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わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

最長老:辻だいちから

2011年10月04日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
信州子ども山賊キャンプの想い出会(報告会)を、名古屋、東京で開催しました。

両会場、あわせて600人くらいの参加でしょうか。

参加者には山賊キャンプの報告書も配布されました。

その報告書に掲載している私の挨拶を紹介します。


御礼に代えて



法人グリーンウッド自然体験教育センター
代表理事 辻 英之(最長老 だいち




 2011年度の夏の信州こども山賊キャンプが、関係各位のご理解ご協力をいただき、8月29日を持ちまして大過なく終了いたしました。この場をお借りしまして、キャンプを支えていただきました皆様に、主催者を代表して心より御礼申し上げます。

 さて、今年も全国から1137人の子どもと343人の青年ボランティアリーダーが参加し、質量共に充実したキャンプを運営することができました。近年、日本でも有数の規模と内容を持つキャンプに成長しており、当センターの教育活動に対するご理解とご期待の広がりを感じております。

 ご存知の通り、キャンプが開催される泰阜村は、今なお国道が走っておらず、信号もなければコンビにもありません。人口も1,900人を切った、まさしく「何もない」と揶揄されるほどの典型的な山村です。このような村に、ひと夏で村の人口に迫りそうな青少年が参加する山賊キャンプについて、「このようなへき地にどうしてこんなに青少年が集まるのか」という疑問が多方面から寄せられております。

 その疑問に対する答えはいたってシンプルで、山賊キャンプでは「自分たちのことは自分たちで決めることができる」からだと考えます。期間内のプログラムを自分たちで知恵を絞って決める。毎日毎日食事のメニューは自分たちで決める。暮らしの仕事の役割も自分たちで決める。キャンプが始まったばかりのときは自分で決めることに戸惑い気味の子どもたちが、最終日にはキャンプの時間やスケジュールが「自分たちの手にある」という確かな実感を抱くようです。この実感が、山賊キャンプが人気がある大きな理由です。

 この実感を現実の暮らしのなかで抱くことのできる村が、山賊キャンプのおひざもとである泰阜村です。この村の人々は、少ないながらもそれぞれの財(時間、労働、食料、情報、お金など)を持ち寄って、力を合わせて豊かな地域コミュニティをつくり上げてきました。困ったときはお互い様、何かあったら寄り合ってみんなで決める。その時に大事なことがあります。それは、一人一人を集落自治の主権者として尊重し「支えあう」ことです。

 お互いを尊重し、認め合い、支えあうからこそ、自分たちで決めることが可能になるのです。村の人々が積み重ねてきたこの「支えあい」と「自己決定」の文化と歴史が、山賊キャンプを土台から支えています。

 今春発生した東日本大震災におきましては、この「支えあい」「お互い様」の文化を持つ泰阜村の教育力を、震災支援に役立てたいと強く想い、福島県のこどもたち47人を山賊キャンプに招待しました。

 自然の猛威におびえきった東日本の子どもたちに、自然との接触を断たれてしまった福島の子どもたちに、もう一度自然の素晴らしさを伝えたい。友達と離れ離れになることを余儀なくされた子どもたちに、もう一度仲間の素晴らしさを伝えたい。そして全国の子どもたちに、過酷な状況に陥ってもなお周囲の人と協調をとりつつ生き抜くための「支えあいの気持ち」を育成したい。そしてすべての子どもたちと共に希望・未来を語りたい。そう強く願い、被災したこどもたちのキャンプ招待に取り組んできました。

 この招待キャンプの実現には全国から多くの支援金や支援物資、そして「支えあいの心」が寄せられました。「支えあい」「お互い様」の文化を持つ泰阜村に、さらに「支えあいの心」が集まり、そのなかで山賊キャンプが開催されました。この「支えあい」の文化のなかに身をおくと、ことさらに心地よいものです。きっと、山賊キャンプに参加したすべてのこどもたちとすべての青年ボランティアリーダーは、今後周囲の人たちに対して「支えあいの心」を発揮してくれることでしょう。

