市塙地区は、市貝町役場のある地区です、日枝神社は役場の南約1kmのところです
日枝神社にはケヤキの巨木があり一度取材して2017年6月18日に投稿させて頂いております、今回のスギも取材していましたが、時期(冬場)であることで違った雰囲気に成っています
市貝町役場北側の駐車場を東へ出て、直ぐの押し釦信号機側の交差点を右(南南西)へ、県道163号線です
約150mで左(東南東)へ入って丘を越えます、約550mで押し釦信号を右(南西)へ、県道69号線です
約200mの「市塙駅入口」信号を左(南東)へ、県道135号線です、約250mで「市塙駅」前を右(南西)へ
約300mで右手に日枝神社(グーグルマップでは日枝神社・熊野神社となっています)が南向き参道で鎮座しています

境内南端に、2017年に取材したケヤキが見えて来ます

東側の真岡鉄道の踏切を汽車が通過して行きます
(踏切前の道路は踏切を渡らなくても一時停止に成っていますので注意です)



南側からケヤキを見上げました



南西側から、目通り幹囲5.8mの巨木ですが、幹は途中で伐られて屋根が架けられています

日枝神社参道入口です、境内西側の駐車場に
車を止めさせて頂きました

日枝神社と熊野神社が並記された社號標です

両神社の由緒書です
日枝神社御由緒
主祭神 大山咋命 配祀 大物主命
第74代鳥羽天皇の永久年間(1114年頃)に市高の字結谷に創立され、現在地に勧進されたのは第76代近衛天皇の久寿2年(1155年)と伝えられる、その後社殿は数回にわたる改築を受けているが、現存する本殿は第118代御桃園天皇の安永8年(1779年)の完成で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。
祭礼日(熊野神社も同日)
2月3日 節分祭 2月17日 祈年祭 4月第(二)日曜 春祭り
8月第一日曜 例大祭(八朔祭) 11月23日 新嘗祭
熊野神社御由緒
主祭神 伊弉冉命 速玉男命 事解男命
第69代御朱雀天皇の長暦2年(1038年)紀貫之五代の茵裔市花十郎直正が館の守護神として祀ったのが始めと伝えられている、社殿は市塙字古宿(境内地貮反七畝)に在ったが、明治30年4月に日枝神社境内内に移転、現在に至っている。
現存する本殿は第119代光格天皇の享和元年(1801年)の再建で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。

参道を進みます

参道右手の建物は神楽殿のようです

社殿が並んでいます

目的のスギは、日枝神社社殿の西側に在ります

説明版です
日枝神社本殿
現存する本殿は典型的な一間社流れ造りで、保存状態は良い。
最大の特徴は建物全体にほどこされた彫刻装飾である。
丸彫や浮彫、地紋彫などの江戸時代中期の装飾は華美過ぎなく貴重である。
町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日 市貝町教育委員会
熊野神社本殿
彫刻はすべて素木造りで、小壁と柱は地紋彫、胴羽目には特徴あるもっこ型の浮彫で飾られている。
保存状態も良く、江戸時代初期から後期にかけての典型的な一間社入母屋造りの本殿として貴重である。
町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日 市貝町教育委員会

もう一枚説明版です
日枝・熊野神社八朔祭
八朔祭は、日枝・熊野両神社の夏の大祭で、祭礼の中で最も盛大で華麗な祭典である。
祭礼は、市塙の各地区が年番制を採用し、御仮屋を建て両社ご神体が渡御する。
このような祭り方を執るようになったのは、御神輿が建立された宝永7年(1710)からといわれており、およそ300年の歴史がある。
祭礼は、大正年間に入り8月30日から9月1日のかけて二夜三日、盛大に執行するのを例としてきたが、現在は8月第1土曜日から2日間となった。
行列の順序
先導者ー万燈ー太鼓ー榊ー鉾ー小旗ー獅子・横笛奏者ー御神輿ー大傘ー神官ー神刀奉持者ー当番組祭典委員長ー社総代ー氏子一同
町指定無形民俗文化財 平成17年8月10日 市貝町教育委員会

