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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

構造

2019-12-14 22:01:42 | 政治
 北原みのりさんが、医大関係者も安倍政権の卑怯な対応と同じようなことをしていることを指摘している。

 北原みのり「アベ政権的話術、医大にも」

 なぜこんなことがまかり通るのだろうか。ずっとそういうことがあったのかと振り返ると、そうではなかった、とも思う。道理がまだ生きていた。ウソや詭弁、詐術は「いけない!」ことであるという規範は過去、生きていたと思う。安倍政権になってからウソや詭弁、詐術が堂々とまかりとおるようになり、それは政治の世界だけではなく、大学や社会にも同じような傾向が蔓延してきている。

 ミチコ・カクタニの『真実の終わり』(集英社)を読みはじめているが、そこにこういう記述があった。

 真実を語ることに対していわば無関心な民衆が存在し、彼らが情報を得る方法や特定の主義に偏って考えるようになっていく過程に構造的な問題がなければ、想定できない現象だ。(11頁)

 ウソや詭弁、詐術を受容する民衆がいる社会、そういう社会ができあがる過程には、「構造的な問題」があるのではないか。

 そのような現象は、日本だけではなく、アメリカでも、イギリスでも起きている。だとすると、日本だけの現象として捉えるのではなく、広い視野で、どうしてこのような現象が起きてきたのかを「構造的に」考えなければいけないのではないか。

 あまりにもひどい現象が起きていても、最近報道された世論調査でも、安倍政権を支持するとこたえた者が40・6%もいる。なぜそうなのか。

 アメリカでも、虚言、無知、偏見、無作法などを露出しているトランプという人間に、なぜ支持を与えるのか。なぜなのか。

 イギリスでも、EUから離脱すればばく大なカネが生じ、そのカネは福祉に充当できるというデマが流され、それを信じてしまっている人びとがいる。なぜなのか。

 この三国に共通するのは、新自由主義的施策が永年おこなわれてきたこと、である。「構造的」というとき、この新自由主義を無視することはできない。新自由主義と虚言、無知、偏見、無作法、詭弁、詐術とはきわめて親和的なのではないか。

 私たちは、現在の否定的な現象を構造的に捉えていかなければならない、そう思う。


【本】ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

2019-12-14 13:09:10 | 
 読みやすい、半日で読み終えることが出来る。とはいっても、内容がうすっぺらではない。具体的な事実をもとに、ブレイディみかこさんの「地べた」からの視点からの思考が、読みやすい文体で書かれているからだ。

 イギリスで新自由主義が席捲したのは、1980年代のサッチャーの時代。それから30年以上も経過した。格差は大きく拡大し、ただでさえ階級社会であるイギリスが、新自由主義の経済政策によりさらに明確なかたちでその格差が見えるようになっている。そうした姿を、ブレイディみかこさんが素晴らしい筆致で見せてくれる。日本の将来でもある。

 折しも、イギリスでは総選挙が行われ、保守党が勝利したという報道がある。これでイギリスは、EUから確実に離脱することになろう。
 この問題がイギリス社会に大きな分断をつくりだし、イギリス国民はこの問題を早く解決させたいと思っているのだろうが、しかし離脱すれば、ブレイディみかこさんが見つめるイギリス庶民の生活が良くなる可能性はないのではないかと思う。やはり新自由主義的経済政策から脱却することが必要なのであって(その意味では、私は労働党の勝利を願っていた)、離脱すればものごとが解決するというものでもないと思う。
 しかし庶民にしてみれば、外国人が入りこんでくるという動きと、みずからの生活水準の低下、あるいは中層の人々の下層への剥落とが同時並行的に存在してきたため、外国人の流入をおさえなければみずからの生活は良くならないと思うようになってきたのではないか。
 外国人の流入は、欧米国家とその支配層がみずからの軍事的野望や経済的利益を求めて展開してきた外交政策の結果なのであって、外国人そのものが庶民の敵ではないはずだ。

