前回に引き続き、阪神・淡路大震災のときに、私たちNPOグリーンウッドと泰阜村が受け入れた西宮市の被災児童からのメッセージです。
彼女に、暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加した1年、どう想う?と聞きました。
その返信はこうです。
「私にとってどんな場面でも強く生き生き語れる1年です。あの1年があるから1日1日を暮らしていくことを深く考えることができて、母の死や父の支え、家族の大切さ、そして、「生きる」ということに真正面から向かい合うことができるのだと思います。」
彼女に、受け入れてくれた泰阜村の人に一言、と聞きました。
その返信はこうです。
「ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。一人の人間として生きていくことや支え合うこと助け合うこと、本当に多くのことを学ぶことができました。泰阜村の人たちの温かさがなければ間違いなく今の私はありません。年月が経てば経つほどありがたさが増すばかりで、一生忘れることはできません。これからも元気に生きていきます。」
小学4年の時に、受け入れた彼女。
震災発生からわずか3ヵ月後です。
彼女に暮らしの学校「だいだらぼっち」の1年で「学んだことは?」と聞きました。
「来るものは全部やってみようと思うタイプだったのですが、それなりに人ということについて考えるようになったのではないかと思います。例えばお米を洗っていてこぼしたとしたら、たぶん普通にしてたらもったいないってならないと思います。あったとしても、何円で買ったのに!というお金的な面でもったいないと思うかもしれません。でもだいだらぼっちで教えられてたことは、このお米のひと粒をつくるのに、どうやって誰がどれだけがんばったかという、人の思いについてもったいないと感じるということでした。それを教えてもらって、人について考えられるようになりました。
きっと1年間すごしたからこそ、人に対して考える、という力をつけけられたのかなと思います。それを教えられるという感じではなくて、元々他人なんだけど家族って思えるくらい仲間になってみんなで過ごしていく中で学んだというか。
だいだらぼっちを卒業して10年ちょっとたち、就職して、人と接触するの仕事をし始めて、この経験が生かされてるとかこういう風に役に立ってるということがやっと出てきた程度です。もっと年をとり、後になると、もっともっと出てくるんだろうなと思います。」
彼女が小学3年当時、阪神大震災では家が全壊し、絶望の縁に立たされました。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)があるかもしれない中、泰阜村民の支援を受けて3ヵ月後には暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加しました。
小学5年で兵庫に戻るが、高校生の時に母と死別しました。
震災、生活環境の変化、そして身内の不幸・・・
彼女に強く生きることを求めるのは酷なのかもしれないと思うときもありました。
しかし、彼女は強く生きています。
彼女は、今、「いろいろな人と関われる仕事がしたい」と営業の仕事をしています。
自分の道を自分で決め、悩み続ける彼女は、本当に素敵だと想います。
そんな彼女の生き様の土台をつくった泰阜村の風土。
ほんとうに尊い。
彼女に、暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加した1年、どう想う?と聞きました。
その返信はこうです。
「私にとってどんな場面でも強く生き生き語れる1年です。あの1年があるから1日1日を暮らしていくことを深く考えることができて、母の死や父の支え、家族の大切さ、そして、「生きる」ということに真正面から向かい合うことができるのだと思います。」
彼女に、受け入れてくれた泰阜村の人に一言、と聞きました。
その返信はこうです。
「ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。一人の人間として生きていくことや支え合うこと助け合うこと、本当に多くのことを学ぶことができました。泰阜村の人たちの温かさがなければ間違いなく今の私はありません。年月が経てば経つほどありがたさが増すばかりで、一生忘れることはできません。これからも元気に生きていきます。」
小学4年の時に、受け入れた彼女。
震災発生からわずか3ヵ月後です。
彼女に暮らしの学校「だいだらぼっち」の1年で「学んだことは?」と聞きました。
「来るものは全部やってみようと思うタイプだったのですが、それなりに人ということについて考えるようになったのではないかと思います。例えばお米を洗っていてこぼしたとしたら、たぶん普通にしてたらもったいないってならないと思います。あったとしても、何円で買ったのに!というお金的な面でもったいないと思うかもしれません。でもだいだらぼっちで教えられてたことは、このお米のひと粒をつくるのに、どうやって誰がどれだけがんばったかという、人の思いについてもったいないと感じるということでした。それを教えてもらって、人について考えられるようになりました。
きっと1年間すごしたからこそ、人に対して考える、という力をつけけられたのかなと思います。それを教えられるという感じではなくて、元々他人なんだけど家族って思えるくらい仲間になってみんなで過ごしていく中で学んだというか。
だいだらぼっちを卒業して10年ちょっとたち、就職して、人と接触するの仕事をし始めて、この経験が生かされてるとかこういう風に役に立ってるということがやっと出てきた程度です。もっと年をとり、後になると、もっともっと出てくるんだろうなと思います。」
彼女が小学3年当時、阪神大震災では家が全壊し、絶望の縁に立たされました。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)があるかもしれない中、泰阜村民の支援を受けて3ヵ月後には暮らしの学校「だいだらぼっち」に参加しました。
小学5年で兵庫に戻るが、高校生の時に母と死別しました。
震災、生活環境の変化、そして身内の不幸・・・
彼女に強く生きることを求めるのは酷なのかもしれないと思うときもありました。
しかし、彼女は強く生きています。
彼女は、今、「いろいろな人と関われる仕事がしたい」と営業の仕事をしています。
自分の道を自分で決め、悩み続ける彼女は、本当に素敵だと想います。
そんな彼女の生き様の土台をつくった泰阜村の風土。
ほんとうに尊い。
代表 辻だいち