土堀地区は、五泉市役所の東南東約4kmのところ
五千市役所から南へ約700mの信号を左(東)へ、県道436号線です、約2kmで早出川を渡ります、

更に約1.4kmの猿和田駅入口の信号の脇に坂田家住宅の案内板です
信号を左(北西)へ入って間も無く

道路の右手に「国登録有形文化財 坂田家住宅」の標柱が有ります
前の道路脇に
車を止めさせて頂きました

屋敷林の中へ入らせて頂きました、右手に目的のケヤキの樹冠が見えました

坂田家住宅です
現在はNPO法人五泉トゲソの会が管理しているようです、車が止まっていたので、声を掛けましたが返答が有りません
*トゲソとは、トゲウオ科トミヨ属の淡水魚、絶滅危惧1類に指定されているイバラトミヨの事を五泉市周辺での呼び名です
*坂田家住宅の屋敷林の中には、新潟県の名水「どばしっこ清水」の湧水があり、イバラトミヨの生息地となっているようです

説明版です
―国登録有形文化財―
坂田家住宅
所在地 五泉市土掘295
指定年月日 2011(平成23)年1月26日
坂田家は、元禄の頃に越前よりこの地に移住したと伝えられています。
江戸時代末期には庄屋を務め、この五泉地域を治めていた沼津藩の公的な役割を担っていました。また、戊辰戦争時には町の荷駄方役を務めました。
坂田家住宅の中心となる母屋は江戸時代末期の建築です。昭和28年(1953年)に改築されましたが、家の主要部分である、茶の間、前座敷、仏間、座敷、奥座敷といった催事や仏事、接客に使用した部屋は建築当時の様式を残しています。
主屋を中心として敷地の南側には新倉と古土蔵があります。また東側には、時代の推移とこの家とを常に見守ってきた大ケヤキが立ち、その裏に土蔵があります。そして、北側には堆肥舎があり、屋敷の東奥は杉木立の屋敷林となっています。
このような周辺の建物や景観も含め、全体として近世期の屋敷構えがよく保存されており、当時の富裕農民の様子を今に伝える貴重な文化財として、主屋・新倉・古土蔵・土蔵・堆肥舎の5件が国登録有形文化財となりました。
2011(平成23)年7月 五泉市教育委員会



ケヤキを西側から見ました、目通り幹囲5.6mの巨木です
これより先へはお邪魔できませんでした
では、次へ行きましょう
五千市役所から南へ約700mの信号を左(東)へ、県道436号線です、約2kmで早出川を渡ります、

更に約1.4kmの猿和田駅入口の信号の脇に坂田家住宅の案内板です

信号を左(北西)へ入って間も無く

道路の右手に「国登録有形文化財 坂田家住宅」の標柱が有ります

前の道路脇に


屋敷林の中へ入らせて頂きました、右手に目的のケヤキの樹冠が見えました


坂田家住宅です

現在はNPO法人五泉トゲソの会が管理しているようです、車が止まっていたので、声を掛けましたが返答が有りません

*トゲソとは、トゲウオ科トミヨ属の淡水魚、絶滅危惧1類に指定されているイバラトミヨの事を五泉市周辺での呼び名です
*坂田家住宅の屋敷林の中には、新潟県の名水「どばしっこ清水」の湧水があり、イバラトミヨの生息地となっているようです

説明版です
―国登録有形文化財―
坂田家住宅
所在地 五泉市土掘295
指定年月日 2011(平成23)年1月26日
坂田家は、元禄の頃に越前よりこの地に移住したと伝えられています。
江戸時代末期には庄屋を務め、この五泉地域を治めていた沼津藩の公的な役割を担っていました。また、戊辰戦争時には町の荷駄方役を務めました。
坂田家住宅の中心となる母屋は江戸時代末期の建築です。昭和28年(1953年)に改築されましたが、家の主要部分である、茶の間、前座敷、仏間、座敷、奥座敷といった催事や仏事、接客に使用した部屋は建築当時の様式を残しています。
主屋を中心として敷地の南側には新倉と古土蔵があります。また東側には、時代の推移とこの家とを常に見守ってきた大ケヤキが立ち、その裏に土蔵があります。そして、北側には堆肥舎があり、屋敷の東奥は杉木立の屋敷林となっています。
このような周辺の建物や景観も含め、全体として近世期の屋敷構えがよく保存されており、当時の富裕農民の様子を今に伝える貴重な文化財として、主屋・新倉・古土蔵・土蔵・堆肥舎の5件が国登録有形文化財となりました。
2011(平成23)年7月 五泉市教育委員会



ケヤキを西側から見ました、目通り幹囲5.6mの巨木です

これより先へはお邪魔できませんでした

では、次へ行きましょう

