「要領が悪い」原因とは
昔を振り返ってみると、非常に「要領が悪い」と思う。
とくに、勉強の仕方は、反省することが多々ある。
要領の悪い原因は何であろうか?
今考えられることは、三つある。
一番目の理由は、あきらめが早いこと。
二番目の理由は、「だいたい」で終わらすこと。
三番目の理由は、イメージ力が乏しいこと。
●あきらめが早いこと
好きなことは、一生懸命やるが、それ以外のことは努力をしなかったのではないかと思う。
音楽は苦手であった。
一人で歌うとそれなりに歌えるが、みんなと歌うと、少し音程が外れることがあった。
合唱の練習の際、そのことを音楽の教師から指摘され、それ以来、音楽が嫌いになり、練習することはなかった。
小学校の時の嫌な思い出である。
今でも、カラオケが苦手ななのもそれが原因だと思う。
一方で、体育は大好きであった。
運動神経は「並」くらいだったが、動いて汗をかくのが好きだった。
ドッチボールや棒登りは得意種目であった。
しかし、水泳や鉄棒は芳しくない。
不得意だから、水泳の練習をしたかと言えば、小学校・中学校・高校と全然練習をしない。
当然不得意である。
突然練習を始めたのは、30歳半ばになり、スイミングプールに通いだしてからである。
きっかけは忘れたが、週2回か3回通っていた。
最盛期などな、1時間半位ノンストップで、力泳していた。
出張の際にも、海パンをバックに入れて出かけた。
札幌や松本では、空いた時間を利用して、泳いでいたのを覚えている。
ということは、興味を持てば、一生懸命に練習をする。
練習をすれば、当然上達するので、面白さがわかる。
そうすれば、練習にネツが入り、どんどん上達し、体も鍛えられる。
その結果、肺活量が6000CCを超えていたのを覚えている。
興味が湧けば、一生懸命に練習するし、勉強もする。
しかし、興味がわかなければ、当然勉強もしない。
どうやれば、興味が湧くようになるのか。
若手教育では、「メモをとれ」と言っている。
そうすれば、自ずと興味が湧き、自発的に行動する。
子供ならどうすれば、興味が沸くだろうか?
「ほめる」ことだと思う。
人間、子供でなくとも、大人になっても、褒められれば嬉しいし、頑張るようになる。
しかし、学校でも、家でも、会社でも、ほめられた試しはほとんどない。
「昔の人は、ほめるのが下手」というが、その通りだと思う。
「ほめる」ことで、部下がやる気をだし、業績が上がればこれほど嬉しいことはない。
今は、ただただ部下を褒め、最大限に自主性を発揮させ、見守るだけである。
●「だいたい」で終わらすこと
「脳に悪い7つの習慣」から引用する。
『仕事や勉強をしていて、まだ完全に終わっていないのに、「だいたいできた」と考えると、能率が下がる』
『途中で、「完成した」「できた」「達成した」という言葉は、脳にとっては“否定語”である。』
『「だいたいできた」ということは、実際は「まだできていない」はずであるが、脳は「だいたいできた」という“否定語”によって、思考することをやめてしまう』
このことに関しては、思い当たることがある。
学校の勉強は常に「だいたいできた」で終わっていた。
社会人になっても資格を20余とったが、失敗も多い。
その原因は、「だいたいできた」である。
具体的言えば、「テキストを読んで終わり」ということが多かったと思う。
教科書やテキストを読んで終わり、つまりインプットで終わりということが多かったと思う。
その結果、理解が不十分でる。
当然、記憶に定着せず、試験結果は、伴わない。
今思えば、「アウトプット」中心にやって場合は成果が出ている。
小学校の理科の授業では、「表」などは、何度も何度も手書きをした。
その結果、必然と暗記され、その部分に関しては、完全に暗記され、テストでもできた。
社会人になり、記憶にあるのは「宅建」である。
法律には疎かったので、解説書は一番薄いものを買い、ひたすら暗記に努めた。
その後は、ただただ、問題集を解いたことを覚えている。
同じ問題集を10回ぐらい解いたのではないか。
問題集を解くということは「アウトプット」である。
「アウトプット」を繰り返すことで、「だいたい」から「完全」に変わり、記憶が定着する。
さらに、「技術士」に挑戦したときも、手書き中心の勉強であった。
