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気ままに?!

広くも無い庭でガーデニングと野菜つくり 時々花見の旅に出かけています

夫の元へ旅立ちました 息子の療養生活⑩

2022-12-30 09:39:17 | 療養記
9月下旬ころになると便漏れするようになり紙パンツをはかせるようになりました。
便の色も黄色から黒色の粘り気のある便に代わってきていました。
紙パンツを履いていても便意をもよおすとトイレに行き トイレに行く回数も昼間だけで20回ほど。

午前中は比較的安定していましたが 午後は毎日吐くようになり5~6回に増えています。

腹水も溜まりはじめ10月になると産み月の妊婦さんのようなお腹になりました。
「お腹 ポンポンに膨らんで苦しくない? お水抜いてもらおうか?」と尋ねると「大丈夫!」の返事。
そしてニコニコしながら自分のお腹を太鼓のように叩いて「いい音がするよ」などと言うのです。
本当にその音は美味しいスイカのような音がしました。

看護師さんもお医者様も「息子さんが大丈夫と言っている間はそのままにしましょう。
水は抜いても又すぐに溜まってきます。 息子さんが不快で我慢できなくなったら緩和ケア病棟で抜きましょう。 
もし今緩和ケア病棟に行ってそのまま入院などになってしまったらそれこそ息子さんにとっては
不本意なことになってしまいますから。」の見解でした。

10月半ばになると何を飲んでも何を食べても 食べなくても吐くようになり
もう1日何回吐くなどど数えることさえできなくなり 毎日記録していた病状日記は10月14日で終わりにしました。

それでも息子は私と顔を見合わせればニコニコして「今吐いたけど 吐いちゃったからスッキリしたよ。
もう少し休んだら又食べられるから大丈夫」などと私が心配しないようにでしょうか そんなことを言うのです。
「じゃぁ 何がたべたいかな~?」「冷たいお蕎麦が食べたい!」お蕎麦をクタクタにゆでて
短めに切り そばつゆとネギのみじん切り ワサビ少々を添えて食べさせると美味しい美味しいと食べます。
そしてその後は食べた以上に吐いてしまいます。
私は背中をなでながら 「吐いちゃったけど 美味しく食べられてよかったね。美味しく食べられるのが一番だね。」

そんな生活でも大好きなお風呂は毎日欠かさず入っていました。
「お風呂が沸きました」のアナウンスが聞こえるとすぐ脱衣室に行き服を脱ぎ自分で浴槽に入ります。

時には浴槽の中で吐いてしまったり プリっと便が出てしまうこともありましたが 
洗い場でシャワーをかけて良く洗えば良いことですので気にせずお風呂を楽しむことを優先させていましたが
それも10月28日で最後となりました。
その日お風呂に入った息子は浴槽から揚がることができなくなってしまったのです。
私が着の身着のまま浴槽に入りなんとか息子を浴槽から出しましたが
もう入浴は無理です。

この翌日29日からテープ式の本格的なオムツになりました。

せめてお風呂場であったかいシャワーをタップリ浴びさせたいと願った私は
ケアマネさんに連絡して
シャワー用の車椅子の購入とヘルパーさんの派遣をお願いしました。
この頃には看護師さんも週2回訪れています。
ヘルパーさんを週3回お願いして週5回シャワーが浴びられる体制になりましたが残念なことに
車椅子が届いた時にはシャワーさえ浴びられない体力になっていました。

それまで何回も帰省して介護を手伝ってくれていた次男が11月2日にも来てくれていてオムツ交換や
吐しゃ物ですぐ汚れてしまうペーパーシーツをマメに交換してくれていました。

11月3日いつものように早めに消灯しました。

いつもならすぐに眠りにつく息子が「クリスマスにはチョコレートケーキを食べて チキンを食べて・・・ 
お正月にはおじいちゃんのお家でおせち料理を食べるよ。 春になったら旅行に行って花見をするんだよね。
お母さんそうだよね!」と大きな声で繰り返し繰り返し言うのです。
そのたびに私も「そうだよ! 楽しいこと たくさんしようね!」と何度も答えていましたが
時計が0時を回るころ「〇〇ちゃん もう遅いし お母さんお腹が少し痛いから眠りたいな~・・・
〇〇ちゃんももう寝ようね。」と言うと息子が「僕もお腹が痛い!」と言うではありませんか。

楽しいことを想像しながら大きな声で喋り続けていたのは痛みを紛らわせるためだったことに気が付きました。

もう私はビックリして飛び起き処方されていた痛み止めを飲ませ看護師さんに連絡しました。
1時間経過しても痛みが治まらない時には座薬を挿入しても良いということで1時過ぎ
処方されていた座薬を挿入して息子のお腹を撫でながら様子を見ていると「K先生のところには行かないよ。
K先生のところには行かない!」と言い続けます。

K先生とは緩和ケア内科の先生でとても優しい先生です。
緩和ケア病棟のベッドをバックに取っておくため1度だけ診察していただいた先生です。
「お腹が痛くて我慢が出来ないときだけここに来ようね。」と言ってくれた先生です。
どうしても家にいたい息子は痛みを大きな声で話すことで紛らわせ我慢をしていたのでしょう。

