hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

躾教育とは?

2012-12-27 | スキルアップ
●人は変わる

話し方教室で感じることであるが、3か月たつと人間がガラッと変わる。
こんなに変わるものか、と思うほど変わる。
特に若い人は、その変化が大きく、驚くばかりである。
最初は、まともに挨拶ができない若者が、3か月もすると、全く別人になる。
話し方も、オドオドしていた人間が、しっかりしたプレゼンテーションができるようになる。
教えている方は、面白いだろう。自分のアドバイスで、こんなに変化するのだから。
それも、お金を貰って感謝されるのだから、こんなに良い商売はないと思う。

20代、30代、40代、50代と様々な人が受講しているが、その変化は若い人ほど大きい。
おそらく歳を重ねるにつれて、それなりにできている。
しかし、若い人は、経験も乏しく、少し練習することで、大きく伸びる。
挨拶も話し方もスキルであるから、練習すればするほど、その成果はでてくるということだろう。


●ゆとり社会の弊害か?

一昔前、ゆとり社会がもてはやされた。
その結果、どうであろうか?
学力の低下をはじめ、道徳教育や躾教育を“疎かに”してきたと思う。

特に道徳教育やしつけ教育は、どうであったか?

道徳や躾は、家庭で行うものである。
道徳や礼儀は、親が厳しく教えて初めて身に付くものである。
今の若い親は、それができるのかどうか、わからないが・・・
家でできていないから、学校で教えてほしい、と言うのは甘えと思うがどうであろうか?

「学校で」と言うのは簡単だが、マイナスからプラスに持っていくのは大変である。
ゼロから教えるのは、ある程度できるが、今まで間違ったことを身についていれば、修正は大変である。
学校の先生はストレスを感じることが多いと、TVで言っていたが、妙に納得する。


●整理整頓

「整理整頓」今まで何度聞いた言葉だろうか。

誰でも一度は聞いたことがある言葉であり、知らない人はいないと思う。
しかし、ではみんなが「整理整頓」ができているかと言えば、答えはNO。
知っていてもできない知識は、知らないことと同じである。
だから、「整理整頓」を売り物にしているコンサルタントがいるし、関連本も売れている。

私の部下のM君。
仕事はできるが、「整理整頓」が苦手である。
机の上は、いつも散在している。
注意すれば、片づけるのであるが、翌日はまた同じ状態である。
と言う私も、得意ではないが・・・・。

実は、彼の部屋を訪ねてみた。
案の定である。
足の踏み場もない。
別な表現をすれば、「床が見えない状態」である。

事前に連絡して訪ねたのであるが、上司を迎える状況ではないことは間違いない。
ある程度、想定はしていたが、どのように対応してよいか、私も思案した。
よくTVにでてくる「お掃除コンサルタント」を呼ぼうかと思ったほどであった。

しかし、現実はそうもいかない。
では、どうするか思案すること、30秒。


●捨てること

限られた部屋で、モノを買えばそれだけ嵩張るのは当然である。
理想を言えば、大きな部屋に引っ越せばよいが、現実的な話ではない。
部屋の大きさは限られているから、中もモノを減らすことで、ゆとりはでてくる。

そう、捨てることである。
不要のものを捨てることが、片づけの第一歩である。
この捨てることが、まさに整理整頓の「整理」である。
物理的に不要なものを捨てることで、空間は広がり、見栄えが良くなる。
掃除の基本である。

と言うことで、まずは不要の雑誌を捨てることにした。
あちこちに散乱している雑誌を集めて、ひもでしばり、外に出す。

10束程度出しただろうか。
その結果、非常に大きな変化が現れた。
これだけ出すだけで、今まで見えなかった床が見えだしたのである。

M君は、無表情で片づけをしていたが、アドバイスした私のほうが驚きである。

当初、叱り飛ばそうと思ってきたが、怒っても成果はでない。
私のストレスは発散できるかもしれないが、当人のモチベーションは下がるし、継続的な効果はないことはわかっている。

そこで、考えたのが、ほめること。

「すごいね。できるじゃない」
「片づけの天才だね」

当人は、ニヤッと笑っていたが、満更でもなさそうな雰囲気であった。

雑誌を片づけたら、不要なモノを一つひとつ捨てていく。
ごみ袋に入れて外に出す。
時間が経過するにつれて、捨てるモノの量が増えていく。
45Lのごみ袋にいくつ出しただろうか。

その結果、最初は見えなかった床が半分以上見えるようになったことは驚きである。

その間、2時間半である。
最後まで確認して、彼と共に完了(?)をお祝いしたかったが、
7割程度片付いた段階で、彼の部屋を後にしなければならなかった。


●すべてはスキルである

話し方教室で徹底的に鍛えられる「挨拶」そして「話し方」、さらに「整理整頓」
これらは、家庭で親がしつける「教育」である。
「教育」とは、あるべき姿に向かって、繰り返し繰り返し練習をして、「あるべき姿」に近づけることである。

家庭で、きちんと「しつけ」を行っていれば、「挨拶」や「整理整頓」が話題になることはない。
しかし、「挨拶」を教えるマナー教室は繁盛している。
「お掃除本」も本屋では平積みとなっている。

このような社会現象が起こるのは、“家庭のしつけができていない”と言って終わらしてよいのだろうか?

確かに、「家庭での躾教育」は大切であり、実践してもらいたい。


べつな見方をすれば、「挨拶」も「傾聴」も「話し方」も「片づけ」もスキルと考えてはどうだろうか?

スキルであれば、基本を学んで繰り返しトレーニングすることである。
自分に備わっていないスキルであれば、謙虚に初歩から学ぶべきである。

謙虚に自分を見つめてみることが重要である。
すべて完璧な人間はいない。
例えば、英会話が苦手である、音楽が苦手であるのであれば、初歩から学ぶ価値はあると思う。

「できないから恥ずかしい」
「人に聞くのは恥ずかしい」
と思うのが一般的な人かもしれない。

一方で、
「まだ、知らないスキルがあった。トレーニングすれば、まだまだ伸びることができる」と前向きにとらえることである。

そうすることで可能性は広がる。

ひたすらトレーニングする人は、必ず成長することだろう。

一番簡単なテーマであるが、永遠のテーマでもある。

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