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役者コースの審査員をやった頃の思い出 ~とにかく知恵を絞るんだ~

2011-07-03 22:00:00 | 日記風
 少し話はそれますが、作品を書いていて、もし知り合いに文芸の編集者がいたとするじゃない。
 自分の知り合いじゃなくても、知り合いの知り合いがそうだった場合、読んでほしいと言う話になったりするころがあるそうだ。

 その時にね。読んでくれるとなると、書き手は有頂天になってしまうわけですよ。
 そして自分の作品を持参することは忘れなかったりする。もしかすると絶賛されて、自分が人気作家になるかもしれない夢をその段階で抱いてしまったりすると思うのね。

 でも、編集者からすれば海のものとも山のもとともしれない者の原稿を、頼まれて…時に強引に読まされる。

 その時に、せめて気を使え、と。
 作品と一緒に菓子を持参するとか、酒を持参するとか、まあ、気を使えと思ってしまったりするわけだ。
 編集者にしたって頼まれて自分の貴重な時間を使うんだから、使わせる方はそれくらいの気を使って当たり前だというのは、私も判るの。

 でも読んでもらう側が、もう有頂天になってしまって、想像だけぶっ飛んで、作品だけを持って自分が人気作家になった姿を想像して会いに行く、その気持ちも判るの。

 必ずしも、貢物をする必要はない。
 でもね、そういう気を使えるか使えないか、そこって余裕がある、相手への配慮がある、そういうことなのね。

 それができない人の作品は、独りよがりで、作品中でも読者に対して気を使っていないことが多い、と言う話を以前読んだのよ。

 凄く判る気がするわ。

 役者もね、人まで仕事として芝居をする限りは自分のしたい芝居をすればいいわけじゃない。なんで?と思うことがあっても、そうしろと演出家なり、プロデューサーが言えば答えなければならない。
 したい芝居だけがしたいなら、アマでいればいいのよ。一旦プロになろうと思えば、相手の期待にこたえることをする。
 できればそれを越える芝居を提示して見せる。
 
 それが必要となってくる。


 オーディションでそんなこと必要ないんですけどね。

 とにかく言われたことを全力でやる、それだけですわ。


 うちがそうだったのどうか知らないけど、よくミュージカルのオーディションの場合、最初に踊らせるそうです。
 4時間くらい、練習を含めて踊らせる。そしてそのあと、台詞の審査が始まる、そんな話を聞いた。

 体力がなければ、ここで、もう、アウトですわ。ぼろぼろ状態です。
 これを、一旦殺す、というらしいです。

 それでも乗り越えて更に生き生きとできるとかどうか、これも審査の1つに組み込まれているらしい、そう聞いたことがあります。

 うちでよくあったのは、講師の方々が真剣なときはダンスの段階で怒号が飛ぶの。
 中には劇団員がオディーション参加者の移動などの指示をするんだけど、それがうまくできてない。
 見本を見せるべき劇団員がそれができないとは、どういうことだ?とひら手が飛んだりするわけだ。

 でもこれが出る時って言うのは、オーディションの参加者に期待してる証拠でもある。
 これが出ない時は、講師陣は、捨ててる状態と言える。

 その判断の分かれ目はオーディション参加者に覇気があるかどうか、それだけだと思う。
 むきにして真剣にさせるものがあるかないか、それだけだと思う。

 講師陣も含め、いざ舞台に立つとなると、役者は役を通して人の気持ちを動かさないといけないわけだ。
 だからオーディションでそれができないなら、観客の心が動かせる、それはできない。

 役者の仕事ってそういうことなの。

 でも残念ながら、つか作品を見たこともないという人たちがオーディションに参加してくることが年々増えてきた。

 オーディション募集の雑誌を見ると判るけど、北区がバックについてるから助成金が出てたわけですね。
 だから入学金、授業料がずば抜けて安いんだ。

 それでとりあえず受けてみようか組が多くなったのね。

 全盛期は、万の人間が受けたものだが、その頃はつか作品を理解して受けている者が多かっただろう。
 しかし今は百人集まるかどうかで、作品すらもしらない。

 せめて、どこのオーディションを受けるにしても、そこの作品がどういうものか、それを少しは考えて受けてほしいと思う。
 そうでないと、オーディションを受ける側が、いざ審査会場にきたら、
 「え、ここってそういう芝居をするの?」
 って驚くことになるんだよ。

