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気ままに?!

滅多に愚痴は言わないけれど・・・・こぼします。

新型コロナウイルスが騒がれ始めた頃・・・・3年前から

福島の白河の外れ 平成の大合併で白河市になった過疎地に一人で住む夫の長姉から頻繁に「来てほしい」と電話がかかってくるようになり、その時 私は次兄の介護をしている時でしたので何日間も兄を放るわけにもいかず義姉に来てもらい昼は私は兄の家に行き夜兄の息子に介護のバトンタッチをして帰ってきてから義姉の心配事を聞いてあげるということが有りました。



その後 一年程の闘病のあと次兄が亡くなるとまたもや義姉から「来てほしい」の頻繁の電話。

「コロナが治まったら行きます。 こちらは多発しているので持ち込んでしまったら そちらにご迷惑がかかりますから。」と先延ばししている間に102歳になった父が認知症になり父の介護が始まり義姉にはその旨話して行きませんでした。


それから7~8か月すると 義姉は父がもう亡くなったと思ったのか又頻繁に来てほしいコールが・・・・

その時期 私は人生で一番辛い 悲しい そして心身共に忙しい日々を送っていました。
最愛の長男が 末期のスキルス胃癌になり自宅療養をしていました。
片時も目を離さず 息子が食べられそうな食事を作っている時も絶えず息子の様子が見えるように 息子からは私が見えるように 対面キッチンのカウンターの向かい側のダイニングテーブルを片付けて そこにベッドを置いて介護していました。


その息子も半年の療養の甲斐もなく 去年の11月お浄土に旅立ちました。
夫の兄姉妹に連絡すると 義姉からは高齢で行かれないので香典を送ります。の電話が有りました。


葬儀が終わり 年が変わってからも一向に香典は届かず(それは構わないのですが)それよりも早く来てほしいコールです。

子供に先に逝かれた悲しみとか辛さが理解できず自分のことしか考えられなくなっている義姉に愕然とする思いと憎らしさが湧いてきたのも事実です。


そんな気持ちを抱いたまま 兄 姉に任せっきりだった103歳半になった父の介護に復帰しました。
すっかり私を忘れてしまった父 兄姉と接することで心の平安を取り戻しつつあった今年の2月 父が老衰で亡くなりました。



それと前後するようにまたもや義姉からの「来てくれなくては困るから絶対来て」コールです。
相続や 介護のことで相談したいから 司法書士さんにも来てくれるように頼んだから来てくれなくては困ると言うのです。

筋が全然違っています。 私は血縁者でもなければ 相続人でもないのです。
その旨を言って その相談は義姉の弟妹に頼むように言いましたがわめくだけでこちらの言い分は伝わっていないようです。

しかたがないので私の言い分を箇条書きにして郵送しました。
それでも その返事は「とにかくあなたに来てほしい。 来てくれなくては困る」というものでした。


考えあぐねた私は 義姉の弟妹で一番私に年の近い義妹に相談して一緒に義姉の所に行ってくれるように頼みました。

義妹はアッサリ引き受けてくれ 「お姉ちゃんはしっかりしているからお姉ちゃんの旦那さんが亡くなって間もなく司法書士さんと相談して不動産は旦那さんの甥さんに 少し残るであろうお金もお葬式代としてその甥さんに相続させるように遺言書を作ってあるのよ」 「今回は少し手直ししたいから司法書士さんを呼ぶんじゃないの」と言っていました。

どうやら義姉は自分の弟妹には見栄を張って嘘をついていたらしいのです。

本当は何も手つかずで 「こんな家を貰っても登記料がかかるばかりで売るに売れないド田舎の家を俺にくれるなんて絶対言わないでくれ」って甥さんには
言われているのです。

長崎県佐世保出身の義姉は東京で暮らし 定年後東京の家を処分して旦那さんの実家の近くに家を建てて住んでいましたが 旦那さんも 旦那さんの兄姉妹も亡くなり 義姉の弟妹は九州に住んでいて電話のやり取りだけで行ったり来たりはしていませんから義姉の生活を知らないのです。

今回義姉の所に約20年ぶりで来た義妹は義姉の住んでいる家がゴミ屋敷で何も手つかずだったことを知り疲れ果てたようでした。

その義妹が九州に帰って一か月もしないうちにコロナで亡くなってしまいました。
コロナということで家族葬でしたので私はお悔やみの電話を入れてお香典を送ったのでしたが 義姉は実妹が亡くなったことは理解しても悲しみはさほどでないようで すぐに私に来いの電話です。

多分認知症が入ってきているようです。
義妹が亡くなって 弟たちに見栄を張っている義姉はガンとして自分の身内に相談する気が無く それでも自分の老い先に不安を感じていて 他人の私には迷惑をかけても平気なようです。

放っておく訳にもいきません。 SOSが義姉から届いているのですから行かなければ、 そしてこれからどこでどのように暮らしたいのかジックリ聞いて
必要があれば地域包括支援センターやら市の福祉課に連絡を取ってこなければと思っています。

もう腹をくくったつもりですが 明日からあの汚い家で寝泊まりしながら掃除をしながら義姉の希望を聞きだしてそれに沿うように生活をさせることは並大抵ではないと思っています。

夫が亡くなって26年 それでもいまだに夫の姉に振り回されています。

とにかく 明朝早く新幹線で福島に向かいます。
ブログを見ている暇もないと思いますのでコメント欄は閉じておきます。









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