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山下吹(24) 別子銅山は、元禄12年(1699)に真吹であった

2021-01-03 09:20:32 | 趣味歴史推論
 別子銅山の真吹の記録は、山下吹(18)「別子銅山の山下吹」に記したように、「別子銅山公用記」所収の「別子銅山覚書」の元文4年(1739)が、筆者が探したうちで最も古いものであった。しかし開坑(元禄4年(1691))から真吹をしていたと思われるので、より古いものを住友史料で探した。その結果、別子銅山公用帳一番「銅改めの風袋引き・欠立に付き出願」に真吹銅が出ていた。1)→図 以下に示した。(句読点、送り仮名、字の変更を筆者がした)

 書付を以って奉り願い候御事
銅御改めの儀、前方は風袋縄1秤にて500目ずつ御引き下され候ところに、去る寅(1698)10月より直掛に仰せ付けられ、大分欠が立ち*(かんがたち)申しに付き、御了簡の上仰せ上げられ、風袋600目ずつ御引き下され、今直掛に御改め請申候御事。
・右銅の儀、真吹銅は水に冷やし申すに付き濡れおり申す、床尻は寸灰(すばい)多く付き候故、干し候えば大分欠が立ち、迷惑仕り候に付き、去る寅11月御願い申し上げ、御吟味遊ばされ候ところ、真吹銅68貫目内にて5貫800目欠が立ち、床尻銅12貫100目内にて600目欠が立ち申し候御事。
・右御改め御覧遊ばされ候とおり、大分減り申す物にて御座候間、何とぞ直掛銅1秤に付き、1貫200目ずつ減り代御引き遊ばされ下され候様に奉り願い候御事。
右のとおりに御座候故、毎日銅大分欠が立ち、迷惑仕り候間、御慈悲の上 願いのとおり仰せ付けられ下され候はば、忝く存じ奉るべく候、以上。
 元禄12年卯(1699)5月2日      泉屋平七
    矢部城介殿
    今西藤蔵殿
    花房丈右衛門殿

考察
 真吹銅と床尻銅の秤量の際の縄風袋、水、寸灰の付着による減り代を変えてほしいと役人に願い出ている文書である。
*欠が立つ(かんがたつ):(近世語)めべりする(旺文社 古語辞典)
床尻銅は素吹で得られ、真吹銅は真吹で得られることから、別子銅山では素吹して真吹していたことが明らかである。
銅改めは中持背負い単位の約30kg(8貫目)を縄で縛って秤量したであろう。2)
真吹銅の場合 68貫目/8貫目≒8秤となる。正味銅68貫目に付着水が5貫800目と多かった。真吹銅の付着水はなかなか乾燥しにくいようである。真吹銅の表面には、細かな凹部がかなりあったのであろう。
1秤に付き付着水は5800目/8=725目となる。そこで、1秤に付き 縄+付着水=600目+725目=1貫325目 のところを1貫200目の減り代としてお願したことになる。
床尻銅の場合 12貫100目=1秤とすると、縄600目+付着寸灰600目=1貫200目の減り代をお願いしたことになる。
この元禄12年の前年元禄11年(1698)でも既に真吹銅の改めであったことから、その時から真吹であったといえる。

まとめ
 別子銅山は、元禄12年(1699)に真吹であった 

注 引用文献
1. 住友史料館編 「別子銅山公用帳一番・二番」p68(思文閣 昭和62 1987)→図
2. 本ブログ「別子荒銅の荷姿は?」2020.1.16
図 別子銅山公用帳一番 銅御改之儀


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