左(西側)に日枝神社拝殿です

本殿覆い屋です、隙間から本殿を見ることができました、龍の彫物が見られます

市貝町指定有形文化財建造物「日枝神社本殿」の石碑です

右(東側)に熊野神社拝殿です

熊野神社本殿を屋根の下に見ることが出来ます

市貝町指定有形文化財建造物「熊野神社本殿」の石碑です



南側から

平成天皇(上皇様)御大典記念 栃木百選夫婦杉の石碑です

とちぎ名木百選の標柱です



東側から



北東側から見ました

熊野神社拝殿前東側に手水舎と井戸が有ります

熊野神社東側の社叢の中に西向きに境内社の「淡島神社」です

北側には南向きに「市花神社」です
では、次へ行きましょう

日枝神社にはケヤキの巨木があり一度取材して2017年6月18日に投稿させて頂いております、今回のスギも取材していましたが、時期(冬場)であることで違った雰囲気に成っています
市貝町役場北側の駐車場を東へ出て、直ぐの押し釦信号機側の交差点を右(南南西)へ、県道163号線です
約150mで左(東南東)へ入って丘を越えます、約550mで押し釦信号を右(南西)へ、県道69号線です
約200mの「市塙駅入口」信号を左(南東)へ、県道135号線です、約250mで「市塙駅」前を右(南西)へ
約300mで右手に日枝神社(グーグルマップでは日枝神社・熊野神社となっています)が南向き参道で鎮座しています

境内南端に、2017年に取材したケヤキが見えて来ます


東側の真岡鉄道の踏切を汽車が通過して行きます




南側からケヤキを見上げました




南西側から、目通り幹囲5.8mの巨木ですが、幹は途中で伐られて屋根が架けられています


日枝神社参道入口です、境内西側の駐車場に


日枝神社と熊野神社が並記された社號標です


両神社の由緒書です
日枝神社御由緒
主祭神 大山咋命 配祀 大物主命
第74代鳥羽天皇の永久年間(1114年頃)に市高の字結谷に創立され、現在地に勧進されたのは第76代近衛天皇の久寿2年(1155年)と伝えられる、その後社殿は数回にわたる改築を受けているが、現存する本殿は第118代御桃園天皇の安永8年(1779年)の完成で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。
祭礼日(熊野神社も同日)
2月3日 節分祭 2月17日 祈年祭 4月第(二)日曜 春祭り
8月第一日曜 例大祭(八朔祭) 11月23日 新嘗祭
熊野神社御由緒
主祭神 伊弉冉命 速玉男命 事解男命
第69代御朱雀天皇の長暦2年(1038年)紀貫之五代の茵裔市花十郎直正が館の守護神として祀ったのが始めと伝えられている、社殿は市塙字古宿(境内地貮反七畝)に在ったが、明治30年4月に日枝神社境内内に移転、現在に至っている。
現存する本殿は第119代光格天皇の享和元年(1801年)の再建で、昭和63年4月5日市貝町指定有形文化財に指定される。

参道を進みます


参道右手の建物は神楽殿のようです


社殿が並んでいます


目的のスギは、日枝神社社殿の西側に在ります


説明版です
日枝神社本殿
現存する本殿は典型的な一間社流れ造りで、保存状態は良い。
最大の特徴は建物全体にほどこされた彫刻装飾である。
丸彫や浮彫、地紋彫などの江戸時代中期の装飾は華美過ぎなく貴重である。
町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日 市貝町教育委員会
熊野神社本殿
彫刻はすべて素木造りで、小壁と柱は地紋彫、胴羽目には特徴あるもっこ型の浮彫で飾られている。
保存状態も良く、江戸時代初期から後期にかけての典型的な一間社入母屋造りの本殿として貴重である。
町指定有形文化財(建造物) 昭和63年4月5日 市貝町教育委員会

もう一枚説明版です
日枝・熊野神社八朔祭
八朔祭は、日枝・熊野両神社の夏の大祭で、祭礼の中で最も盛大で華麗な祭典である。
祭礼は、市塙の各地区が年番制を採用し、御仮屋を建て両社ご神体が渡御する。
このような祭り方を執るようになったのは、御神輿が建立された宝永7年(1710)からといわれており、およそ300年の歴史がある。
祭礼は、大正年間に入り8月30日から9月1日のかけて二夜三日、盛大に執行するのを例としてきたが、現在は8月第1土曜日から2日間となった。
行列の順序
先導者ー万燈ー太鼓ー榊ー鉾ー小旗ー獅子・横笛奏者ー御神輿ー大傘ー神官ー神刀奉持者ー当番組祭典委員長ー社総代ー氏子一同
町指定無形民俗文化財 平成17年8月10日 市貝町教育委員会

左(西側)に日枝神社拝殿です


本殿覆い屋です、隙間から本殿を見ることができました、龍の彫物が見られます


市貝町指定有形文化財建造物「日枝神社本殿」の石碑です


右(東側)に熊野神社拝殿です


熊野神社本殿を屋根の下に見ることが出来ます


市貝町指定有形文化財建造物「熊野神社本殿」の石碑です




南側から


平成天皇(上皇様)御大典記念 栃木百選夫婦杉の石碑です


とちぎ名木百選の標柱です




東側から




北東側から見ました


熊野神社拝殿前東側に手水舎と井戸が有ります


熊野神社東側の社叢の中に西向きに境内社の「淡島神社」です


北側には南向きに「市花神社」です

では、次へ行きましょう


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