「好きこそモノの上手なれ」
この言葉を聞いて、どのようなことを感じるだろうか?
どのようなことを思い出すのだろうか?
「好きなこと」をやるのは楽しい。楽しいことは時間を忘れる。
時間が忘れるほど、熱中して取り組んでいる。
その結果、新たな発見をしたり、新たな気づきが見えたりする。
そうすると、また楽しくなり、より好きになる。
昔、ゴルフに熱中していたことがある。
もともと自然の中で汗を流すのが好きである。
練習を一生懸命にやって、
ドライバーでボールがまっすぐ飛ぶ爽快感は忘れることができない。
真直ぐに飛べば、また練習したくなる。
コースの帰り道に、練習場に良く立ち寄ったことを覚えている。
アイアンもしかりである。
ショートコースで、150Yをぴったり寄せた快感は忘れることができない。
ミドルコースでは、軽くドローをかけたら、またピンに寄って行った。
つま先下がりのライから打ったボールは、軽いフェードがかかりピンに寄っていく。
こうなると、楽しくて仕方がない。
セカンドショット。平らなところはまずない。
“つま先下がり“や”左足あがり“など、フラットなケースはほとんどない。
その対策に、どうしたか?
現場の大工さんから、合板と桟木をもらい、斜面を造ったとがある。
大きさは1m四方である。
そこをコースの斜面とみなして、毎日素振りをした。
どのように打てば、ボールを払うように打てるか、試行錯誤の連続である。
レッスン本を読み、実践してみて、反省する。
さらに工夫して、合板斜面の上で、レッスンする。
週末には、コースに出て、自分で築いた打ち方をやってみる。
“つま先上がり”の斜面では、少々短く持って、前に押し出すように打つと、
軽いドローぼーろとなり、ピンに寄っていく。
この快感がたまらない。
一打でも成功すると、また翌日からの練習に励みとなる。
まさに、“好きこそものの上手なれ”である。
自分の好きなことは、一生懸命にやるし、それに関して勉強したり、調べたり、工夫する。
これだけ努力すれば、当然、上達もしてくる。
しかし、本人にとって、この努力は苦痛ではない。
むしろ、楽しみなのである。
飯を食べずに、取り組んでいる時間が、この上ない幸せな時間なのである。
さらに、アプローチ、パターと同じように、創意工夫を繰り返していった。
コースに出ている間は当然のこと、24時間ゴルフのことを考えていた。
電車の中でも、自分の課題に対して、どうすれば上手くなるか考える。
そこで考え付いたアイデアを練習に活かす。さらにコースに出て、実践する。
また、家に帰れば、反省ノートの山である。
イメージ力の弱い私でも、これだけ創意工夫をすると、徐々に結果が出た。
120、130と叩いてゴルフが、100を切り、90台に突入。
さらに80台で安定し始めて、たまに70台も出るようになった。
楽しいばかりであった。
この“ゴルフ“という単語を”勉強”と言う言葉に置き換えてみよう。
また、この“ゴルフ”と言う言葉を“仕事”という単語に置き換えてみよう。
ゴルフと同じストーリーを言うことが可能である。
その根本が、“好きであること”だと思う。
何をするにしても、“好きになること”である。
好きになれば、7割成功したのと同じである。
後は、何も言わなくても、勝手に動きだす。
親が子供に勉強させたければ、“勉強の楽しさ”を教えるだけである。
後は、勝手に子供が楽しみながら勉強するだろう。
上司は、部下に“仕事の楽しさ”を教えるだけである。
そうすれば、部下は創意工夫して、上司の要望以上の仕事を楽しんで行うだろう。
“好きこそモノの上手なれ”とは、良く言ったものである。