 時代はこどもたちへの質の高い教育活動を求めています。今後も山村の暮らしの文化に内在する教育力を信じぬき、参加する子どもたちはもちろんのこと、その保護者の皆様や、青年ボランティアや学術機関、泰阜村の人々など、関わる人々すべてが良質な学びを培うことのできる山賊キャンプを目指して、より一層努力して参ります。今後の益々のご理解とご支援をお願い申し上げ、御礼のご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。


代表 辻だいち

一人一人が大事にされる世の中を

2011年09月09日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
 今日は救急の日です。

 実は私は「メディック・ファーストエイド(通称:MFA)」という世界的な救急救命プログラムの国際トレーナーとして活動もしています。

 救急救命法講座を開催できるインストラクターを養成できる資格です。

 詳しくはこちらをご覧ください。

※NPOグリーンウッドでも救命法講座を行っています。こちらへ

 東日本大震災はもちろん、全国各地で豪雨、台風、噴火などの自然災害が多発しています。

 その災害の現場に、もしかしたら救えた命があったかもしれません。

 緊急事態は時と場所を選びません。

 地震や交通事故、突然死は、今、そこにやってくるかもしれないのです。

 愛する家族が目の前で倒れたとき、あなたが企画するイベントで参加者が倒れたときに、「知らなくて」何もできなかったことほど後悔することはないでしょう。

 震災支援という枠だけではなく、日常的に救命法の普及に努めていきたいと強く想っているのです。


 私たちは自然体験活動を仕事にしています。

 何のために自然体験活動をするのか?というときに、私は「平和」の視点を大事にしていきたいと常々想っています。

 それは具体的に言えば「一人一人が大事にされる世の中」という視点です。

 民主主義というとおおげさでしょうか。

 話し合い=つまり合意形成を大事にする暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)や、参加したこどもたち全員の力でプログラムを編み出す「信州こども山賊キャンプ」(フクシマのこども47人を招待しました)などは、まさにその視点を大事にした取組みです。

 そうなると突き詰めて考えれば、「命を大事にしたい」という当然でありながら最も尊い視点に行き着きます。

 少なくとも私は行き着くのです。

 この震災支援の取り組みのなかで、一貫して言い続けてきたことは、「お互い様」「支えあい」による社会再生です。
 
 ただし、「困ったときはお互い様だね」「支えあおうね」と心底言うことができるためには、「お互いを尊重すること」が決定的に必要となります。

 そうして初めて「支えあう」ことができると想っています。

 そして、人、自然、地域、歴史、文化、それぞれの個性を尊重するときに、その原点は「命の尊厳」であろうと考えています。

 私が救急救命法に力を注ぐのは、それが民主主義の原点をまずは確保する取組みだと強く思っているからです。


 大災害に限らず、またぞろ続く戦争・内紛やテロ、後を絶たない殺伐とした虐待や殺人事件など、たやすくこどもの命が失われていく世の中になってしまいました。

 一人一人が大事にされる世の中を、こどもたちが平和に暮らせる世の中を、救命法からアアプローチしてみるのも悪くありません。

 命の尊厳は、今まさに被災地に問われています。

 フクシマのこどもの未来が問われています。

 そして日本全国にも問われています。

 もうすぐ震災から半年、そしてアメリカの同時多発テロから10年の9月11日を迎えます。

代表 辻だいち

「支え合い」が日本を再生する ~代表辻だいちから炎のメッセージ~

2011年08月15日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
 最近、あちこちから原稿依頼がかかるようになりました。

 少し前に話題になった「事業仕分け」を行う「構想日本」というところからお声がかかり、8月11日付の「構想日本 JIメールニュースno.515」で私の拙文が紹介されました。

 ちょうど震災5ヶ月目の日です。

 今日8月15日。

 敗戦の日、そして東日本大震災で犠牲になられた方の初盆の時期に、この原稿に一部(大幅に)手を加えて、私からの炎(?)のメッセージとしたいと思います。

 ですます調ではないので、ちょっと怖いかもしれませんよ(笑)


