広木地区は、美里町役場の西南西約3kmのところ
国道254号線の南側、本庄市との境近くに
伝大伴部真足女の遺跡が在ります
道路脇に
車を止めさせて頂きました

案内版です

石碑があります

正面から

説明版です
万葉遺跡
伝大伴部真足女の遺跡
県指定旧跡(昭和36年9月1日)
ここ一帯は大字広木字御所の内と呼ばれています。
堀形の田畑に囲まれた90m四方の遺跡が、防人檜前舎人石前
(さきもりひのくまのとねりいわさき)の館跡といわれています
。
真足女は、檜前舎人石前の妻で、防人に赴くことになった夫に
、この悲しい別れに臨んで、惜別の情を詠じたのが、防人の歌と
して、万葉集巻10に載せられています。
「枕太刀腰に取り佩きまかなしき背ろがまき来む月のしらなく」
この歌は夫を思慕する妻の真情を、遺憾なく吐露したもので、
1200余年後の今日でも、なお切々として、人の心を打ってや
まないものです。 美里町教育委員会

防人檜前舎人石前之館跡の石碑です

歌碑です

左の石碑は読めませんでした



この平面が館跡でしょうか
では、次へ行きましょう
国道254号線の南側、本庄市との境近くに
伝大伴部真足女の遺跡が在ります
道路脇に


案内版です


石碑があります


正面から


説明版です
万葉遺跡
伝大伴部真足女の遺跡
県指定旧跡(昭和36年9月1日)
ここ一帯は大字広木字御所の内と呼ばれています。
堀形の田畑に囲まれた90m四方の遺跡が、防人檜前舎人石前
(さきもりひのくまのとねりいわさき)の館跡といわれています
。
真足女は、檜前舎人石前の妻で、防人に赴くことになった夫に
、この悲しい別れに臨んで、惜別の情を詠じたのが、防人の歌と
して、万葉集巻10に載せられています。
「枕太刀腰に取り佩きまかなしき背ろがまき来む月のしらなく」
この歌は夫を思慕する妻の真情を、遺憾なく吐露したもので、
1200余年後の今日でも、なお切々として、人の心を打ってや
まないものです。 美里町教育委員会

防人檜前舎人石前之館跡の石碑です


歌碑です


左の石碑は読めませんでした




この平面が館跡でしょうか

では、次へ行きましょう

