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天満村寺尾九兵衛(11) 初代の五輪塔も観音堂墓地にあり

2024-09-08 08:17:03 | 趣味歴史推論
 初代九兵衛の墓は観音堂墓地にはなかったと本ブログ天満村寺尾九兵衛(7)に記したが、その後詳しく調べたら、該当するものがあったので、追記しておく。

観音堂墓地の五輪塔
 観7 五輪塔 →写1,2

      〇〇〇〇
       乃〇浩〇
(アーク)為月〇常〇禅定門
       〇〇〇〇
      〇月四日

 対応する初代九兵衛の位牌は、以下のとおりである。
    寛永16年8月4日
   月窓常祐禅定門

検討と考察
1. 観7は、空輪、風輪の2石がなく、火輪、水輪、地輪(基壇)の3石がある。墓地が土砂崩れにあって、墓石を置き直した時に、完全に復元できなかったのであろう。
基壇(地輪)の刻字がかすかに読めた。
 ・アーク、月、禅定門は二代貞清と同じである。月、禅定門は位牌にもある。
 ・乃〇浩〇 は三代成清と同じである。
 ・当主の位牌で禅定門なのは、初代と二代だけである。
 以上のことから、観7は初代九兵衛の五輪塔であると比定した。
2. 観7の隣に観8があるが、これは火輪-火輪-地輪という寄せ集めである。地輪の刻字は読めない。
 また、観8の隣に、二つの台のみが並んでいる。ここにも五輪塔があったことがわかる。
3. 今回で、初代、二代、三代の五輪塔が確認された。台のみが二つあり、五輪塔の並びの空地から、さらに多くの五輪塔が存在していたであろうと推定される。別子銅山に関係した4代、5代、6代の五輪塔はかなり立派な五輪塔であろうと推定され、崩壊・破棄されたとは考えがたい。どこか別の墓地に移設された可能性がある。6代宗清の妻ツタの五輪塔が井源寺に移設されたように。

まとめ
 初代九兵衛の五輪塔も観音堂墓地にある。


注 引用文献
1. 本ブログ天満村寺尾九兵衛(7)「二代貞清・三代成清の五輪塔が観音堂墓地にあり」

写1 観7 真ん中の五輪塔(初代九兵衛) 手前が観6三代成清五輪塔


写2 観7の地輪(初代九兵衛)