hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

価値観

2013-03-27 | 親孝行

今は桜の季節である。

いつまで桜の花が咲いているか非常に気になる。

日々変化する天気や気温の変化に一喜一憂している。

でも、この変化が楽しい。

我が家では、椿も咲き、モミジの葉が色づき始めた。

春は、四季の中でも変化があり、違いを楽しむのがまた良い。

 

この変化や違いは、季節だけではない。

街並みも良く見ると、違うことに気づく。

当たり前の話だが、同じ家は一軒もない。

黄色い壁の家もあれば、グレーの壁の家もある。

マンションもあれば、個人民家もある。

当然である。でもこの違いを見ながら、意外と楽しんでいるかもしれない。

もし、同じ街並みであったらどうであろうか?

どの家も2階建てで、塀の色はグレー。窓や玄関の配置も同じ。

それこそどれが自分の家かわからなくなる。

酔っぱらって帰ったら、どこかわからなくなりそうだ(笑)

仮に、このような景色が延々と続いていればどうであろうか?

味気なく、面白味もない街並みに違いない。

 

季節も同じであろう。

日本は四季があるが、仮に1年365日、今日(3/27)と同じ気候であったらなばどうであろうか?少々肌寒く、桜のチリギワをヒヤヒヤしながら見ている。

毎日毎日このような状態であったならば、天気予報でも桜の話はでないし、誰も桜に見向きもしなくなるだろう。

実際の天気は日々変化し、毎日違うから楽しいのであろう。

 

では、人間ではどうであろうか?

背の高い人もいれば、低い人もいる。

相撲取りのように太っている人もいれば、モデルのように痩せている人もいる。

足の速い子供もいれば、文章が得意な人もいる。

さらに、音楽が得意な子もいるし、絵が上手い人もいる。

世界中をみても、自分と同じ人がいるだろうか?

隣の人と考え方も違うだろうし、同じクラスの人でも価値観も違うだろう。

そうが当然なのである。

 

しかし、人間は頭でわかっていても、実際の行動になると、違うようだ。

自分の価値観を押し通そうとする人が多い。

 

例えば、嫁舅問題である。

最近は核家族化しており、昔に比べたら少ないかもしれないが、永遠のテーマであろう。

お嫁さんと義理のお母さん。

義理のお母さんと同じ年のお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ場所で生まれたお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ教育を受けたお嫁さんはいるだろうか?

義理のお母さんと同じ家庭で教育を受けたお嫁さんはいるだろうか?

 

いないと思う。

 

仮に義理のお母さんと同じ年のお嫁さんがいたら、なんと恐ろしい家だろう(笑)

義理のお母さんとお嫁さんは、年も違うし、育った環境も異なる。

当然、考え方や価値観は異なるのは、当たり前である。

 

異なるのが当たり前なら、ではどうすればよいのか、ということである。

自分中心に考えていれば、「違う考え方」に出くわす。

さらに「違う価値観」に違和感を覚える。

そうすれば、腹が立つし、時には喧嘩もする。

当然である。

異なる者同士、自分中心に考えていれば、一生交わることはない。

 

では、どうすればよいのか?

どうすれば、義理のお母さんとお嫁さんは仲よくできるのであろうか?

例えば、講演会場であれば、ここで意見を求めたくなる。

研修であれば、グループワークの時間になる。

各グループで検討し、様々な考え方を共有することで、気づきがある。

 

しかし、今はブログであるので、このまま書くことにする。

「自分中心の考え方」から「相手中心の考え方」に変えるのである。

「自分軸」から「相手軸」に、軸足を変えるのである。

相手の立場に立ち、考えてみることである。

お嫁さんなら、「義理のお母さんならどのように考えるだろうか?」

義理のお母さんなら、「うちのお嫁さんは、どんな価値観で判断するだろうか?」

このように考えることで、双方の妥協案が産まれてくるだろうし、今までとは違った結論に到達するに違いない。

相手から一方的に「こうしなさい」「うちの考え方はこうです」と押し付けられれば不満が出る。

しかし、双方で自主的に自分の考え方を変更するのであれば、不満はない。

ちょっと、軸足を変えるだけで、解決することができる。

 

答えは身近にある。

軸足を変えることに気づくか、気づかないだけである。

そして、気づけば、あとは実行するだけである。

 


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