気ままな推理帳

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天満村寺尾九兵衛(12) 文明9年高橋太郎衛門が天満宮を建て天満村と名付けた

2024-09-15 08:27:07 | 趣味歴史推論
 天満神社の由緒と天満村の名の由来を探る。
1. 天満神社の由緒
 社伝によると、以下のとおりである。1)
八幡宮:白鳳2年(673)2月第40代天武天皇御代に応神天皇(八幡神)を産土神(うぶすなかみ)として、王地山(おうじやま 大地山、宮山(みやま)、縁山とも言う)に鎮祭せり。
天満宮:延喜元年(901)菅原道真公太宰府に赴く途中、海上波荒く植松の海岸(現在の天神浜)に船を停め宮山に登り憩い給ひしに、一日一夜にして風浪静まり御西下されたと云う。その翌年延喜2年(902)道真公の木像が植松の海岸に漂着し給ひしを、高橋太郎衛門これを拝し天暦2年(948)6月橋ノ川の地(円蔵地2117)に小社(御所神社)を造り、天満大神と崇め祀りしが、後戦火により焼失す。(後裔の)高橋太郎衛門、村人と謀り、文明9年(1477)6月25日社殿を再建し氏神と称え、また村名も天満と改め、爾来八幡宮・天満宮と称し両者各社殿を構えたり。元禄8年(1695)11月、本殿焼失せしをもって再建に当たり、菅公縁の地なりし宮山を清浄の地と選び、大庄屋寺尾九兵衛の寄進によって元禄11年(1698)9月社殿を建立し両社を奉斉し現在に至る。
                                
2. 円蔵地の天満宮
 応仁の乱が終息した文明9年(1477)に再建され元禄8年(1695)に焼失した天満宮社殿はどこにあったのか。文面から解釈すると、橋ノ川の地(円蔵地2117)となる。直線距離にして天満神社から400mの真東にあたる。この天満宮が元禄8年(1695)に焼失したので、元禄11年(1698)に現在の宮山(大地山)に再建されたと推定できる。
円蔵地2117の御所神社の場所は、現在畑中でエノキの大木が茂っている所で、新しい小社が建てられている。
 平成6年(1994)10月吉日 高橋家一同建立    →写1
 御所とは、天皇、親王、将軍、大臣以上の公卿またはその人たちの住居を指す言葉なので、ここでは、菅原道真公を指している。天満宮が宮山へ移された(元禄)後、円蔵地に残った神社の地を御所神社と呼んだのか、明治17年の地図にあるように、明治になってから、そこを御所神社と名付けたのであろうか2)。なお円蔵地とは、清賢寺(現井源寺)に属した円蔵寺(青年僧の寄宿寺)に由来する。3)
 由緒によると、文明9年(1477)当時の村の長は高橋家であったであろう。まだ寺尾家は居なかったと思われる。

3. 故高橋太郎衛門霊碑と旭社 →写2、3
 故高橋太郎衛門霊碑と旭社が、宮山の天満神社本殿の右脇にある。
石碑は自然石(青石)で 台+柱=137cm 柱幅60cm 厚み25cmである。戒名や没年月日が記されていないことから、後世の人が故人の霊を祀るために建立したのではないかと思う。建立年も刻まれていない。
 故高橋太郎衛門霊
「翁ハ菅原道真公ノ木像槌松ト唱ス海岸ニ漂流シ給シヲ拝シ所有ナル地所ニ小社ヲ造リ天満天神ト崇メ奉リシヲ文明九年六月本殿建築村民ト謀リ氏神と称へ遷床ノ后村名モ天満ト改メリ」
① 木像が漂着した海岸名がこの石碑では「槌松」(槌のようだが少し違うようだ、しかし辶があるので植ではない)、天満神社沿革の御由緒では「植松」とあり、異なる。天神の浜付近は昔なんと呼ばれていたのか。 
② 文明9年(1477)の「遷床」(刻字は「床」の木が水となっているが、木として読んだ)とは、木像が円蔵地の小社から円蔵地の本殿(同じ敷地)へ遷ったと解した。
 旭社
 旭社は、地域の守護神を祀る神社のようである。現在の社殿は新しい。
 旭社の脇に横たえられていた石燈籠の竿(径20cm 長さ60cm)には、→写4
   宝永元甲申年九月吉日(1704)
   寄進石燈籠
   寺尾十右衛門
 とある。この石灯籠が旭社の創建時に建てられたとすると、宝永元年(1704)創建となるが、正しいかどうか分からない。
 
まとめ
1. 文明9年(1477)高橋太郎衛門が円蔵地に天満宮を建て、村名を天満と名付けた。
2. その当時には、寺尾家は居なかったと思われる。


 天満の岸幸男様、大久保繁昭様に多くを教えていただきました。お礼申し上げます。

注 引用文献
1. 「天満神社沿革」
2. 本ブログ 天満村寺尾九兵衛(8)「慶安には幕領の年貢米を貯蔵する御蔵を管理した」中の写1 宇摩郡地図(明治17年 1884)
3.  長恵敞「井源寺縁起」p2(昭和48年 1973)

写1 円蔵地の小社(御所神社)


写2 故高橋太郎衛門霊碑と旭社


写3 故高橋太郎衛門霊碑の背面の銘文


写4 旭社の脇に横たえられていた石灯籠の竿