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風に吹かれて ころんの日記

自然を愛しそよ風のような日記 

中尊寺本堂へ

2007-08-18 | 旅と自然
初代清衡、二代基衡の後を引き継いだ秀衡の時代が平泉の絶頂期であった。

秀衡は先祖の偉業を引き継ぐ形で毛越寺を完成させると、

柳之御所の再整備を行うと共に無料光院から御所、

平泉館という平泉政治中枢をつくりあげていった。



かの源義経が平泉に落ち延び、その後秀衡が死を迎えたことで平泉の榮華は一転する。

鎌倉に幕府をもくろむ源頼朝は義経追討を大議名文に平泉に攻め込んだのである。

陸奥は源義家が安部氏との戦いを交えて以来の源氏の宿意の国。



頼朝は陸奥を手中に収める機会を狙っていたのだ。

100年の榮華を誇った奥州藤原氏であったが鎌倉軍に敗れた4代泰衡は敗死。

こうして平泉は文治五年(1189)に終焉を迎えたが、

その存在は中世日本のターニングポイントとなった。



清衡公は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失う

という波乱の半生をかえりみて、戦争で命を失った敵・味方の人々、

さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、

戦争のない平和で平等な社会をつくりたいと願いました.



境内の赤松よく手入れされておりました。

境内の風景サムネイルにしました。

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タグはnon-nonさまにお借りいたしましたいつもありがとうございます。

その後金色堂へ向かいました。多くの文豪の足跡もあり散策しました。
次アップいたします。