 いま、私たちNPOでは地元の村と住民との協働で、フクシマの被災児童50人を「信州こども山賊キャンプ」に招待している最中だ。1年間の長期山村留学(暮らしの学校「だいだらぼっち」)にも被災児童3人を1年間受け入れている。地元の村は南信州泰阜村。人口1900人を切る、国道も信号もコンビニもない、文字通り「何もない村」だ。

 「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自己責任」と「自立」が強要されるようないわば新自由主義的な政策が実施されてきたことは記憶に新しい。「個人の能力を高めて自立せよ」と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、およそ「自立」できない個人、集団、地域に「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。

 しかし、どうも腑に落ちない。南信州で長年にわたり山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。

 20年間見続けてきた子どもたちの姿は、決して「強い個人」ではなかった。むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い、認め合う仲間が「そこに存在する」という安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。

 暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)に目のつりあがった小5の女の子が参加してきた。触るもの皆傷つける、といった雰囲気を身にまとう彼女の口癖は、「どうせ」だった。
 「どうせ私の言うことなんて聞いてくれないんでしょ!」
 「どうせ私なんかできないから!」
 「どうせ大人が決めるんでしょ!」
 不思議でならない。自分の可能性を低く設定している。自分を否定的にとらえている。おそらくそれまでの10年間、そういうことを学習してきてしまったのだろう。

 当然、毎日毎日、仲間とケンカだ。それでも仲間は誰も、彼女と関係性を創ることをあきらめなかった。みんなで彼女の意見を大事にし続けた。その日々の積み重ねが、いつしか彼女に「自分の意見が大事にされている」と気づかせるようになる。この「周りから認められる」という実感と積み重ねが大事なのだ。認められているという実感は次に、周りを認めようとする姿勢に発展する。
 彼女は1年かけて周りから認められる実感を、その手に握った。その実感を通して、周りの人たちを認めることができるようになった。
 そしてつりあがった目は見事なまでにやさしくなった。

 「支えられている、認められている、応援されている」ということを、子どもたち自身が実感できる「場」や、実感できる「周囲との関係性」が本当に少ない。その実感と安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。

 同じことは、子どもだけでなく、生産能力が低いと(断定)されてきた老人や障がいを持つ人びとにも当てはまる。彼らもまた、一人一人が「自立」しているから「支え合う」ことができるのではなく、「支えあう」からこそ「自立」して生きようと思えるようになるのだ。

 新自由主義政策のはざまで息切れしそうなへき地山村もまた、単独で「強くなれ」と迫ること自体にもはや限界が来ている。東日本大震災で被災して壊滅的な状況に陥った小さな地域は、今、互いに「支え合い」ながら「自立」しようとしているではないか。

 「『支えあい』の中から滲み出るように生まれる確かな『自立心』」。それが「自律」だ。この国にはそれが欠けている。

 これから放射線と闘う日々を送るフクシマの子どもに、そして疲弊しきったへき地山村に、「もっと強くなれ」と誰が言えようか。子ども、老人、障害者、へき地・・・、弱く小さな力を侮るな。

 より弱いものが犠牲になり続けてきた「負の連鎖の歴史」にピリオドを打ち、「支え合い」による「自律の国づくり」に踏み出そう。

 「核」による平和構築と訣別し、「支え合い」による平和構築へ、今、踏み出そう。

 満州開拓、植林、減反、自治体合併・・・、国策に翻弄され、非効率の名のもとに切り捨てられてきた「何もない村」:泰阜村から、敗戦の日、そして東日本大震災で犠牲になられた方の初盆の時期に、日本再生のメッセージを発信したい。



