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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

アメリカのアフガン軍事作戦の虚構

2019-12-12 22:56:43 | 国際
アメリカのアフガン侵攻が、いかにあほらしくムダなことであったのかを示す。

アメリカとはそういう国だ。しかしこうした軍事行動により、確実にカネを儲ける者どもがいる、その一方で、罪なき人々が無数に殺される。しかしその集団殺戮は、誰も罰せられない。

福永武彦の小説・「人の魂をゆさぶる」

2019-12-12 19:55:22 | その他
 福永の「遠方のパトス」と「心の中を流れる河」の二作品を読んだ。

 後者の作品は、中途半端のままに終わっているという気がしたのだが・・・。
 牧師とその妻子、妻の妹・梢と別居する夫、医学生・鳥海太郎、その父、そして薬局の娘・百代が登場人物である。北海道の辺地が舞台である。牧師と太郎、そして梢が主要人物となる。いったいこの小説のテーマは何だろう。牧師は教会でペテロの弱さを語る、それを聴いた梢はその解釈を批判する。人間の弱さ?梢は、牧師自身の臆病さを指摘し、安全地帯でびくびくして生きている人間が、「人の魂をゆすぶることなんか出来」ない、と指弾するのだ。

 「人の魂をゆすぶる」・・・久しぶりにこのことばを見た。「人の魂をゆすぶる」ように、話したり書いたりしていないなあ、と思う。

 私はキリスト者ではないが、キリスト者との付き合いはある。キリスト者たちは聖書に書かれていることを理解しようと様々な解釈を試みる。私にとっては、聖書に書かれていることは物語なのだが、キリスト者にとってみれば信仰の中身そのものなのである。ここではイエスとペテロの関係を解釈しているが、梢の解釈の方が妥当性があるように思えた。

 前者の登場人物は四人であるが、二人は間接的にしかでてこない。沢一馬、そして安井。実在の人間はもう一人郵便配達人がいる。一人は戦争に行って人を殺すのは嫌だと、山中湖で自殺する。しかしその自殺には女性・弥生の存在が関わる。
 これも短編なので、テーマはあやふやである。しかし、この小説にパトスは感じられない。「遠方のパトス」という題だから、パトスはここにはないのだ。

 愛からは一杯の水も生まれて来ない。愛することは浪費だ。自分のものを与えることだ。僕たちにはもう与えるものなんかありはしない。

 戦時下を体験した世代には、パトスが生じることはないのだ。戦争が、パトスを奪い去った。そういうことなのだろう。
 
 沢は、みずからのパトスを、通常のパトスとは異なるものを定置する。「何も求めないで、しずかに愛する」と。戦争で傷ついた者は、もうこれ以上傷つきたくないのだ。

 しかし、パトスがなければ「人の魂をゆさぶる」ことはできない。
 

平沢計七のこと

2019-12-12 19:48:46 | 近現代史
大杉栄・伊藤野枝・橘宗一墓前祭

大杉らは、1923年の関東大震災の混乱のさなかの9月16日、憲兵隊によって惨殺された。。毎年9月、大杉らの墓がある静岡・沓谷霊園と、橘宗一の墓がある名古屋(日泰寺)で 墓前祭を開催している。2019年、静岡は9月14日、名古屋は15日であった。静岡の墓前祭では、大和田茂氏による「亀戸事件の犠牲者平澤計七の生涯と大杉栄」というテーマの講演があった。大和田氏には『評伝 平澤計七』(恒文社)という著書がある。今号は、その平澤計七について記す。

平澤計七

平澤は1889年7月14日、新潟県小千谷市に生まれた。父は鍛冶職であった。平澤は小学校(高等科)卒業後、日本鉄道株式会社大宮工場の職工見習いを経て、1906年には同工場の職工となった。同年日本鉄道は国有化され、鉄道院管轄となった。1909年平澤は鉄道院新橋工場に転勤する。その年から1912年までの兵役を経て、同年11月、できたばかりの鉄道院浜松工場に転勤となり、工場の近くの、現在の東伊場・県定平方に下宿した。

