然記念物  飯田城桜丸のイスノキ」の標柱です

 説明版です
    長野県天然記念物  飯田城桜丸のイスノキ
       平成26年9月25日指定
       高さ約12m、目通り周約2.3m
 イスノキはマンサク科に属する暖帯系の常緑高木で、樹皮は灰褐色、葉は厚く長楕円形です。
 伊豆以西、東海、山陽、四国、九州、琉球列島に分布し、長野県内での自生は知られていません。
 葉に生じる虫こぶが染料に用いられるほか、堅くて重い材は床・柱・机・櫛・そろばん玉などに、椅灰(いすばい)は陶磁器の釉薬に、と多用途に用いられ、庭園樹として近世の大名庭園や御所などに植えられています。
 この樹のある桜丸は、脇坂氏初代安元が二代安政を養子に迎えるため御殿を建てた曲輪で、多くの桜を植えたため名づけられたといわれています。
 堀氏時代は若殿や隠居の御殿として使われ、1855年(安政2)の大地震で本丸御殿が大破した後はここで藩主が政務を執っています。
 桜丸御殿の図(明治4年頃)にはイスノキを臨む位置に「御座之間」、「御茶屋」や「青霞楼」と呼ばれる建物が描かれており、桜丸が藩主や一門の、個人的で非公式な生活の場として利用されたことがうかがわれます。
 自生地の北限を越えた寒冷地の長野県でこのような巨木が今日まで伝えられてきたのは、飯田城主ばかりではなく、地域の人々によって大切に守られてきたことを示しています。
 城下町飯田の歴史と文化を象徴する樹木といえます。
     信州地域振興局

 東側から

 すぐ北側には「ヒガンザクラ(夫婦桜)」です

 西側から、多くの支柱に支えられています

 北西側から

 説明版です
    桜丸御殿址のヒガンザクラ
       品種 エドヒガン、シダレザクラ
       推定樹齢400年、根元周囲8.2m、樹高12m
 1本にも見えるがエドヒガンとシダレザクラが合体しており、あたかも1本の木が花を咲き分けているようである。
 この地には飯田城本丸御殿の別棟として桜丸御殿が建てられ、庭園には藩主脇坂氏時代(1615~1672年)多くの桜が植栽され御殿名の呼称となった。
 この桜はその名残りをとどめる名木である。

 北側がシダレザクラですね

 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・15・10


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