1932年12月、小林多喜二はシゲティのバイオリンで、この曲を聴いた。隣の席には弟の三吾がいた。しかし多喜二は弟と何も話さずに、群集の中に消えていった。三吾が多喜二を見た最後であった。
多喜二はクラシック音楽が好きであった。
私は、10年まえ、シゲティのこの曲を演奏したCDを購入していた。しかし録音は1932年ではなく、1961年のものであった。今、それを聴いているが、老いを感じるなあ。音色に不安定なところがある。果たして大丈夫なの?と思えるような個所もある。
1932年、シゲティは40歳であった。おそらくもっと若々しい演奏をしたのだろう。
今月、「小林多喜二とその時代」をテーマに話すことになっている。多喜二全集をすべて読んだ。多喜二の文学的な才能は、素晴らしいと思う。
戦後まで生きていたら、どういう作品を遺しただろうかと思う。
多喜二はクラシック音楽が好きであった。
私は、10年まえ、シゲティのこの曲を演奏したCDを購入していた。しかし録音は1932年ではなく、1961年のものであった。今、それを聴いているが、老いを感じるなあ。音色に不安定なところがある。果たして大丈夫なの?と思えるような個所もある。
1932年、シゲティは40歳であった。おそらくもっと若々しい演奏をしたのだろう。
今月、「小林多喜二とその時代」をテーマに話すことになっている。多喜二全集をすべて読んだ。多喜二の文学的な才能は、素晴らしいと思う。
戦後まで生きていたら、どういう作品を遺しただろうかと思う。