取り上げられているのは、近世の百姓一揆、明治初期の新政反対一揆、秩父事件、日比谷焼き打ち事件、関東大震災の朝鮮人虐殺である。いずれも集団による民衆の暴力事件である。
藤野さんによる新しい事実が提示されているわけではなく、今までになされた研究を、民衆の集団暴力という視点で再構成したものである。感心したのは、それらの研究を十分に咀嚼して、みずからの論旨にきちんと位置づけていることである。
民衆の集団暴力という現象をただたんに記すのではなく、「民衆の暴力の意味を考える際には、支配権力に抵抗していたか否かという点だけではなく、どのような論理で抵抗していたのかという点が重要となる」(38~9頁)という視点から、暴力の背後にいかなる論理があったのかを探っている。
取り上げられた百姓一揆から秩父事件までは、民衆が営んでいる生活、それを成りたたせている秩序、それが動揺したりするときに、民衆が立ち上がるということが共通項ではないかと私は思う。民衆にとって日々の生活が平穏に過ぎていくことこそが重要なのであって、それが出来なくなるということは本当にたいへんなことなのである。
日比谷焼き打ち事件は、日露戦争という民衆にとってはとてつもない戦争を担わされた(兵士として、戦費をまかなうための重税)という事実、しかしそれがポーツマス条約に表れたように報われていないということから発出した「いい加減にせよ!」という「論理」がによるものではないかと思う。
なぜか本書で取り上げられていないが、米騒動もそれにつながるものだろうと思うが、米騒動も取り上げられるべきであったと思う。
そして関東大震災の混乱のさなかに起きた朝鮮人虐殺事件。これは今までの暴力とは質的に異なると私は考えている。言うまでもなく、9月1日に大きな地震が起き、その翌日すぐに行政戒厳が出され、7日には「治安維持令」がだされた。その行政戒厳にもとづいて軍隊が派遣され、軍と官憲が一体となって震災が起きた東京とその周辺を「戦場」とした。その「戦場」で、在郷軍人会や官製の青年団などが、疑似兵士として「敵」を殺害したのだ。この関東大震災における朝鮮人虐殺は、1930年代の中国での日本軍兵士の蛮行とつながる事件として考えられなければならない。
たいへん良い本である。皆さんに是非推薦したい。