 本書の内容に戻す。

 私の英語力の貧弱さから、sympathyという単語は知っていたが、empathyは知らなかった。 empathyという単語を知っただけでも収穫であった。

 sympathyは、同情、共感、思いやりであるが、empathyは、ブレイディみかこさんの紹介する訳では、「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」で、前者が「感情的状態」で、後者が「知的作業」、つまり後者は主体的な行為が含意されているようなのだ。イギリスの学校では、そういう能力を育成する教育が行われているようだ。

 そういう教育がなぜ行われているのかというと、イギリス社会が多様性に富んでいるからで、そういう多様性ある社会で生きていくためには、単なる感情だけではなく、その感情にもとづく主体的な行為が必要だからである。

 ブレイディみかこさんのご子息は、多様性ある中学校に在籍し、多様性の真っ只中に生きている。そこで起こってくる数々の問題(対応)を、親子で考えていく。親が子になにごとかを教え諭すのではなく、子どもと共に考えていくという、そういう眼差しがよい。

 この本は、多くの人に読んでもらいたい。





参議院選挙結果を考える

2019-12-14 09:11:11 | 近現代史
7月の参議院議員選挙の直後に書いたものである。

選挙の現状

 日本人は「公(権力)」に従順である。国(政府)や地方自治体が行うどのような政策でも、「公」がおこなうもの=「公平中立」であると認識され、それに従うことが当然とされる。実際は私的な政治勢力が「公(権力)」を握って政治を行うのであるが、「私」は「公」に隠される。かくして、政権をかえたり、自治体首長を取り替えるための選挙では、その「公」のベールをはがして私的な政治勢力が「公(権力)」を掌握していることを選挙民に知らせなければならない。そのために必要なものは、ある種のブーム(「ある物事がにわかに盛んになること」、『広辞苑』)である。多くの人が投票に行かなければならないという動因がつくられなければならないのである。それがないときは、現状維持が選択される。政権与党に投票する割合が3割、野党に投票するのが2割、その他が5割である。政治に日頃関心を持たない5割が投票に行くことにより、始めて政権が変わり、首長が交替する。

 そこで「公(権力)」を握る私的な政治勢力は、そうしたブームをつくらせないように努力する。たとえば争点をひっこめる。4月の浜松市長選挙で、スズキ康友が「水道民営化」に関して「検討の凍結」を宣言したように。  

 したがって、政治を変えるためには、ある種のブームをつくらなければならない。

参議院選挙におけるブーム

今回の参議院選挙では、安倍政権はそのブームが起きないように周到に作戦を練った。ひとつは国会において選挙の争点をつくらせないために、野党がいくら要求しても予算委員会を開かなかった。安倍首相らの「無能」が露呈すること、彼らの政策が庶民を苦しみに追いやるものであることを知られたくないからである。

 またメスメディア対策も入念に行った。日頃安倍首相はテレビ・新聞のトップや論説担当者らとしばしば会食し、安倍政権を批判するような報道をさせないようにしてきた。その結果、NHKはもとより、フジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、TBSは安倍政権のその要求にまったく素直に従った。

 選挙期間中、メディアは先述したブームをつくらせないように薄っぺらな選挙報道に終始した。メディアは、安倍政権の支配下にあるのだ。

野党はブームをつくろうとしたか

 政党は、政治権力を掌握し、みずからの政策を実現するために存在する。小さい政党は、他の政党と組んででも政治権力を確保し、みずからの政策実現に奮闘する。いずれにしても、政治権力を掌握しなければみずからの政策を実現することはできないのである。

 現実的に言えば、自民党、公明党が掌握している政治権力をどのように倒すか、それが考えられなければならない。とりわけ悪政の中の悪政を繰り広げる安倍政権を倒すことは喫緊の課題である。

 ではそのために、野党はどのようなブームをつくろうとしたか。残念ながら、そうした姿勢をはっきりと示したのは、山本太郎率いる「れいわ新選組」と一人区での「全野党共闘」だけであった。私は山本太郎に注目した。山本は10人の候補者をたて、まず票が集まったら、難病ALSの当事者・ふなごやすひこさん、生後8カ月で脳性まひを患い、両足や左手がほとんど動かせず、車椅子の生活をしている木村英子さんが当選するようにした。みずからの当選よりも、こうした障害者のため、国会に大きな改革をさせることを求めたのである。国会が重い障がい者を尊重することにより、高齢化が進む現代日本にそれを普及させようとしたのである(私たちもいずれは高齢となり障がい者となる)。