そして不思議なことを言ったのです。「お父さん あそこに居るね!」って仏壇を指さし 
小さい声でしたがハッキリと言ったのです。
私は「居るよ!あそこにお父さんが居るよ。〇〇ちゃんのことをずーっと見てくれているよ!」と とっさに答えました。

息子は大好きな父親が亡くなったことを認めることは無くよそ様の仏壇の前では手を合わせても 
我が家の仏壇で手を合わせることは無かったのです。

そんな息子を夫は迎えに来たのでしょうか。 
息子の眼には本当に父親が見えたのでしょうか。

まもなく息子が「痛みが治まってきたよ。 眠くなってきた」と言うので布団を直してあげて 私もベッドの横の布団で眠りにつきました。

朝5時過ぎ 「痛みはなくなったかな? 元気かな?」と声をかけながらベッドをのぞき込むと 
いつもの笑顔のままの息子の顔が冷たくなっていました。

息子は大好きな夫の元に「お父さん お父さん」と呼びながら 翔け上がって行ったのだと思います。

  

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自閉症を伴う知的発達障害の息子は自閉的な部分を克服して思いやりのある
無垢な幼児の魂を持ったままスキルス胃がんという最悪の癌を受け入れて療養し46歳の人生を終えました。

私はこの息子を持ったことを誇りに思い 失ったことに深い悲しみを覚えています。

新しい年が間もなくやってくるこの時期 重苦しいブログの連続を申し訳なく思っております。

新しい年になりましたら 又 以前のような暮らしをしてカメラ片手に
出かけヘボ写真を撮りたいと思っています。

よろしくお願いいたします。















朝の散歩を始める 息子の療養生活➈

2022-12-28 18:10:42 | 療養記
8月半ば 息子が自宅療養を始めて2か月弱 この間息子が外に出ることといえば庭で花を見たり 
大好きなキュウリやミニトマトの収穫の手伝いくらいでした。

一度だけ帰宅早々に花しょうぶを見に公園へ少しのおやつを持って出かけたことがありました。
しかし公園のベンチでおやつを食べた途端 吐き気を催し そのあとは吐き気が治まらず
苦しい思いをさせてしまいそれからは外出は控えていました。
 
でも花火大会の日のパニック騒動は息子がまだ健脚で充分歩けることを私に教えてくれました。

それで息子に提案しました。 「早朝散歩に行きませんか? ご褒美は帰り道コンビニに寄って 
大好きなものを買ってくること!」息子の顔が瞬間パッと明るくなりました。

翌日の8月16日から開始して 疲れないように1日おきにすることを決め
その日の夜 ビニール袋 マスク 財布を入れた小さめのリュックと帽子 スニーカーを
玄関に用意して早めに床に就きました。

案の定 息子は私が目覚める前に起きだして着替えも済ませていました。
私も急いで身支度を済ませ お水だけ飲んで出発です。 AM4時半。

9月上旬までは約50分コース コンビニのお買い物は おにぎりと巻きずし
薄焼きせんべいに決まっていました。

この頃息子は おかゆ ポタージュ カステラなどの噛み応えの無い食べ物は飽きてしまい食べなくなっていました。

コンビニのおにぎり 巻きずしは家に帰ってノリを剥がして 剥がしたノリを
ゴマ粒にように小さく切って点々と貼って食べさせました。

不思議にもコンビニのおにぎりを丸々1個食べても吐かないのです。
多分朝食時は胃が空っぽというのも吐かなかった理由かも知れません。

朝食はコンビニのおにぎり 昼食はコンビニの巻きずし の生活が10月上旬に散歩をやめるまで続きました。

とにかく 好きなもの 食べたいものを食べさせることが優先でした。

9月中旬になると50分間の散歩が疲れるのか コンビニに行くだけの散歩になりました。 

そして10月4日の夜 いつものようにリュックなどの準備をしているとポツリと 「明日からは散歩行かない」と
小さな声で言いました。 「疲れちゃうのかな?」「うん。疲れる。」「じゃあ行かないのがいいね。」 
約一か月半続いた散歩は10月3日で終わりました。

お日様が昇る前の散歩 ピンクやオレンジに染まる雲など綺麗な空の景色を息子のおかげで
楽しむことができました。
 




パニックになる 息子の療養生活➇

2022-12-26 18:56:30 | 療養記
6月下旬から訪問診療 訪問看護が始まりました。

訪問看護は毎週月曜日9時半から約1時間。
24時間対応ですので緊急時にはいつでも連絡が着くようになっています。

内科の先生は不定期ですが約3週間に1度くらいの割合で来てくださっていました。
訪問看護士さんが訪問して下さった都度お医者様には連絡を入れていたようで
息子の容態は把握している様子でした。

息子は毎週月曜日 看護師さんの来てくれる日を楽しみにしていました。
私も何か手に負えなくなった時には看護師さんが駆けつけてくれるということ
又些細なことでも看護師さんと話をすることで大きな安心感を得ることができました。