 驚かれてもこちらも困るんだけどね。

 これから何処を受けるにしても、それは最低条件だと思って、ぜひ作品を1本でも見てほしいと思う。
 それが、受ける側にとっても、有意義なオーディションとなるか、無意味なオーディションとなるか、別れることになる。

今日ね、これからね…劇団が解散するんだ

2011-07-03 18:00:00 | 日記風
 劇団の打ち上げがあるんだよ。

 でも、きっと遠くから見てる。


 私はまだ、何も受け入れられていない。
 そして私は遠くに来過ぎてしまった人間だ。


 過去へ帰っている時ではない気がしている。
 動いてみればいいのかもしれない。

 同じ思いを共有する人と泣いてしまえば違うのかもしれない。


 でもね、どこかでそれはまだ違うと思ってしまう。

 1人で噛みしめる。踏ん張る。


 私はそれが作品を作らせてくれるような気がする。

 力を、悲しいかもしれない力を、与えてくれるかもしれないと思う。


 なんて言いながら実は現実と向き合うのが怖いだけかもしれない。



 格好つけすぎ?

 でも格好だけでもつけさせて。


 弱い自分をさらしてる時じゃないんだからさ。


 悠々と超えてるふりだけでもさせてくれ。


 振りでいいから…。


 そっとそっと、遠くで思っているから。
 いつまでのこの思いは生き続けていくだろう。
 それはいつか何かの作品になるだろう。


 そう信じている。



 信じたいのだ。

女は幼くして国をになう

2011-07-03 15:00:00 | 日記風
 王室に嫁ぐ女たちってみんな、政略結婚だから、早いんだよね。

 14歳なんかで平気で嫁ぐでしょう。

 あのロミオとジュリエットのジュリエットだって、あれで14歳だったはずよ。

 14歳でそこまでの純愛を演じちゃうんだよ。

 人生が短かったというのもあるだろう。

 
 かなり話はぶっとぶけど日本人でも昔は平均寿命が40歳なんてことはよくあったと思う。
 そうするとけして早くないわけだ。

 でも色濃く少女の部分を持ち合わせたまま、大人の陰謀の世界に身を置くわけさ。

 特に子どもを産めるかか産めないか、そこが大きく王妃たちの人生を左右する。


 また話はぶっ飛んじゃうけど、側室制度のある国の場合、日本の大奥でも、入ったはいいが、殿がかよってくる率の高い低いはあるだろう。
 そのチャンスをうまくつかんで、そこで孕まないとそのあとの運命が決まる。


 大奥の場合は秘密を知りすぎてるから、世継を産めれば政権の中に嫌でも放り込まれるけど、全く産めなかったら、最後は尼になるしかないんだもの。

 お役御免で家に帰れるわけじゃないのね。

 そう考えると今の会社制度も苛酷だろうとけど、この時代の方が人の運命はもっと過酷だ。

 自由や選択肢が本当に限られてる。

 知恵を使わないと生き残れない、生命力が強くなければ越えられない時代だもの。



 そこ行くと、私なんて自由すぎて弱いといわざを得ないだろう。



 これからどうやって自分の人生と戦っていくか、過去の王妃たちに少しでも学んでみますか。

新旧作品に学ぶこと…火サスは永遠さ

2011-07-03 13:00:00 | 日記風
 かつて放送していた火曜サスペンス劇場の「鑑識班」のシリーズが今BSで裁縫されている。

 今は、同じ鑑識ものでも、もっと扱いが違う。この頃って、こういうことを取り上げるのが初めての頃だったから、めちゃくちゃ忠実に作品を作ってると思う。

 そうじゃなくても、ここ数日、警察がよいが続いたりしたせいか、めちゃくちゃ臨場感を持ってみてしまうわ。
 余計な描写がないんだよね。主人公のキャラクターを作ってみたりしない。本当に冷徹までに冷静に描き出してる。