代表 辻だいち


私のこどもたちへ ~代表辻だいちからフクシマのこどもに贈る唄~

2011年08月11日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ

 私は18年前、泰阜村に来ました。当時まだ22歳。右も左もわからない若造です。

 それまで札幌にある大学生でした。出身は福井県。高校から大学のときに、北陸から北海道へ。

 何が自分を北に向かわせたのでしょうか。

 北陸と北海道で、私は、あふれるほどの自然の恵みと、すばらしいひとびとに出会いました。

 体育会の運動部に所属して「あきらめない気持ち」を鍛えられ、人と向き合うことを学問とする学部で「人間らしさとは何か」を学び(授業は全く出てませんでしたが!)、北海道の山々や田舎を訪ね歩きながら「自然と人間の共生」の重要さを心に刻みこんできました。

 いつしか、自分が学び取ったことを、未来を生きるこどもたちに、自分のすべてを懸けて伝えようと思うようになり、体育の教員となることを目指すことになりました。

 しかし、教室の中だけが教育の場だろうか、と疑問に思いました。

 まずは教室の外の学びの場を経験したいと強く思い、出会ったのが泰阜村でした。


 18年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと生活し始めましたが、その当時からよくギター片手にこどもたちと歌っていました。

 それまでどちらかというとニューミュージック系の曲ばかり弾いていましたが、泰阜に来て衝撃的な唄との出逢いがありました。

 私の先輩であり当時代表の村上忠明さん(キャンプネームはむさし)がよくこどもたちに弾いたり、何気なく1人で弾いたりしていた曲に惹きつけられ、以来「これだ!」と自分でも弾くようになりました。

 当時の信州こども山賊キャンプに来ていたこどもたちに向かって、キャンプ最終日に必ずこの唄を歌い、その想いを伝えてきました。

 当時、暮らしていた「だいだらぼっち」のこどもたちも耳にタコができるほど聞いたことでしょう。

 そして、薪ストーブを囲んでいつもこどもたちといっしょに歌っていました。

 私は自分の息子の子守唄としても歌っています。

 その唄を紹介します。



 ♪ 生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう


   生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう


   生きている君たちが 生きて走りまわる土を

   あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪



 曲名は「私のこどもたちへ」といいます。

 泰阜村の自然を次の世代まで残せるのでしょうか。いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと一所懸命歌ってきました。


  今日、8月11日、東日本大震災から五ヶ月目です。

 一ヶ月目の4月11日、宮城県南三陸町の歌津中学校にいました

 ニヶ月目の5月11日、東京の出版社との打合せの場でした

 三ヶ月目の6月11日、琉球大学に呼ばれて沖縄にいました

 四ヶ月目の7月11日、再び被災地宮城県にいました

 そして、今日、8月11日、五ヶ月目にして初めて、泰阜村で迎えました。


 明日、8月12日で、フクシマのこどもは全員、泰阜村を離れます。


▼フクシマのこどもたちが参加した山賊キャンプスーパーコース


 泰阜村の自然の中で、青い空と満点の星空をみあげて深呼吸をし、透き通る清流で心ゆくまで魚を追い、顔にべったりと泥がつくほど転げまわったフクシマのこどもたち。

 私は、その泰阜村に住む大人として、この唄をどうしても「きみたち」に贈りたい。

 
 泰阜村に来て、震災であれだけ猛威をふるった自然が、本当はとてもすばらしものだということを、その小さな身体に刻み込んでいってもらえただろうか。

 泰阜村に来て、フクシマでは接触を断たれつつある自然が、本当は私たちにかけがえのないものを教えてくれるものなのだということを、その小さな心に刻み込んでいってもらえただろうか。

 泰阜村に来て、これからどんなに過酷なことに直面しても、生き抜くための「支え合いの気持ち」を、その小さな手に握ってもらえただろうか。


 たった4日~1週間のキャンプでは、何も変わらないかもしれません。

 でも、「きみたち」が過ごした泰阜村の土には、このきびしい山岳環境のなかで支えあいながら生き抜いてきた泰阜村のひとびとの、自然と共存する壮絶な歴史と日々の暮らしの営みが流れているのです。