 平澤は鉄道院浜松工場に勤めながら、短歌結社「曠野会」(加藤雪膓ら)に入会し、また戯曲や小説を書き、演劇を見るために東京に足を運ぶなど、文学や演劇活動にいそしんだ(「福島と貫ちゃん」が『読売新聞』懸賞小説で選外佳作になっている)。それ以外にも浜松工場の技師・西村賢蔵と共に「友愛会(浜工友愛会)」を設立した(1913年4月)。「友愛会」は、「会員相互の意思の疎通を計り親睦共力一致相愛し扶助」を目的とした消費組合的なものであった。

 しかし平澤は、1914年9月、浜松工場をやめて東京スプリング製作所に転職、同時に、鈴木文治が始めた「友愛会」(1912年結成)に加入して労働運動に入っていく。
平澤がみた浜松 平澤の戯曲に「夢を追う女の群れ」という作品がある。浜松のことを書いたものだ。その最初にこういう記述がある。

 さまざまの人が通った。其人達は皆慣習に憧れる力に支配されている。

浜松市の人びとは、「慣習に憧れる力に支配されている」と、平澤はみた。そしてこういうせりふ台詞を入れている。

 日本という国の浜松と云う町には自分を無くした幽霊ばかり住んでいる。
そして登場人物の青年は、しづという女性にこう語りかけている。
 人間はねえしづさん、自分で自分の身をまも衛らないじゃいけないんだよ。・・自分で自分を衛るにはね、世の中をみんな知って仕舞わねばいけないんだ。でなくばね、世の中をまるで知らない方がいい。・・・世の中をみんな知って仕舞うか、でなくばみんな知らないようにならなきゃあ。今までの娘さんのように盲目になるか、でなくば、ぱっちりと眼をあけて仕舞うか。


確かに、政治社会の諸問題の原因を知り、社会の構造を知ってしまうと、何とかしなければならないという思いから、何をすべきかを考えていく。それが自分を「衛る」道となる。しかしそういうことをまったく知らなければ、時流に流されるままに、「自分を無くした幽霊」として生きていくしかない。もちろん平澤は、人間は「世の中をみんな知って仕舞わねばいけない」と考え、こういう台詞を記したのだ。

 またもう一つ、平澤が浜松市民の排他性を指摘した文がある(「浜松市民足下」)。

「成る程、鉄工場は出来た、市の利益になるであろう、然し市の風紀をどうするつもりだ、無智な乱暴な労働者が集って市の平和を破壊しやしないか市の道徳を乱しやしないか」

 各地から集まった労働者たちに向けられた、こうした浜松市民の眼差し、それは労働者への差別的な態度として現れた。例えば下宿を貸さないなど。そういう現実に対応して結成されたのが共済的な「友愛会(浜工友愛会)」であった。

 労働運動家としての平澤 東京に移って友愛会の活動家になった平澤は、友愛会の全国労働者大会において演説した。「諸君、ここ茲に一本の腕がある、これ是は1915年の労働者の腕である。」と語り始め、日本の進路は労働者の腕にかかっていると説いた。平澤は会長の鈴木文治の知遇を得て友愛会の本部書記となり、さらに出版部長になった。平澤は文学や演劇を通して労働者を啓蒙したいと考えたが、支持は得られなかった。その後友愛会内部の知識人により労使協調が批判され、1920年友愛会から抜けることになった。平澤は労使協調しながら労働者が経営に参加していくという理想をもっていたのである。

 第一次大戦後、労働争議が頻発し、平澤も争議を指導する中で労使協調路線の虚妄を認識していった。他方日本初の労働劇団を結成し、また生活協同組合や労働金庫の創設に尽力した。路線の異なる労働組合の統一を試みるも失敗。治安維持法の前身である過激社会運動取締法案などの反対運動も行った。