 残念ながら山本太郎のグループは、新聞やテレビに取りあげられることはなく、全国各地での演説会やインターネットを駆使しての選挙活動しか出来なかった。しかし演説会でもネットでも、ある種のブームが巻き起こっていた。その結果2議席を確保することが出来たし、選挙カンパが4億円も寄せられた。彼らの政策はダイナミックで、現在の自民党・公明党の悪政に真正面から対峙するものとなっている。

 また一人区では、全野党共闘が成立し、自民党候補と闘い勝利した。全野党共闘が成立したことが火付け役となって選挙民に投票に行かせるブームをつくりだしたのだ。野党はこの点でのみ評価される。ただし本当に安倍政権を倒し、壊憲を阻止したいのであるならば、全選挙区で候補者調整をするべきであった。その点で、私は野党が本当に安倍政権と闘う気があったのかどうか疑う。

 野党は、全国のレベルで、ブームをつくり出し得なかったのである。

社民党の位置

さて社会民主党は、2%の得票を得、一議席を確保した結果、政党要件(国会議員が5人以上所属するか、直近の総選挙、直近とその前の参院選挙のいずれかにおいて、全国で2パーセント以上の得票(選挙区か比例代表かいずれか)があること)をクリアできた。社民党にとっては一安心というところだろう。しかしこれはまさに「薄氷の勝利」であった。選挙の度ごとに、政党要件をクリアできるかどうかを心配しながら闘わなければならないというのは、いかにもみじめである。

 今回の参議院選挙に関して、社会民主党は、果たして「攻め」の選挙を行ったのかどうか。人びとの耳目を集めることができたのだろうか。その問いに、私は否定的である。

 歴史を振り返ると、社会民主党の前身である日本社会党は、細川護煕政権(1993・8~1994・4)の与党であった。その時の社会党の議席数は70、中選挙区制のもとでの議席であった。にもかかわらず細川政権が導入しようとした「小選挙区制比例代表並立制」に社会党は賛成した。みずからの足元を掘り崩す選挙制度に賛成したのである。この段階で日本社会党の行く末は決まったといってもよい。その通りに次の総選挙(1996・10)で社会党は15議席に後退。小沢一郎は、「社会党をぶっ壊さなきゃならない。それには小選挙区制という制度を、ほかにいい知恵があればほかでもいいんだけど、やらなきゃいかん」(『小沢一郎探検』(朝日新聞社、1991年)と言っていたが、小沢の意図を、日本社会党みずからがかなえてあげたのである。そして1996年1月、日本社会党は社会民主党と改称。原彬久はこの改称について、「この党名変更は、党の心機一転、さらなる躍進のシグナルではなく、半世紀に及ぶ党史への晩鐘となった。事実、日本社会党はこのときすでに昔日の面影を遠くに残し、党名変更に合わせるかのようにその歴史的役割を終えようとしていた」(『戦後史のなかの日本社会党』中公新書、2000年)と書いている。

 その後社民党の議席はさらに減っていった。その姿を見るのは忍びないが、しかしこれは自ら蒔いた種というべきである。社民党がここまで凋落してしまったその原因を、社民党中央はきちんと総括してきたのだろうか。

この間、社民党は、国会議員だけではなく、地方議員も大きく減らしている。社民党員が社民党を名乗らずに無所属で選挙にでたり、たとえば立憲民主党に鞍替えして出馬している姿をみると、「社会民主党」という政党名は、「マイナスイメージ」になってしまっているようだ。私には、原彬久が指摘したように、「(社民党は)その歴史的役割を終えようとし」ているようにしか見えない。「背水の陣」(一歩もひけないような絶体絶命の状況の中で、全力を尽くすこと)ということばがある。社会民主党には、それがないようだ。このままでは消えていくしかない。それでよいのか。社民党中央は、それに応えるべきだ。