釣町は、鰺ヶ沢町役場の西約3kmのところ
鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西へ、約3.1kmで標識に従って鰺ヶ沢漁港方面右(北)へ
すぐ先の丁字路を左(西)へ、道成りに坂道を下って一時停止の交差点の右(東)に
西側の道路脇に
車を止めさせて頂きました


真宗大谷派 来生寺です

釣町の標柱です

境内に入ると目的のイチョウが見えました

境内左手に鐘楼です



北西側から



西側から、目通り幹囲は4m程(目測)の大木です

説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
記念物 いちょう 1本
昭和62年8月20日指定
いちょうは、イチョウ科イチョウ属に分類され、古い時代に日本に渡来し、社寺の境内や街路樹として広く植えられている。
老木になると乳と言われる気根がでることがある。
このいちょうは、樹齢約400年で来生寺建立の記念樹として植えられたと伝えられる。
鰺ヶ沢町教育委員会
*また「水ふきのイチョウ」とも言われ、昭和7年の鰺ヶ沢大火の時、火災から寺を守ったという。



南側(本堂前)から見ました

本堂です

化石塚です

説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
歴史資料 化石塚
昭和58年4月20日指定
小野化石は、津軽一帯で活躍した江戸時代後期の俳諧宗匠。鰺ヶ沢の釣町に住み、紺屋灰(染物のときに使う灰)等を商っていた。
襲名して金兵衛を名乗っており、化石は俳号である。文政元年(1818)没。
化石の句「磯山や 四月の袖に 桜散」を刻んだこの句碑は、化石の門弟らによって文政9年(1826)に建てられた。
元は堀切沢の丘の上に建てられていたが、倒れたまま放置されていたのを現在地に移した。
鰺ヶ沢町教育委員会
では、次へ行きましょう
鰺ヶ沢町役場前から国道101号線を西へ、約3.1kmで標識に従って鰺ヶ沢漁港方面右(北)へ
すぐ先の丁字路を左(西)へ、道成りに坂道を下って一時停止の交差点の右(東)に
西側の道路脇に



真宗大谷派 来生寺です


釣町の標柱です


境内に入ると目的のイチョウが見えました


境内左手に鐘楼です




北西側から




西側から、目通り幹囲は4m程(目測)の大木です


説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
記念物 いちょう 1本
昭和62年8月20日指定
いちょうは、イチョウ科イチョウ属に分類され、古い時代に日本に渡来し、社寺の境内や街路樹として広く植えられている。
老木になると乳と言われる気根がでることがある。
このいちょうは、樹齢約400年で来生寺建立の記念樹として植えられたと伝えられる。
鰺ヶ沢町教育委員会
*また「水ふきのイチョウ」とも言われ、昭和7年の鰺ヶ沢大火の時、火災から寺を守ったという。



南側(本堂前)から見ました


本堂です


化石塚です


説明版です
鰺ヶ沢町指定文化財
歴史資料 化石塚
昭和58年4月20日指定
小野化石は、津軽一帯で活躍した江戸時代後期の俳諧宗匠。鰺ヶ沢の釣町に住み、紺屋灰(染物のときに使う灰)等を商っていた。
襲名して金兵衛を名乗っており、化石は俳号である。文政元年(1818)没。
化石の句「磯山や 四月の袖に 桜散」を刻んだこの句碑は、化石の門弟らによって文政9年(1826)に建てられた。
元は堀切沢の丘の上に建てられていたが、倒れたまま放置されていたのを現在地に移した。
鰺ヶ沢町教育委員会
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