虐殺された平澤

平澤は東京の亀戸・大島地区で労働争議を指導、警察と対立することもあり警察から目をつけられていた。また平澤の文学作品には反戦、反軍を表現したものもあり軍にとって要注意人物であった。

 1923年9月1日、関東大震災が起きると、亀戸警察署は約700名を検挙、その中には純労働者組合の平沢けい計しち七、中筋宇八、なんかつ南葛労働会の川合義虎、加藤こうじゆ高寿、北島吉蔵、近藤広蔵、佐藤欣治、鈴木直一、山岸じつじ実司、吉村こう光じ治がいた。彼らは9月3日夜に検束され、同日夜から4日未明にかけて(4日夜から5日未明にかけてとする説もある)、習志野騎兵第十三連隊の兵士によって亀戸署構内または荒川放水路で殺害された。関東大震災の混乱の中、大日本帝国は、平澤ら労働運動家、大杉栄・伊藤野枝ら社会主義者を殺したのである。

平澤計七と現代

 平澤が生きた時代は、日本の労働運動が動き始めた時期であった。平澤にとっての労働運動は、労働条件の改善などを経営者に求めるだけのものではなく、消費組合、労働金庫などをつくることによって労働者が相互に助けあっていけるような、労働者の生活全般に関わるものであった。また労働者は労働するだけではなく、文学や演劇など芸術にも関心を持つべきだとして、労働劇団を組織したり、民衆芸術研究会を結成したりした。それはなぜか。

 平澤にとって、労働運動とは「人格運動」であった。現実の社会や労働現場などで、労働者は人間性や人格が傷つけられる。労働運動の中で、労働者は人間性を回復するのである。労働運動は、人間性を取り戻す手段なのであった。

 平澤が生きた時代、労働者が厳しい過酷な労働環境の中、低賃金で働かされていた。当然、人間性も抑圧されていた。現代もその時代と相似的になっている。

 今、労働運動は見えなくなっている。労働組合は何をしているのであろうか。また労働者が、そして庶民が人間性を回復する場はあるのだろうか。殺伐とした現代社会、平澤が志向した、相互に助け合い、芸術に人間性を求める場を創造することはできないのだろうか。平澤が抱いていた問題意識は、解決されずに残されている。 

「凡庸」と闘うために

2019-12-12 07:47:49 | 近現代史
ある報道

 10月31日、 『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋刊)を著した相澤冬樹氏が、「森友捜査の女性元特捜部長が大阪地検ナンバー2の次席検事に栄転」という記事をyahooニュースに掲載した。

 相澤氏のことを説明しておくと、彼はもとNHK記者。NHKの大阪司法記者クラブ担当であったとき、森友事件に遭遇して取材を進め、事実をきちんと報じていたところ、2018年森友担当を外される。安倍政権に「忖度」するNHKに見切りをつけNHKを退職、現在は大阪日々新聞記者である。

 記事の内容は、「森友事件の捜査で注目された当時の大阪地検特捜部の女性特捜部長が、函館地検検事正を経て大阪地検ナンバー2の次席検事に就任することになった。山本真千子氏。大阪地検次席検事に来月8日付けで就任する。おととし、大阪地検特捜部が森友学園の籠池泰典元理事長と妻の諄子さん夫妻を逮捕・起訴したのも、去年5月、佐川宣寿元国税庁長官をはじめ背任や公文書改ざんで刑事告発された財務官僚らを全員不起訴処分としたのも、彼女が大阪地検特捜部長の時だった。公文書改ざんでは財務省近畿財務局の職員が無理矢理改ざんさせられたことを苦に自ら命を絶ったが、誰もおとがめなしだったのである。山本元特捜部長はその後同期のトップを切って函館の検事正に就任したことから「ご褒美人事」と揶揄されたが、今回の異動はもっと凄い。大阪地検次席検事になると組織の出世階段が約束されたようなものだ。例えば今回の人事で、今の次席検事は次は大阪高検次席に、前の次席は今は高検次席で次は大阪地検トップの検事正になる。ここまで来ると全国8か所の高等検察庁のトップである検事長まで進むことが多い。認証官と呼ばれ、大臣らと同じく天皇陛下から直接認証を受ける名誉ある官職だ。現在の検察組織ナンバー3の大阪高検検事長も大阪地検検事正経験者だ。山本真千子元大阪特捜部長は見事に検察の出世コースに乗ったのである。」というものである。

