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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

面白半分

2019-12-27 20:45:55 | 社会
 権力者の「悪」を笑い飛ばす、というような文化ではなく、「笑いのための笑い」を提供する人が増え、またそれを受容する人々がいる。そして悪いことには、社会的弱者や被差別者を笑う、という風潮がひどくなっている。嘲笑である。

 大衆社会は、文化ではなく娯楽を欲しており、娯楽産業が提供する製品は、実際他のあらゆる消費財とまったく同様に社会によって消費される。

 これはハンナ・アーレントのことばである(「文化の危機」、『過去と未来の間』所収、みすず書房)

 もちろん「娯楽」は必要である。それは「生命過程の一部である」とアーレントは記す。しかしその娯楽は、文化を破壊するというのだ。

 文化が大衆に拡がるのではなく、娯楽の産出のために文化が破壊されるのである。

 私は、ネトウヨの書き込みや、彼らによるヘイト・スピーチもまた、彼らにとっては娯楽なのだと思う。私は別のブログで、汚いことばで悪罵を書きつけられたことがあり、それに対してまじめに反論しようと試みたことがあるが、それはまったくムダであった。彼らの悪罵には客観的な根拠があるのではなく、「仲間」からの受け売り、思い込みだけがあった。
 しかしそのような悪罵によって、傷つけられ苦しむ人びとがいる。そしてまた文化が破壊される。

 やっと、そうした悪罵やヘイト・スピーチが取り締まられるようになった。

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【本】愼改康之『ミシェル・フーコーー自己から脱け出すための哲学』

2019-12-27 13:24:29 | 近現代史
 岩波新書、10月刊行。

 本書は、「フーコーをこれから読みはじめようとしている人々」を対象に書かれたようだ。文字通り「入門」書。しかし「入門書」というのは、よほど丁寧に記していかないと「入門書」にはならない。いや丁寧に記したつもりでも、まったく門外漢が理解できる程度に書くことは至難の業である。「入門書」のほうが原典よりも難しいということが往々にある。とにかくやさしく書く、やさしく説明することほど難しいことはない。

 本書は、どうだろうか。ぎりぎり合格というところか。

 フーコーは、学問において新しい地平を切り開いた学者である。しかし、学問体系として完成させることはできなかった。学問体系の構築は、彼の死によってピリオドが打たれたのである。
 とはいえ、彼の学問が、社会学や歴史学に及ぼした影響はとてつもなく大きい。彼が残した厖大な「ことば」(書かれたもの、離されたもの)は、今も尚参照され続けている。

 本書は、フーコーが注目されるようになった『狂気の歴史』より以前の研究から紹介し、その後の彼の研究の変遷を追う。フーコーが、どのように考察の対象を設定し、何を考えてきたかなどが説明されている。それぞれの時期のフーコーが考察してきた成果を、わかりやすく説明しようという努力がみられる。しかし使われる語彙は自ずから制約され(それ以外の語彙をつかって説明することは難しいのだ)、新書という形での「入門書」は困難を示す。

 それでも、フーコーの「規律権力」、「従属化」、「生権力」(bio-power)、「生政治」(Bio-politics)などの語彙は説明されている。こうした語彙は、その後の社会学や政治学などにも多用されているので、一応は知っていないといけない語彙だ。

 しかし、やはり原典を読むに限る。原典を読んでからこうした「入門書」や「解説書」を読んだ方がよいと、私は思う。