1日に2~3回吐く日が続いたり 1回も吐くことが無い日もあったりでしたが
おおむね7月8月は元気で食欲もあり1日6回の食事はいつも完食でした。
1日6食といっても1回の量を少なくして胃に負担がかからないようにしていましたので
食いしん坊の息子はいつももっと食べたい様子でした。

ただ下痢は治まることは無く5月からずーっと続いています。
このころは水のような便でしたが漏らすこともなく頻繁にトイレに行ってました。

そんな生活をしていた8月14日の朝 うかつにも私は「こんな雨降りじゃ 花火大会は延期だね」
と口走ってしまったのです。
息子は今日が花火大会と知りどうしても行きたくて仕方がありません。

コロナ前は桟敷席を予約して毎年家族で見に行っていたのでその記憶がよみがえり何が何でも行きたい様子です。

朝から「花火に行きたい!」を繰り返し言い続け 午後になるとさらに大声わめくようになり
私が「病気が治ったら 来年行こうね。人混みで誰かに押されてよろけたら踏みつぶされてしまうから」
と諭しても聞く耳を持ちません。
「花火大会は明日に延期されて今日はやらないのよ」と言っても
「桟敷席が出来ているか見てくる!」の一点張りでとうとう裸足のまま
傘もささず雨の中飛び出していきました。

ありったけの力を出して走ったのでしょう 私が追いついた時には家からだいぶ離れたところまで行ってました。
裸足のままでは足も痛かったのでしょう 濡れネズミになった息子は思ったよりも素直に家に戻りました。
それでもまだパニックは収まりきれないようで何かと引っかかる態度です。
そして「明日は花火に行く」を就寝時まで言っていました。

翌朝 いつものように早く目覚めた息子がいつもと違ってベッドからなかなか出てきません。
昨日のパニック行動で疲れてしまったようです。
そして「今夜 花火に行かない。 2階のベランダから見る」と弱々しく言うのです。
ホッとしたものの 息子が可哀そうでなりませんでした。

夜 ベランダに椅子を2つ並べて高く上がった花火だけを親子で静かに見つめました。

散歩がてらお医者様へ  息子の療養生活⑦

2022-12-24 19:11:49 | 療養記
自宅に帰って2日目。 食欲もあり元気そうです。

吐き気も無いようなので息子に「お医者様へ歩いて行ってみようか?」
「うん! 歩いていく!」ということで散歩がてら訪問診療をお願いした内科医院まで歩いていきました。

順番を待っている間に受付には紹介状や胃カメラ CT MRIのコピーを渡しておきました。

診察室に入ると先生は「こんにちは。 〇〇さん。 
これからずーっと〇〇さんをお家で診察する△△です。
よろしくお願いします。」と息子に向かって自己紹介と挨拶を穏やかな声でしてくれました。
息子は一人前の扱いを受けたことに喜び すっかりこの先生が大好きになってしまいました。

先生はお腹を押してみたり背中やお腹 胸などに聴診器を当てた後
「押されて痛いところや気持ちが悪いところはありますか?」
「無いです。 大丈夫です。」

診察が終わり息子は看護師さんと待合室にゆき 私は先生の診たてとこれからの方針を相談しました。

こちらの先生も治療は一切しないで緩和ケア 対処療法だけがよろしいかと思います。と言われ
お母さま一人での看病介護は痛みや苦しみが出たときには無理かと思いますので 
医師会病院の緩和ケア病棟にバックのベッドをとっておきいつでも入院できる態勢にしておいてはいかがでしょうの提案がありました。

こちらの緩和ケア病棟もコロナで面会は出来ないことを聞いていたので
返事を渋っていると 長い期間の入院でなく一泊二日とか三泊四日の入院で緩和できればそれで退院するというようにしたら良いと思います。
とのことでしたのでお願いしました。

次回は6月23日に自宅に訪問してくれることになりました。



自宅療養開始 息子の療養生活⑥

2022-12-22 19:59:06 | 療養記
6月19日 朝 施設に息子を迎えに行く。

この日 朝ごはんもしっかり食べて元気にしていることを事務所で確認して息子が待っている応接室へ。

息子は応接室のソファーに落ち着かない様子で座って待っていました。
本当に家に帰れるのか半信半疑の面持ちです。
テーブルの上には息子が退所するために作られたアルバムと 施設での生活や
旅行 行事で撮った写真の入っているUSBメモリが用意されていました。

15年間にたまった息子の膨大な荷物を車に積めるだけ積んで大勢の職員さんに
見送られて息子は2年3か月振りに我が家に帰ってきました。

家に戻った息子の表情はこぼれるばかりの笑顔です。

昼食も美味しそうに完食 おやつも 夕食も美味しい美味しいと完食。

大好きなお風呂も水遊びをしながらゆっくり入ってご機嫌です。

只 息子の体を洗うために浴室に入った私は息子があまりにも痩せてしまったことに愕然とする思いでした。
コロナ前に毎週帰省していたころは細身で筋肉質のカチッとした体形でしたが
その面影も見当たらないほどに痩せていました。