気ままな推理帳

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切上り長兵衛妻子の墓と播磨新右衛門息女の墓

2019-10-03 21:48:34 | 趣味歴史推論

2019-9-13に公開したブログ「切上り長兵衛妻子の墓と幡広新右衛門息女の墓」は、間違いがあったので、修正して、2019-10-3に再度投稿しました。修正箇所は、住友史料館から頂いた見解に基づいています。

  切上り長兵衛妻子の墓の左隣に播磨新右衛門息女の墓がある。この少女は長兵衛妻子と同様に元禄大火災の犠牲者でないにも拘わらず犠牲者の列にある、という不可解を解く推理をしたい。この二つの墓が並んでいることに何か意味があるはずである。少女の墓について調べる。青鉄平石で、大きさは、棹石 幅45cm 高さ95cm 総高120cm(写真1)

 知清童女     广新右衛門息女 元禄6酉年713日  キリーク:あり  蓮の台:なし 

は異体字字典にはないが、幡であろうか。よって广→幡広と考え、「幡広」という地名や苗字を検索したがなかった。住友史料館の見方は、「播磨」であった。当時の手代クラスがふつう苗字を名乗ることはないので、これは「播磨国の、あるいは播磨から流れてきた鉱夫」程度の意味で、新右衛門を形容した表現と想像するとのことである。

念のため、幡广、播广で苗字を検索すると、どちらも実在することがわかった。播广(はりま)姓は、兵庫県、徳島県におられ、先祖は播磨出身と推定される。以上のことから、幡広を訂正して、播磨新右衛門とした。

歿年月日は、大火災の9カ月前である。少女の立派な墓が泉屋手代の墓の列にあることから、父の新右衛門は泉屋手代ではないかと予想した。曽我幸弘らは平成19年(2007)に瑞応寺の住友墓地で墓を調査して報告書にまとめている。1)2) 泉屋名を冠した墓は43基あった。(表1) その中に新右衛門を探した結果、一人だけ新右衛門が見つかった。(A-9)墓は、竿石22cm角 高さ55cm 総高91cm北向きで、刻字は以下のとおり。(写真2)

 雪巌良明信士   泉屋新右衛門  享保171212

 享年は刻まれていない。筆者は、この泉屋新右衛門が父ではないかと予想し、年令考をしてみた。歿年は享保17年(1732)。娘が亡くなったのは、元禄6年(1693)。父の享年を70歳とすると生年は1732-69=1663。娘の享年を10歳とすると 生年は1693-9=1684。新右衛門が1684-1663=21歳の時に生まれた子になる。上記の推量は、妥当な範囲である。

・泉屋新右衛門を、別子銅山公用帳や年々諸用留の人名索引で探したところ、元禄~享保間で記載されていたのは、1件のみであった。3) 享保2年(1717)正月、宗三扶助の仕法の覚の中に、援助する10人の一人として、「泉屋新右衛門様」とある。泉屋本店での事の様で、別子銅山関連ではない。この人物についての住友史料館の見解は以下のとおりである。「文脈から察すると、この新右衛門が住友の手代とは考えにくい。この泉屋新右衛門は、おそらく大坂平野町3丁目在住の両替屋です。大阪市立大学学術情報総合センター所蔵[せん年より御ふれふみ]という史料に、宝暦期ごろの両替屋仲間として[平野町三丁目 泉屋新右衛門][道修町二丁目 泉屋助右衛門]が掲載されています。」

・さらに住友史料館に確認してもらったところ、元禄8年の「予州手代覚」に「新右衛門」らしき名前は見つからなかった。

泉屋手代としての働き、経歴はわからなかったが、墓の泉屋新右衛門が少女の父である可能性が高いと筆者は思う。

以下は筆者の気ままな推理である。

誰が墓を建立して少女を祀ったのか。わが子に息女とは書かないだろう。手代の新右衛門自身が、このような立派な墓を建立するとは考えにくい。病死ならなおさらである。この少女は別子銅山に係る悲業の死を遂げたのではないか。だから立派な墓を建て慰霊鎮魂し、丁寧に祀られて、別子山から瑞応寺に移され、しかるべきところに安置されたのではないか。泉屋が建立し祀ったのではないか。切上り長兵衛妻子も非業の死を遂げたことで、立派な墓を建て祀られているのではないか。切上り長兵衛の貢献を考慮して妻子の墓が建てられたという単純なものではないのではないか。この2つの墓は別子開坑当初の犠牲者なので、大火災の犠牲者と並べて、泉屋は丁寧にお祀りしているのではないか。墓列の右端の墓標「住友関係殉職諸精霊」が正にそれを意味している。(写真3) 長兵衛妻子と新右衛門息女の非業の死を殉職とみてこの列に加えたと見れば、全てが納得できるのである。

 注 引用文献など

  1. 曽我幸弘「瑞應寺・住友別家〔泉屋〕名の墓標調査」新居浜史談 375号p9(2009.4)
  2. =別子銅山=住友墓地(佛國山瑞應寺)御霊供養・墓標調査(報告書第二報)調査者:曽我幸弘 入江義博 小田久美子 谷口淑子(平成20年(2008)2月吉日)
  3. 住友史料叢書 年々諸用留二番・三番p256(思文閣 昭和61.11.1 1986)

表1. 「泉屋」名墓標一覧表

写真1. 瑞応寺西墓地「播磨新右衛門息女」の墓

 

写真2. 瑞応寺住友墓地「泉屋新右衛門」の墓

 

写真3. 瑞応寺西墓地「住友関係殉職諸精霊」の墓標

 

 



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