30周年記念の文集が続く。
代表理事である私の文章が最後にある。
ここで紹介したい。
泰阜村の教育力に育てられている私たち。
祝賀会に来て頂いた村の皆さんも写真で紹介する。
暮らしの学校「だいだらぼっち」は、今年で30周年を迎えた。積み重ねた暮らしの営みを見つめ直すと、30年経ったからこそ見えてくる風景があるものだな、と感じる。ここ数年で、「だいだらぼっち」の卒業生がIターンで泰阜村に定着するようになった。卒業生がIターンすることを、私は「Sターン」と言っている。
このSターンは、人口1700人の泰阜村にとってみれば、絵に描いたような定住施策である。もちろん、私たちは、未来を創る人材育成を行う団体だ。卒業生が泰阜村に帰ってくることだけがけっして「成功」と思っているわけではない。卒業生は、泰阜村だけではなく、全国各地、世界中で、世のため人のための行動を起こしてくれると信じている。しかしそのためには、彼らを泰阜村から全国に「強く」送り出す必要がある。
▼一番お世話になっているご近所さま
ブーメランをご存じだろうか。あれは弱々しく投げると途中で落ちてしまう。思い切り強く投げ出すからこそ、手元に戻ってくるのだ。泰阜村は、高校・大学がない。生まれて15年でこの村を出ていく子がいる。その時に、強く送り出せば、いつかきっと村に帰ってくるだろう。帰ってこなくとも、他の地にきっと力強く着地するだろう(落ちるのではなく)。
この送り出すときの「強さ」とは、村の暮らしを土台とした教育の質だ。生まれてから15年間に、いかに村のこどもたちに地域を愛する学びと育ちを保証したか、という「熱量」でもあるだろう。「だいだらぼっち」のこどもたちもまた、1年~5年暮らす中で、強くこの村から投げ出されたのだ。そして、親元からも。
今、全国から、世界中から、こどもや青年が集まりつつある村になる。それは、村の持つ教育力が発揮され始めているからに他ならない。村の人々と私たち「ヨソモノ」、そして村外で支え続けていただく皆さんなど、立場や違いを超えて「学び合い」を繰り返す。それを通して泰阜村が自律的な地域になりつつあることを、確かにこの手に感じる。
▼村議会議員や教育委員のみなさん
村の大人たちが横に手をつなぎ(多様なセクターの参画)、縦のつながりを生み出す(村の多くの世代に学びがある)という村民組織「あんじゃね支援学校」(あんじゃねとは、案ずることはないという意味の方言)の活動が、今年で13年目を迎え、昨年末には表彰されるに至った。幼児の自然体験活動や、教育的価値を纏う学童保育の挑戦も始まった。大学等の高等教育に活用する「ひとねる大学推進チーム」も発足し、村内に若い女子大学生が学ぶ姿が目立ち始めた。紡がれる村の教育力を震災支援に発揮させようと、今春発生した熊本地震で被災したこどもたちを、信州こども山賊キャンプにも招待した。
これまで村の人々が否定してきた村の教育力が発揮され、UターンとSターンが戻り始め、役場職員は驚くほど若返りをしている。この村にこどもや若者がこんなに集まる風景を、いったい誰が想像し得ただろうか。
全ての始まりは、「だいだらぼっち」が産声をあげた30年前にある。「あの時」から今日まで、どんなに苦しい時も存続を断念しつつあった時も、私たちを支え続けてきた泰阜村のひとびと、保護者の方々、卒業生たち、そして全国の人々に心からの御礼を申し上げる共に、今後この場が、そしてこの村が、さらに教育力を発揮して成長していくことを楽しみにしつつ、30周年の挨拶に替えたい。
泰阜村の皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました。
これからもご指導ください。
代表理事である私の文章が最後にある。
ここで紹介したい。
泰阜村の教育力に育てられている私たち。
祝賀会に来て頂いた村の皆さんも写真で紹介する。
おわりに
暮らしの学校「だいだらぼっち」は、今年で30周年を迎えた。積み重ねた暮らしの営みを見つめ直すと、30年経ったからこそ見えてくる風景があるものだな、と感じる。ここ数年で、「だいだらぼっち」の卒業生がIターンで泰阜村に定着するようになった。卒業生がIターンすることを、私は「Sターン」と言っている。
このSターンは、人口1700人の泰阜村にとってみれば、絵に描いたような定住施策である。もちろん、私たちは、未来を創る人材育成を行う団体だ。卒業生が泰阜村に帰ってくることだけがけっして「成功」と思っているわけではない。卒業生は、泰阜村だけではなく、全国各地、世界中で、世のため人のための行動を起こしてくれると信じている。しかしそのためには、彼らを泰阜村から全国に「強く」送り出す必要がある。
▼一番お世話になっているご近所さま
ブーメランをご存じだろうか。あれは弱々しく投げると途中で落ちてしまう。思い切り強く投げ出すからこそ、手元に戻ってくるのだ。泰阜村は、高校・大学がない。生まれて15年でこの村を出ていく子がいる。その時に、強く送り出せば、いつかきっと村に帰ってくるだろう。帰ってこなくとも、他の地にきっと力強く着地するだろう(落ちるのではなく)。
この送り出すときの「強さ」とは、村の暮らしを土台とした教育の質だ。生まれてから15年間に、いかに村のこどもたちに地域を愛する学びと育ちを保証したか、という「熱量」でもあるだろう。「だいだらぼっち」のこどもたちもまた、1年~5年暮らす中で、強くこの村から投げ出されたのだ。そして、親元からも。
今、全国から、世界中から、こどもや青年が集まりつつある村になる。それは、村の持つ教育力が発揮され始めているからに他ならない。村の人々と私たち「ヨソモノ」、そして村外で支え続けていただく皆さんなど、立場や違いを超えて「学び合い」を繰り返す。それを通して泰阜村が自律的な地域になりつつあることを、確かにこの手に感じる。
▼村議会議員や教育委員のみなさん
村の大人たちが横に手をつなぎ(多様なセクターの参画)、縦のつながりを生み出す(村の多くの世代に学びがある)という村民組織「あんじゃね支援学校」(あんじゃねとは、案ずることはないという意味の方言)の活動が、今年で13年目を迎え、昨年末には表彰されるに至った。幼児の自然体験活動や、教育的価値を纏う学童保育の挑戦も始まった。大学等の高等教育に活用する「ひとねる大学推進チーム」も発足し、村内に若い女子大学生が学ぶ姿が目立ち始めた。紡がれる村の教育力を震災支援に発揮させようと、今春発生した熊本地震で被災したこどもたちを、信州こども山賊キャンプにも招待した。
これまで村の人々が否定してきた村の教育力が発揮され、UターンとSターンが戻り始め、役場職員は驚くほど若返りをしている。この村にこどもや若者がこんなに集まる風景を、いったい誰が想像し得ただろうか。
全ての始まりは、「だいだらぼっち」が産声をあげた30年前にある。「あの時」から今日まで、どんなに苦しい時も存続を断念しつつあった時も、私たちを支え続けてきた泰阜村のひとびと、保護者の方々、卒業生たち、そして全国の人々に心からの御礼を申し上げる共に、今後この場が、そしてこの村が、さらに教育力を発揮して成長していくことを楽しみにしつつ、30周年の挨拶に替えたい。
NPO法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表理事 辻英之
代表理事 辻英之
泰阜村の皆さん、本当に、本当に、ありがとうございました。
これからもご指導ください。
代表 辻だいち