 この山本真千子のように、安倍晋三とその政権に「貢献」した者が「出世」していく、そうした事例はもはや数え切れないほどだ。官僚たちはそれをじっと見つめ、どのようにしたら「出世」できるのかを考える。その答えは容易に出て来る。要するに、安倍政権の意向に沿いながら差別をすること、これである。

差別することと「出世」

 日本国憲法第14条は、法の下の平等をうたう。差別してはいけない、というものである。ところが安倍晋三とその仲間たちは、憲法を平気で無視する。戦争法、共謀罪など、例を挙げきれないほどである。この森友問題について言えば、本来もっとも追及されるべきは、公文書を改竄した佐川宣寿元理財局長や財務官僚であり、籠池夫妻ではない。しかし検察は、法の適用にあたって、公然と差別を行い、籠池夫妻だけを起訴した。差別を行った山本真千子は「出世」街道をばく進している。政治の世界は言うまでもなく、さらに検察や官僚の世界でも、差別はしてよいこととなったのである。 
 そして裁判所も、である。

 今年の9月19日、東電刑事裁判(被告は、東日本大震災当時の東電幹部・勝俣恒久、武黒一郎、武藤栄)の判決が言い渡された。彼らは無罪と判示された。福島原発の巨大な被害に対して、誰も刑事責任がない、追及しても無罪となってしまう。被害者がいるとき、必ず加害者がいる、それは当たり前のことだ。しかし原発事故において、加害者は罰せられない、安倍政権が原発推進政策をとっているからだ。

 このように、司法(裁判所)も、検察や官僚と同様に、安倍政権にとってマイナスの判決はださないようになっている。それは沖縄辺野古新基地建設をめぐる沖縄県の提訴が、ことごとく退けられていることからも明らかである。

 日本国憲法第76条第3項には、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とある。今や裁判官は、「良心」ではなく、安倍晋三とその政権への「忖度」により判決を書いているのである。裁判官も、安倍政権とその関係者が喜ぶようなことをして、おそらくみずからの「出世」を期待しているのである。

アイヒマンのこと  

アイヒマン(1906~1962)は、ドイツのナチス親衛隊中佐であった。第二次大戦中のユダヤ人虐殺の責任者であったが逃亡。アルゼンチンで逃亡生活を送っていたが、イスラエル秘密警察に逮捕され、エルサレムで裁判が行われ死刑となった。

 なぜアイヒマンは、ユダヤ人集団虐殺の責任者となったのか。政治学者のハンナ・アーレントはアイヒマン裁判を傍聴して、アイヒマンがなぜユダヤ人虐殺を行ったのかを考えた。その結果は、「彼は愚かではなかった。まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」(『エルサレムのアイヒマン』みすず書房)というものである。つまり、20世紀の最大の悪事を働いたアイヒマンは、愚かでも、悪人でもなかった、ただナチズムがつくりあげたシステムを何の疑いもなく受容し、そのシステムの中でひたすら働いただけの役人であったのだ。アイヒマンは、きわめて凡庸な(=平凡でとりえのないこと)ふつうの人物であった、だからこそ
ユダヤ人虐殺という悪を働くことができたのだ。