 それを越えようとするとキャラクターを作り、更に鑑識の精度が上がったことを知らせないといけないんだろう。
 でも実際、PCの中で証拠が一致するかしないかだけだから(ドラマ上の作り方としてはね)そこにクライマックスを持ってくるのはきついわけよ、それでキャラクターの過去と絡めてみたり、いろんな手法が試されるんだと思う。

 過去のドラマを見るってそんなことを考えさせますね。



 それも勉強か。



 しかし本読まんな。

 本ってさ。数少ない、受動型の文化なんだって。
 映像って、ビデオでもなんでもこっちに考える余裕もなくどんどん話進めるじゃない。
 実際は考えてみたいと思えば、そこで一旦止めるということもできるのかもしれないけど。止めたところで、画(え)でできてるから、画で教える、示唆する以外はできないんだ。

 でも本って、それ以外のことができる唯一と言ってもいい文化なのかもしれない。
 人の頭の中で書かれいていない行間に自分の思いや過去をダブらせて、疲れたら、半年でも置いておいて、もう1度読み出す。
 読み返すたび、成長した自分の思いが更に重なり違う話に見えてくる。



 本が、文字文化がけしてすたれない理由はそれなんだろうと言っていた。


 それが本当かどうか。
 それもこれからを生きる人間が確かめていくしかないのだろう。

後のお楽しみ大きすぎるね

2011-07-03 10:00:00 | 日記風
 実際、今の私は並みの苦しさじゃないと思うね。

 でも渦中って意外とぼぉーとしてしまう所もあるじゃない。


 時間が経ってみてどれほどのことだったかやがて判る時がくるんじゃないだろうか。


 失くしたものの意味を知るんじゃないかしら。

 その中から得たものを知るんじゃないかしら。


 それは何年も先の話だろう。


 今は…良く判らない、渦の中にいる。


 
 考えてみればやはり皮肉なものだ。
 ここ2,3年を取り上げても、あまりに大きなことが起こりすぎている。

 多分、月曜日からまた起きるだろう。



 どうしてこのタイミングだったんだと思うと、変な感じだ。


 なんでなんだよ…。


 なんで今なんだ…。


 それも数年後に答えが出るだろう。

 もう日本なんか出ていきたい。
 ここへいる意味があるのだろうか。

 私が存在する意味はなんなんだろうか。


 それも数年後の答えが出るだろう。


 全ては後のお楽しみってことだ。


 お楽しみと言いきれない、今が、ただ皮肉なんだけどさ。

北区つかこうへい劇団 馬鹿野郎、愛していたぜ

2011-07-03 03:42:29 | 日記風
 実質、今日で解散となります。

 まあ、別になにもしておりませんが、いくつか振り返る記事をここの所書いております。

 なくなってしまった後も、今だから言えるあんなこと、こんなことを少し綴って行きたいと思います。



 それに比べたらどっかのばか会社などどうでもいいのである。
 編集者N47星雲なんぞどうでもいいのである。(あ、人間でなくなった。でも誰だか判りますね)


 愛していたぜ。

 いつも、愛憎背中合わせに、忘れたことなどなかったぜ。



 運命は何故こんな過酷なんだ。

 
 何故、私から、愛し憎んだそれを取り上げるというのだ?

 何故、あの方はいらっしゃらないのだ?



 あの方の不在を埋める何かがこれから現れるというのだろうか?

 

 馬鹿野郎…、
 愛をこめて、その言葉しか思い浮かばない。


 涙を乾かす方法が、愚かな私には判りません…。


 でも私は頑張るの。
 あの方の背中を追いかけて、あの方に1歩でも近づけるよう頑張るの。


 それしか恩返しの方法などないではないですか。
 それ以外の方法があるなら教えてほしい。


 先生…。


 私はあなたに追いつき、追い越していけますか。



 先生…。
 迷える私に最後に教えて。

 先生…。
 言葉など虚しいものですね。

 先生……。