飯舘村長泥地区。
踏み入れてすぐ、飯舘村の他の地区との違いを感じます。
他の地区は、それでも家の周りや道路端の草刈りがされていました。
でも、長泥はそれすらされていない。
ほとんどそのままという感じです。
▼草むらは高線量
会長(区長)さんのご自宅に上がらせていただきました。
締め切られた戸を開放し、久しぶりに風が家の中に入ります。
「最初は毎日のように家に戻ってきてたが、1年もたつとだんだん足を運ぶ回数が減った」
家に帰らないとカビが繁殖し、冬に使わないと風呂のタイルが剥がれ落ち。
「同じテレビを見るなら、避難宿舎よりここで寝転がって見てえなあ」
と、玄関から見える長泥の山々を見つめながらつぶやく会長(区長)さんは、やっぱり避難宿舎よりご自宅が似合う。
処分した牛がいた牛舎の向こうには、白い防護服で完全防備された人々が除染活動を行う姿が目に入ります。
▼会長(区長)さんのご自宅
▼ご自宅に併設されている牛舎。牛は処分したという
▼牛の名前がいまだにボードに残っている
▼除染活動が続くが、果たして・・・
▼防護服を着た作業員が次々と行き交う
長泥地区の放射線量計。
どうやら実際の数値より低い数値が出るらしく、「修繕だよこんなの」と区長さん。実際は「だいたい1.6倍の数値が実際の数値だ」。
ということは、毎時約8.5μシーベルト。
飯舘村でも最も高線量の地区です。
▼この数値の1.6倍が実際の数値だという
集落の掲示板には、長泥地区のここ数か月の線量を記録した表が貼られていました。
薄くて見にくいかもしれまえせがんが、およそ毎時8~11マイクロシーベルト。
東京が0.04~0.05なので、およそ200倍以上です。
隣には、昨年の3月(震災直後)の数値も表にされていました。
3月17日に95マイクロシーベルトという目を疑うような数値が出てます。
「この線量のなかで、この地区の人びとは何も知らずに2か月間過ごしてしまった。自分はいいが、孫世代が心配だ」と会長(区長)さん。
▼字が薄くてわかりにくいが、およそ8~11マイクロシーベルトを計測
▼昨年3月(震災直後)の数値表
長泥地区を車で走ると、泰阜村のような山岳地帯に住む私たちにとっては、田んぼが広く感じました。
「広いですね」と言おうとすると、会長(区長)さんはやさしく制して続けました。
「もともと広いんじゃあない。おじいさんが手で根っこを掘って切り開いた田んぼだ。その苦しさをわかっているから、俺はこの土地から離れられないんだよ」
目には見えませんが、飯舘村の豊かな自然、そしてまでいな人びとの暮らしすべてが、壊されていることを、肌で感じます。
▼すぐにマスコミが群がる。「区民を守るには、間違った報道をさせないこと」と、丁寧に応じる会長(区長)さん
私の故郷福井県。
亡き親父の実家は小浜市です。
話題になっている大飯原発が肉眼で確認できます。
飯舘村のこの状況を見た私は、故郷福井の状況をどうとらえればいいのでしょうか。
そして福島が置かれている状況をどうとらえればいいのでしょうか。
そんなことを考えながら、まずは自分ができる福島のこどもたちのキャンプへの招待に集中しようと思います。
飯舘村から8人のこどもが山賊キャンプに来ます。
●おまけ
最後に飯舘村の菅野村長とお会いすることができました。
▼菅野村長(左)、自治会長さん(中央)、泰阜村教育長(右)
踏み入れてすぐ、飯舘村の他の地区との違いを感じます。
他の地区は、それでも家の周りや道路端の草刈りがされていました。
でも、長泥はそれすらされていない。
ほとんどそのままという感じです。
▼草むらは高線量
会長(区長)さんのご自宅に上がらせていただきました。
締め切られた戸を開放し、久しぶりに風が家の中に入ります。
「最初は毎日のように家に戻ってきてたが、1年もたつとだんだん足を運ぶ回数が減った」
家に帰らないとカビが繁殖し、冬に使わないと風呂のタイルが剥がれ落ち。
「同じテレビを見るなら、避難宿舎よりここで寝転がって見てえなあ」
と、玄関から見える長泥の山々を見つめながらつぶやく会長(区長)さんは、やっぱり避難宿舎よりご自宅が似合う。
処分した牛がいた牛舎の向こうには、白い防護服で完全防備された人々が除染活動を行う姿が目に入ります。
▼会長(区長)さんのご自宅
▼ご自宅に併設されている牛舎。牛は処分したという
▼牛の名前がいまだにボードに残っている
▼除染活動が続くが、果たして・・・
▼防護服を着た作業員が次々と行き交う
長泥地区の放射線量計。
どうやら実際の数値より低い数値が出るらしく、「修繕だよこんなの」と区長さん。実際は「だいたい1.6倍の数値が実際の数値だ」。
ということは、毎時約8.5μシーベルト。
飯舘村でも最も高線量の地区です。
▼この数値の1.6倍が実際の数値だという
集落の掲示板には、長泥地区のここ数か月の線量を記録した表が貼られていました。
薄くて見にくいかもしれまえせがんが、およそ毎時8~11マイクロシーベルト。
東京が0.04~0.05なので、およそ200倍以上です。
隣には、昨年の3月(震災直後)の数値も表にされていました。
3月17日に95マイクロシーベルトという目を疑うような数値が出てます。
「この線量のなかで、この地区の人びとは何も知らずに2か月間過ごしてしまった。自分はいいが、孫世代が心配だ」と会長(区長)さん。
▼字が薄くてわかりにくいが、およそ8~11マイクロシーベルトを計測
▼昨年3月(震災直後)の数値表
長泥地区を車で走ると、泰阜村のような山岳地帯に住む私たちにとっては、田んぼが広く感じました。
「広いですね」と言おうとすると、会長(区長)さんはやさしく制して続けました。
「もともと広いんじゃあない。おじいさんが手で根っこを掘って切り開いた田んぼだ。その苦しさをわかっているから、俺はこの土地から離れられないんだよ」
目には見えませんが、飯舘村の豊かな自然、そしてまでいな人びとの暮らしすべてが、壊されていることを、肌で感じます。
▼すぐにマスコミが群がる。「区民を守るには、間違った報道をさせないこと」と、丁寧に応じる会長(区長)さん
私の故郷福井県。
亡き親父の実家は小浜市です。
話題になっている大飯原発が肉眼で確認できます。
飯舘村のこの状況を見た私は、故郷福井の状況をどうとらえればいいのでしょうか。
そして福島が置かれている状況をどうとらえればいいのでしょうか。
そんなことを考えながら、まずは自分ができる福島のこどもたちのキャンプへの招待に集中しようと思います。
飯舘村から8人のこどもが山賊キャンプに来ます。
●おまけ
最後に飯舘村の菅野村長とお会いすることができました。
▼菅野村長(左)、自治会長さん(中央)、泰阜村教育長(右)
代表 辻だいち