 安倍政権下の検察や官僚、裁判官をみていると、このアイヒマンを想起する。安倍政権が行っている悪事を、まったく考えることなく、言われるがままにこなしていく。それが自分たちの仕事であると心得ているかのようだ。

 アーレントが主張したことは、思考せよ、みずからが入りこんでいるシステムを批判的に見つめなさい、ということであった。

凡庸による悪と闘うために

 現代日本は、安倍政権による独裁政治下にあると言ってもよいだろう。そしてその独裁政治は、考えない凡庸な人間たちによって支えられている。残念ながら、そういう凡庸な人びとが政治の中枢に入りこんで、安倍政権に対して一斉に「御意!」と叫んでいるのだ。

 私たちはそうした凡庸な人々に対して、何度も何度も、憲法とは何か、人権とは何か、民主主義とはいかなるものかなどを教えていかなければならない。「上意下達」に慣らされた、考えようともしない人たちに、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(日本国憲法第97条)である人権や民主政治の原理を対置していくのである。

 私たちもそうした原理をみずからのものにしなければならない。

メディアの「忖度」

2019-12-12 07:22:56 | メディア
「東京新聞」
 監督・藤井道人、出演・シム・ウンギョン(韓国版「のだめカンタービレ」の主役)、松坂桃李らが出演する映画「新聞記者」(一人の新聞記者の姿を通して報道メディアは権力にどう対峙するのかを問いかける衝撃作。東京新聞記者・望月衣塑子のベストセラー『新聞記者』を“原案”に、政権がひた隠そうとする権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者と、理想に燃え公務員の道を選んだある若手エリート官僚との対峙・葛藤を描いたオリジナルストーリー。2020年1月、シネマイーラで再上映予定)やその望月衣塑子記者を撮影したドキュメンタリー映画「iー新聞記者ドキュメント」(森達也・監督、これも2020年にシネマイーラで上映予定)、いずれも話題になっている映画である。

 望月記者は「東京新聞」社会部の記者である。「東京新聞」を発行しているのは、中日新聞東京本社、中日新聞が買い取るまでは「都新聞」であった。「東京新聞」というように、発行している地域は関東圏である。静岡県は東部がそのエリアに入っている。

 その「東京新聞」を私は購読している。配達は朝ではない、夕方である。夕刊が配達されない日は翌日配達になる。それでも私は「東京新聞」である。なぜか。

 私は「朝日新聞」をずっと購読していた。しかし小泉政権時、小泉政権が仕掛けた“郵政選挙”の際、「朝日新聞」は社説で驚くべきことを書いていた。「それにしても、小泉首相はこれまで見たこともない型の指導者だ。「郵便局は公務員でなければできないのか」「民間にできることは民間に」。単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる。」(2005年9月11日付)。がそれである。社説で「単純だが響きのいいフレーズの繰り返しは、音楽のように、聴く人の気分を高揚させる」というようなことを書く神経。社説というのは新聞社の主張である。その主張が、小泉の演説に聴き入ってしまっている。1930年代、ナチス・ヒトラーの演説に聞き惚れたドイツ国民と紙一重である。ここにジャーナリズムの精神はカケラもない。私は即座に「朝日新聞」の購読をやめた。

 しばらくの空白を経て、私は「中日新聞」(東海本社)をとりはじめた。しかし、東海本社発行の「中日新聞」は、報ずる価値がないような地域ネタで覆いつくされていた。報ずる価値のないような地域ネタが、時に第一面を覆うこともあった。地域ネタは、購読者を増やすための手段である。記者は、地域ネタを書くために地域を這いずり回り疲弊する。新聞報道のあるべき姿は、少しでも批判的精神をもった記事を載せることである。東海本社発行の「中日新聞」は、批判的精神よりも購読者増加が目的となっていた。また私は購読をやめた。
 そして「東京新聞」をとりはじめた。

