副題に「ロシア・アイヌ・日本の三国志」とある。江戸期の日本と露西亜との関係を追ったものであるが、当然その場合、アイヌモシリ(北海道)やサハリン、千島列島の先住民たるアイヌの動向を無視しては、この関係を解明することはできない。
著者である渡辺は、『逝きし世の面影』で日本に来た外国人が、明治初期、どういうことを見たかを、彼らの訪問記や体験記で明らかにして見せたが、今度は近代国民国家成立前のロシア、アイヌ、日本の関係を様々な文献を渉猟して描いた。
私は、幕末期のロシア側の当事者、ラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンの名は知ってはいるが、具体的な交渉過程についてはほとんど知らなかった。本書を読んではじめて具体的な情景を思い浮かべることができるようになった。もちろん、その交渉過程で、間宮林蔵や最上徳内、高田屋嘉兵衛、そして幕府の家臣たちも登場してくることはいうまでもない。それぞれの個性もよく描かれ、なかでも高田屋嘉兵衛はきわめて魅力的な人物として描かれているし、また幕臣たちも儒教という普遍的な思考を元に、ロシア人らときわめて人間的に接していることが記されている。
また幕府当局者の避戦外交方針が強固に根づいていることがよくわかる。私は、歴史講座で、江戸幕府の外交政策が終始一貫して避戦方針であったことを発見し、維新以後の好戦的な近代国家の在り方と比較して、江戸幕府の評価をもっと高めるべきであることを話したこともある。そうした説を裏付けることが、本書にも記されている。
本書でも指摘されているが、対ロ交渉をになった官僚は優秀であった。これも幕末にかけて、対外交渉で活躍した幕臣たちと同様であるが、優秀な官僚を活躍させるシステムや人物がいたなら、薩長の者どもによる近代日本国家とは異なった近代日本が立ち上がったのではないかということを示唆している(374頁)。
そして渡辺のアイヌに対する温かい眼差しのなかから、「幕吏はたしかに商人資本の手からアイヌを保護しようとしたが、それは同時にアイヌを日本臣民化し、二級の国民として徳川国家に包摂することにほかならなかった。幕府の慈恵を受けいれることで、アイヌは自立の途を完全に失ったのである」という結論を導き出している(470頁)。
アイヌの自立性、主体性を、渡辺は本書の中に具体的に記しているが、なにゆえにアイヌはみずからの国家を樹立しなかったのかという問いに対する答えとして、上記のように記したのである。
ロシアとアイヌ、幕府、松前藩、商人たちとの交流を本書の中にみることによって、私たちは江戸期の北方でのイメージをもつことができるはずである。
日本の歴史をみるということは、こうしたアイヌモシリから北の地域の歴史をみることでなければならない。かつて鹿野政直は『鳥島ははいっているか』という本で、あなたの歴史認識に「鳥島」は入っているかと問うたが、同じように、私たちの歴史認識にアイヌやロシアの動向が入っているか、ということなのだ。
そのために、本書は役に立つはずである。
著者である渡辺は、『逝きし世の面影』で日本に来た外国人が、明治初期、どういうことを見たかを、彼らの訪問記や体験記で明らかにして見せたが、今度は近代国民国家成立前のロシア、アイヌ、日本の関係を様々な文献を渉猟して描いた。
私は、幕末期のロシア側の当事者、ラクスマン、レザーノフ、ゴローヴニンの名は知ってはいるが、具体的な交渉過程についてはほとんど知らなかった。本書を読んではじめて具体的な情景を思い浮かべることができるようになった。もちろん、その交渉過程で、間宮林蔵や最上徳内、高田屋嘉兵衛、そして幕府の家臣たちも登場してくることはいうまでもない。それぞれの個性もよく描かれ、なかでも高田屋嘉兵衛はきわめて魅力的な人物として描かれているし、また幕臣たちも儒教という普遍的な思考を元に、ロシア人らときわめて人間的に接していることが記されている。
また幕府当局者の避戦外交方針が強固に根づいていることがよくわかる。私は、歴史講座で、江戸幕府の外交政策が終始一貫して避戦方針であったことを発見し、維新以後の好戦的な近代国家の在り方と比較して、江戸幕府の評価をもっと高めるべきであることを話したこともある。そうした説を裏付けることが、本書にも記されている。
本書でも指摘されているが、対ロ交渉をになった官僚は優秀であった。これも幕末にかけて、対外交渉で活躍した幕臣たちと同様であるが、優秀な官僚を活躍させるシステムや人物がいたなら、薩長の者どもによる近代日本国家とは異なった近代日本が立ち上がったのではないかということを示唆している(374頁)。
そして渡辺のアイヌに対する温かい眼差しのなかから、「幕吏はたしかに商人資本の手からアイヌを保護しようとしたが、それは同時にアイヌを日本臣民化し、二級の国民として徳川国家に包摂することにほかならなかった。幕府の慈恵を受けいれることで、アイヌは自立の途を完全に失ったのである」という結論を導き出している(470頁)。
アイヌの自立性、主体性を、渡辺は本書の中に具体的に記しているが、なにゆえにアイヌはみずからの国家を樹立しなかったのかという問いに対する答えとして、上記のように記したのである。
ロシアとアイヌ、幕府、松前藩、商人たちとの交流を本書の中にみることによって、私たちは江戸期の北方でのイメージをもつことができるはずである。
日本の歴史をみるということは、こうしたアイヌモシリから北の地域の歴史をみることでなければならない。かつて鹿野政直は『鳥島ははいっているか』という本で、あなたの歴史認識に「鳥島」は入っているかと問うたが、同じように、私たちの歴史認識にアイヌやロシアの動向が入っているか、ということなのだ。
そのために、本書は役に立つはずである。