経験論文はひたすら書いて覚えた。800字詰め原稿用紙5枚を丸暗記した。
一般課題や社会問題なども予想問題を作成し、答えも事前準備する。
当然、どのような問題が出るかわからないが、分野別にパターン化して、40題位覚えたと思う。
文章を書くのは苦手であったが、結果として、2年で合格できたのだと思う。
まさにこの2年間は、アウトプットの連続であり、「だいたい」から「完全にできた」領域まで達していたと思う。
●イメージ力が乏しいこと
今でもイメージ力が乏しい。
日常、風景を見ても、頭の中で、残像が浮かばない。
仮いに浮かんでもぼんやりで、ボーとしている。
原因は、右脳の使い方にあると思う。
というよりも、左脳ばかり使い、ほとんど右脳を使っていないのだと思う。
その証拠に、音楽や絵画は不得意である。
詩を書くことや俳句や短歌なども縁がない。
であるから、試験勉強の際にも、イメージ力を利用して、画像で覚えることができない。
スキーやゴルフのイメージトレーニングを行なっても、イメージが浮かばず、すぐやめてしまった。
そのためか、何事も、結果を出すまでには時間がかかり、「要領が悪い」ということになる。
でも、最近は、文章を書く事にも興味を覚え、このようにブログを書いている。
また、オープン講座では、「朗読」にも挑戦している。
さらに、2日ほど前、父親の書斎から、「デッサン」の本を取り出した。
どういうわけか、「絵を描いたい」、という気持ちが高まってきている。
たしかに今まで、「右脳」を使ってこなかったのは事実である。
できないのではなく、ただ、使っていないだけである。
ということは、「右脳」を使うことで、これからの開発が可能である。
すでに100近くまで使っていたら、「ノビシロ」は無い。
が、まだ3とか5の段階であれば、90以上の「ノビシロ」がある。
このように考えると、無限に成長が可能であり、楽しみである。
仮に、10に達したら、今の倍以上の右脳の活用であるから、その成果はすごいと思う。
「イメージ力」が活性化することで、別な世界が開けると思うと、ワクワクドキドキしてくる。
今から、楽しみが増えたことは嬉しい限りである。
昔を振り返ってみると、非常に「要領が悪い」と思う。
とくに、勉強の仕方は、反省することが多々ある。
要領の悪い原因は何であろうか?
今考えられることは、三つある。
一番目の理由は、あきらめが早いこと。
二番目の理由は、「だいたい」で終わらすこと。
三番目の理由は、イメージ力が乏しいこと。
●あきらめが早いこと
好きなことは、一生懸命やるが、それ以外のことは努力をしなかったのではないかと思う。
音楽は苦手であった。
一人で歌うとそれなりに歌えるが、みんなと歌うと、少し音程が外れることがあった。
合唱の練習の際、そのことを音楽の教師から指摘され、それ以来、音楽が嫌いになり、練習することはなかった。
小学校の時の嫌な思い出である。
今でも、カラオケが苦手ななのもそれが原因だと思う。
一方で、体育は大好きであった。
運動神経は「並」くらいだったが、動いて汗をかくのが好きだった。
ドッチボールや棒登りは得意種目であった。
しかし、水泳や鉄棒は芳しくない。
不得意だから、水泳の練習をしたかと言えば、小学校・中学校・高校と全然練習をしない。
当然不得意である。
突然練習を始めたのは、30歳半ばになり、スイミングプールに通いだしてからである。
きっかけは忘れたが、週2回か3回通っていた。
最盛期などな、1時間半位ノンストップで、力泳していた。
出張の際にも、海パンをバックに入れて出かけた。
札幌や松本では、空いた時間を利用して、泳いでいたのを覚えている。
ということは、興味を持てば、一生懸命に練習をする。
練習をすれば、当然上達するので、面白さがわかる。
そうすれば、練習にネツが入り、どんどん上達し、体も鍛えられる。
その結果、肺活量が6000CCを超えていたのを覚えている。
興味が湧けば、一生懸命に練習するし、勉強もする。
しかし、興味がわかなければ、当然勉強もしない。
どうやれば、興味が湧くようになるのか。
若手教育では、「メモをとれ」と言っている。
そうすれば、自ずと興味が湧き、自発的に行動する。
子供ならどうすれば、興味が沸くだろうか?
