10年ぶりに旧友に会い、母親談義をした。
・男はみなマザコンである。
・いくつになっても母親は、母親である。
・「母親に誉められたい、認めてもらいたい」という気持ちがいくつになっても強い。
・その母に対しての想いは、年を取ればとるほど増してくる。
・母親に対する気持ちが強ければ、それが仕事の張り合いになる。
お互いに、母親に対する気持ちを語り合い、互いに納得するばかりであった。
彼は、今年の初め母上を亡くされたとのこと。
「今はとてもやるせない。どうしてよいのかわからない」
「母親に対する呪縛からは解放された」
「反面、心に穴が開いてしまった。この気持ち、どこに向けたらいいのかわからい」
その気持ちは痛いほどよくわかる。
親に対する気持ち。
私も父親が病院に入院して亡くなるまで、毎朝父親の顔を見るために病院に通った。
だんだんと衰える父を見るとやるせなかった。
人間、必ずゴールはある。
その終末に向けて、一歩一歩近づいていく。
医師からカウントダウンを聞かされるたびに、心が張り裂けそうになった。
その時の気持ちは、子供として、切ない。
しかし、ゴール後は「もう病院に通わなくてもいいのだ」と思う反面、
親に対する思いは、日々込みあげてくる。
「ああすればよかった、こうすればよかった」
何ともやるせない気持ちである。
特に、毎日毎日その姿を見ていたものにとって、何とも切ない気持ちであった。
父が亡くなり3年が経過した。
私は、毎朝、父親と会話をしている。
父の遺影の前で話をする。
最初は2~3分程度であったが、5分、10分となり、最近は15分位話をしている。
遺影の前では、心を開くことができる。
家族の前でも、100%自分の心を開くことができる人は少ないと思う。
しかし、遺影の前で父と話を始めると素直な気持ちになり、何でも話せる。
私は、「霊魂はいる」と信じている。
「霊魂なんて迷信だ」という人もいるだろう。
「霊魂がいることは、科学的に証明できない」という人もいるだろう。
では、そのような方に質問したい。
「霊魂がいないことを科学的に証明してください」
この質問に対して答えを出せる人はいるでしょうか?
「いることも証明できないし、いなことも証明できない」
であるならば、「霊魂は存在する」と考えた方が気持ちは楽になる。
ということで、私は毎朝、父の遺影の前で父と話をしている。
自分の心を素直な気持ちで見つめることで、今までに気付かなったことに気付くこともある。
その結果、心は解放され、ストレスもなくなる。
3年間、私は、父親の霊魂を信じて対話してきた。
肉体は滅びても、霊魂があることを信じて、私は救われてきた。
私のやり方が正解というつもりはない。
一つの対処方法である。
最後は、男二人、涙を流していた。