老いるという事

2024-06-08 | 個人的なこと

 

故井上洋治神父の説教テープを好んで聞くこの頃、貴重なテープを見つけた。

2012年5月、「風の家」26周年・南無アッパの集いで語られた近況を語る最後のテープ

85歳、ホームに暮らす神父の「老い」について語る実直なお話しは今の私にとても響く。

 

井上神父はこう語られる。

「老いることの大変さ、こればかりは75才前の若い方には考えても分からないことでしょう。

生きがいの基本は人の役に立つこと、大切にされること。それが一つ一つ出来なくなる。

生きがいの基本がなくなっていくことの虚しさ、悲しさ。

長~い夜の一人ぼっちの寂しさ、大変さ。

そんな時、空の手で(無心で)南無アッパに祈りをささげるのです。

アッパのお迎えが来る最後の時まで祈り続けられるようにご加祷ください。」

 

 

奉仕、子育て、仕事、家事?諸々 忙しくも充実した頃の私、感動した「詩」がある。

あゝ、この歳になって言葉の一つ一つがやっと少しわかってきた気がする。

 

最上の技

「この世の最上の技は何?

   楽しい心で歳をとり、働きたいけれども休み、しゃべりたいけれども黙り、

   失望しそうなときにも希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う。

   若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙遜に人の世話になり、

弱っても、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること。

 老いの重荷は神の賜物。

   古びた心に、これで最後の磨きをかける。

   まことの故郷へ行くために。

 おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのは、まことにえらい仕事。

   こうして何もできなくなれば、それを謙遜に承諾するのだ。

 神は最後に一番良い仕事を残していてくださる。それは祈りだ。

  手は何もできない。けれど最後まで合掌できる。

  愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見棄てじと。」 ヘルマン・ホイヴェルス

 

 

 

 

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