 「東京新聞」は、菅官房長官に鋭い質問をくり返す望月衣塑子記者が活躍できる社である。「社説」は(「中日新聞」系列でほぼ同じであるが、異なるときもある)批判的精神に富むものが多く、それ以外に、二面をつかった「特報」欄や前川喜平氏らの「本音のコラム」、「新聞を読んで」(日曜日)、「核心」欄など、読むところが格段に多い。新聞を読む時間は、圧倒的に増えた。

「東京新聞」でも不満だ

  2019年11月24日付の「新聞を読んで」は、武田砂鉄氏が書いていた。表題は「厳しい言葉の局面では」である。氏は、「東京新聞」11月19日付の見出しを俎上にあげる。安倍晋三が在職最長となったという記事の見出し、「政治遺産乏しく」、「長期政権に緩み」に対して、「乏しい」ということは「政治遺産」が少しでもあるというのか、「緩み」というのは「完全に弛緩しきっているわけではない」ということなのか、と問うのだ。

 安倍政権は消費税を2度引き上げ、治安維持法の再来と言われる共謀罪、そして安保法を強引に成立させた、しかし拉致問題はまったくの進展もなく、韓国など周辺諸国と緊張関係をつくり出し、また諸外国に大金をばらまいているだけではないか。武田は、安倍政権に「政治遺産」は少しでもあるのか、「桜をみる会」や森友・加計問題にみるまでもなく、「弛緩しきっている」のではないか、と問い詰めるのだ。

 だとすれば、安倍政権を批評する言葉は、もっと強くなければいけないのではないか、厳しい言葉をぶつけるべきではないかと言うのである。

 私は全面的に賛同する。メディアは、ある意味で「行儀」がよすぎるのだ。

共同通信配信記事

共同通信社は記事を各メディアに送るだけで、みずからの媒体はネットだけである(但しネット記事は要旨のみ)。そこにこういう記事があった。

 見出しは、「自民、参院改選議員に招待枠 桜を見る会、選挙利用と批判も」で、記事は、「今年4月に開かれた首相主催の「桜を見る会」を巡り、自民党が1月、7月の参院選で改選を迎えた党所属の参院議員に、後援会関係者らを「4組までご招待いただけます」と記載した案内状を送っていたことが18日、関係者への取材で分かった。間近に選挙を控えた議員に便宜を図ったと取られかねない内容で、税金が投入された公的行事を選挙に利用したとの批判が上がりそうだ。」(11月19日付)である。末尾の「間近に選挙を控えた議員に便宜を図ったと取られかねない内容で、税金が投入された公的行事を選挙に利用したとの批判が上がりそうだ。」は、記者かあるいはデスクの「忖度」である。客観的にみれば、「間近に選挙を控えた議員に便宜を図った」のであり、「税金が投入された公的行事を選挙に利用した」ことは事実なのだから、厳しい言葉をぶつけるべきなのだ。

 こういう書き方は、もちろん共同通信だけではなく、他の新聞記事も大同小異である。要するに、メディアが安倍政権に「忖度」して、完全に「黒」なのに、あたかも「灰色」のように書き、みずからは高みの見物を決めて「批判が上がりそうだ」などとのたまうのである。

 なぜ悪名高き安倍政権がかくも長く続くのか。そのひとつの理由が「東京新聞」を含めたメディアが腰を引いた書き方をしているからではないか。

理非曲直を正す

「理非曲直を正す」という言葉がある。「道理にあっていることとはずれていること、道徳的に正しいこととあやまったことを明確にする」というような意味である。メディアの役割は、「理非曲直」を明らかにすることではないか。テレビメディアは言うまでもないが、新聞も「理非曲直」を正すことをせずに、政治権力に「忖度」し続けている。
 これはもちろん、メディアだけの責任ではない。「理非曲直」を正すことを求めない風潮が社会に存在しているからでもある。だからこそ、新聞メディアに期待するものが大きいのである(テレビメディアには、もう期待するものは何もない)。