 その歴史と営みを受け取った「きみたち」は、きっと強くなれる。そう強く信じています。

 その「信じる想い」を載せた唄です。


 この曲の作詞者は岐阜県中津川の方で、唄はマスメディアなどではなく手渡し口うつしで伝わっていくものと常々言っています。

 ずっとお会いしたいと思っていて、5年前に一度泰阜村でライブをやっていただきました。もう高齢だそうです。

 やはり手渡し口うつしで、自分がぼちぼちギターを弾いて、唄っていきたいと思います。

 作詞者は「笠木透」という人です。


▼私たちのこどもたちへ


 震災5ヶ月目の日に、フクシマのこどもたちに贈ります。


代表 辻だいち


いわき送迎のスタッフからこどもたちへ

2011年08月07日 | グリーンウッド震災支援方針・メッセージ
 福島県いわき市から泰阜までバスで片道7~8時間。

 今回も、バス会社の皆さんにもお世話になりましたが、NPOグリーンウッドのキャンプボランティアの青年も活躍しました。

 8月5日、いわきからのこどもたちを泰阜まで送っていただきました。

▼いわき市での集合の様子




▼送迎スタッフの2人


 今回、送迎担当してくれたのは、板橋香奈さん(左 キャンプネーム:かなぶん)と、加賀孝之君(右 キャンプネーム:あほ)の2人です。

 あほ(失礼!)は、前回7月29日の送迎に引き続き2回目です。本当にお疲れ様。もう10年間山賊キャンプに関わってくれているベテラン。千葉県で児童養護施設の職員さんです。

 かなぶんも、もう10数年山賊キャンプに関わってくれているベテランです。高校生の時にボランティアで参加したのが最初ですね。現職の小学校教員です。

 2人は、今回の送迎にあたっての感想を寄せてくれました。



 今回福島から引率をしました、キャンプネームあほです。
 朝6時45分の集合ということで、眠気に負けていそうな子も何人かいましたが、それもバスに乗るまでの話。
 車中では、たくさんおしゃべりしたり、遊んだりして、あっという間の7時間の旅でした。
 到着後もまもなく追いかけっこしたり、散策したりとまったく疲れを感じさせない様子で、”泰阜で自分のやりたいこと”を早速実践しているようでした。
 私は、帰りのバスには同乗できませんが、福島のみんなが元気に過ごせたという話を楽しみにしたいと思います。
 そして、いつかみんなにまた会える日を楽しみにしています。(あほ)




 バスの中で子ども達に「山賊キャンプで何をやりたい?」と聞くと、「川遊び!」「ハイキング」「キャンプファイヤーに!」「ネィチャークラフト!!」などと目をキラキラ輝かせて教えてくれました。しおりをたくさん眺めてきているのでしょう。やりたいことの話がつきません。

 「放射線で今年は全くプールに入れないから思いっきり川遊びがしたいんだ。」「地震や津波の被害が大変だったんだよ。」「外で遊べないんだ。」と東京から来た私にポツリとポツリと話してくれる何気ない子ども達の言葉を聞き、本当によく頑張っているねと胸が詰まる思いもしました。

 福島からの7時間の長旅から泰阜村に入った時、子どもから思わず拍手が湧き起こる一面もありました。それほど、このキャンプを待ちわびていたのでしょう。

 そして次の日、キャンプ場に行くと私を見つけて開口一番に「あのね!昨日川に入ったよ!楽しかったぁ!」と教えてくれました。 念願の川遊びが出来て大満足をしている子どもの笑顔を見て、本当に連れて来てあげてよかった!
と心から思いました。

 このような機会を頂けたことにとても感謝していますし、またこの為に力を貸して下さったたくさんの方にもお伝えしたいと思います。

 今、泰阜村で子ども達は最高の笑顔を見せています!!(かなぶん)




 たくさんの人々の想いと支援が集まるのが山賊キャンプ、そしてフクシマのこどもの招待キャンプです。

 そして同時に、関わった人々すべてに、「学び」があるのも山賊キャンプ、そしてフクシマのこどもの招待キャンプです。

 かなぶんとアホ、本当に、本当にありがとう!

代表 辻だいち