「ほめる」ことだと思う。
人間、子供でなくとも、大人になっても、褒められれば嬉しいし、頑張るようになる。
しかし、学校でも、家でも、会社でも、ほめられた試しはほとんどない。
「昔の人は、ほめるのが下手」というが、その通りだと思う。
「ほめる」ことで、部下がやる気をだし、業績が上がればこれほど嬉しいことはない。
今は、ただただ部下を褒め、最大限に自主性を発揮させ、見守るだけである。
●「だいたい」で終わらすこと
「脳に悪い7つの習慣」から引用する。
『仕事や勉強をしていて、まだ完全に終わっていないのに、「だいたいできた」と考えると、能率が下がる』
『途中で、「完成した」「できた」「達成した」という言葉は、脳にとっては“否定語”である。』
『「だいたいできた」ということは、実際は「まだできていない」はずであるが、脳は「だいたいできた」という“否定語”によって、思考することをやめてしまう』
このことに関しては、思い当たることがある。
学校の勉強は常に「だいたいできた」で終わっていた。
社会人になっても資格を20余とったが、失敗も多い。
その原因は、「だいたいできた」である。
具体的言えば、「テキストを読んで終わり」ということが多かったと思う。
教科書やテキストを読んで終わり、つまりインプットで終わりということが多かったと思う。
その結果、理解が不十分でる。
当然、記憶に定着せず、試験結果は、伴わない。
今思えば、「アウトプット」中心にやって場合は成果が出ている。
小学校の理科の授業では、「表」などは、何度も何度も手書きをした。
その結果、必然と暗記され、その部分に関しては、完全に暗記され、テストでもできた。
社会人になり、記憶にあるのは「宅建」である。
法律には疎かったので、解説書は一番薄いものを買い、ひたすら暗記に努めた。
その後は、ただただ、問題集を解いたことを覚えている。
同じ問題集を10回ぐらい解いたのではないか。
問題集を解くということは「アウトプット」である。
「アウトプット」を繰り返すことで、「だいたい」から「完全」に変わり、記憶が定着する。
さらに、「技術士」に挑戦したときも、手書き中心の勉強であった。
経験論文はひたすら書いて覚えた。800字詰め原稿用紙5枚を丸暗記した。
一般課題や社会問題なども予想問題を作成し、答えも事前準備する。
当然、どのような問題が出るかわからないが、分野別にパターン化して、40題位覚えたと思う。
文章を書くのは苦手であったが、結果として、2年で合格できたのだと思う。
まさにこの2年間は、アウトプットの連続であり、「だいたい」から「完全にできた」領域まで達していたと思う。
●イメージ力が乏しいこと
今でもイメージ力が乏しい。
日常、風景を見ても、頭の中で、残像が浮かばない。
仮いに浮かんでもぼんやりで、ボーとしている。
原因は、右脳の使い方にあると思う。
というよりも、左脳ばかり使い、ほとんど右脳を使っていないのだと思う。
その証拠に、音楽や絵画は不得意である。
詩を書くことや俳句や短歌なども縁がない。
であるから、試験勉強の際にも、イメージ力を利用して、画像で覚えることができない。
スキーやゴルフのイメージトレーニングを行なっても、イメージが浮かばず、すぐやめてしまった。
そのためか、何事も、結果を出すまでには時間がかかり、「要領が悪い」ということになる。
でも、最近は、文章を書く事にも興味を覚え、このようにブログを書いている。
また、オープン講座では、「朗読」にも挑戦している。
さらに、2日ほど前、父親の書斎から、「デッサン」の本を取り出した。
どういうわけか、「絵を描いたい」、という気持ちが高まってきている。
たしかに今まで、「右脳」を使ってこなかったのは事実である。
できないのではなく、ただ、使っていないだけである。
ということは、「右脳」を使うことで、これからの開発が可能である。
すでに100近くまで使っていたら、「ノビシロ」は無い。
が、まだ3とか5の段階であれば、90以上の「ノビシロ」がある。
このように考えると、無限に成長が可能であり、楽しみである。
仮に、10に達したら、今の倍以上の右脳の活用であるから、その成果はすごいと思う。
「イメージ力」が活性化することで、別な世界が開けると思うと、ワクワクドキドキしてくる。
今から、楽しみが増えたことは嬉しい限りである。