しっぽのかぁちゃん

ちびっちゃいけれど、
肝は太い 緑
恥ずかしがり屋だけれど、
心は広い 虹

弟3号4号

2019-06-27 22:01:03 | 日記


青太郎の急逝は家族のみんなにとって衝撃でした。


青太郎の後を追いそうになる玄太郎を


必死につなぎ止めるので精いっぱいの日々。


惇も暑さから決して良い調子ではありませんでした。



暗くよどんだ家の中を明るくし、


玄太郎に生きる力を取り戻させるには、これしかないと一大決心。


いきなり弟2狆登場。


すんなり受け入れてくれた惇。


目がピカッと光った玄太郎。





惇の薫陶のおかげですくすく育つ緑・虹。

緑のギブスが外れてからは、穏やかな穏やかな毎日になりました。












弟たちの日々が穏やかになってきた半面、


惇の状態は厳しくなって行きました。


優しく家のルールを教えてくれた惇への


緑虹の思いの深さを感じさせられる日々でもありました。




惇兄ちゃんの教えは、緑虹の心の中で生きています。




弟2号

2019-06-26 19:56:49 | 日記



ほんわか弟の次の弟は、嵐を呼ぶオトコでした・・










玄太郎は青太郎にオマカセで、座布団の上で監督したました。


それでも、「2」とは違う愉しさを味わえていたと思います。

















介護もそれほどハードな時期ではなく、3狆であちこちに行きました。

お出かけを静かに楽しんでいました。




2狆にもどっちゃった・・




惇の日

2019-06-25 19:13:40 | 日記
1年たちました。











トントンから惇々になった日


新幹線の駅のホームです。


じぃ~っと見ていました。


「ここはどこ?」というかんじではなく、


「ここをしっかり覚えておくんだ」という視線でした。






金兄ちゃんにご挨拶。


大・大・大好きなお兄ちゃん。


弟でいられたのは、約3カ月でした。






弟1号















優しい優しいお兄ちゃんぶりでした。


青が無茶をしてもまず、怒りませんでした。


へとへとになるほど遊んでくれたし。



3狆で朝ご飯

2019-06-17 20:01:31 | 日記



久しぶりに3狆で朝ご飯を食べました。


いつぶりか、思い出さないほどです。






いつもは、玄と緑虹は別々に散歩に行くので、


朝ごはんも別々です。


母都合により、本日は一緒に散歩。





玄太郎一人で留守番(Bどのはまだまぁ~だ夢の中ですぅ)させるのはねぇ。


惇とお留守番の時は、


4狆一緒にご飯を食べていたんですけれどぉ。





ごはんの時のシートを出して来たら、


ちゃんと覚えていました。


緑なんか大喜び。




玄は顔を突っ込んでたべるんです。


息継ぎぐらいしたらどうだ、と思うほどこのまま。







虹は食べ終わりました。


瞬食ではなくなりましたが、あっという間にたべちゃいます。






ちょっぴりずつ、よく噛んで食べる緑。


朝はドライも少し食べさせているので、一粒一粒。



当然、ものすごぉ~く時間がかかります。







玄も虹も緑に注目。


が、緑のごはんを強奪することはありません。


未練と言うか、なんというか、関心はあるのよね。





「緑が食べ終わるまで待っていなさい」なんていわないんですよ。


なのに、待っているのよねぇ。




緑は、はやくて15分、下手すると30分かかります。


かぁちゃんが居なくなると緑は食べないので、私は新聞を読んでいます。


じぃ~っと見守って欲しいとは言わないので、まぁいいか。




虹の位置が、笑えるでしょ。


食べこぼすものを狙っているんです。


すばやいですよ~







閖上

2019-06-14 20:27:38 | 日記
「閖上(ゆりあげ)」というところに慰霊に行ってきました。


名取(なとり)市、閖上です。


名取は仙台市の南隣りです。


田んぼが続くのどぉ~かなところ。


ここ10年くらいで、仙台市に通勤する方のベッドタウンになってきました。


広い田んぼを津波がぐんぐんと押し寄せる映像、記憶に残っておられるでしょうか。







名取市の一番高いところから眺めです。


濃い青の所が海です。


海岸から、真っ平ですよね。


高いところがないの。


犠牲が多かった理由です。





名取市の震災メモリアルです。


小学生の子たちが続々と訪れていました。





手前の黒い石碑に、亡くなられた方々のお名前が刻まれています。


石碑は私の背より(165センチ)少し高いです。


後ろのメモリアルは、津波の高さ(8.4m)と同じです。


この高さの津波がきたんです。





高いところがない地域ですもの、逃げる余裕するらなく、


ひとたまりもなかったでしょう。







閖上湊神社の狛犬さん。


踏ん張ってくれてありがとう。





かさ上げがされ、だいぶ整備がすすみましたが、


まわりは、こんな感じ、8年たっても工事車両だらけです。




この辺にあったおうちはみんな移転。


屋上が津波からの避難施設になっている市営住宅が、幾棟か建っていますが、それだけ。



新鮮な海の幸が水揚げされ、


元気な浜のおんちゃん、おばちゃんの売り声が響いていた、


あのなんともいえないぬくもりは、ありません。





整備された、朝市です。


きれいだけれど、きれいだけどサ・・






慰霊と新しくオープンした「かわまちテラス」に行くことが目的でした


海ではなくて川です。


野に生きるものは、エライ!!


葦(あし)が青々と復活していました。




葦と言えば葦切り(ヨシキリ、とりさん)。


行々子(ぎょうぎょうし)と言う別名は、鳴き声から。


にぎやかに鳴いていましたよ。







あと何年が過ぎたら、あの懐かしい浜の様子が復活するのでしょう。


お見守りくださいね。