わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【天竜川の風に吹かれて】 ~集落の忘年会はひたすら愉快なのだ~

2017年12月10日 | 泰阜村のソコヂカラ
師走。
毎年めぐってくるこの季節。
今日は忘年会だ。
集落自治会のみんなで。
これがまた楽しい。
幼児から老人まで、一家総出で参加してくる。
おばあま(おばあ様の意味)なんかは目いっぱいのオシャレをする。
それがいい。
なんといっても年に一度なんだから。



今回はほど近い天竜峡の温泉宿。
昨年、天皇皇后陛下が来られたということ。
休憩された部屋で宴会。
なるほど、天竜川の眺めがすこぶるいい。





「今年も穏やかに1年を終えることをうれしく思います」
長老の乾杯の発声。
その後、じきに仁義なきお酒の注ぎ合いが始まる。
「そんなんじゃ入らんなあ」
長老はなかなかお酒を注いでくれない。
要は「もっと飲め」ということだ。
そのすさまじさは、大学時代に体育会(運動部)で鍛えれた身にもこたえる。
勘弁してほしいな、と想うが、でも私はこれはこれで心地がよい。
うれしいわけではけっしてないのだが。





長老は若者をこてんぱにする。
若者はまた、長老人の健在を痛感する。
こうやってお互いの息づかいを間近に感じるのだ。
そういうもんだと想う。





この心地よさに今日は酔った。
しこたま飲まされた夕方、天竜川か強い風が吹いた。
この1年が終わる足音が急速に聞こえてきた。



代表 辻だいち


【じわじわと発酵していくような・・・】 ~大学生が小学生の暮らしから学ぶ~

2017年12月09日 | 泰阜村が大学になる
今日も短大生がやってきた。
養護教諭のタマゴたちの授業だ。
2回目の校外実習。
暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと一緒に過ごす。
こどもたちとも打ち解けてさらに学びを深めている。
そう、確かに深めているのだ。

▼暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもは、陶芸窯に作品を詰める




▼これがまた、繊細な作業。こどもたちは、すさまじい集中力だ





1日中、こどもたちと薪割りや陶器窯の窯づめ作業などをする。
すこぶる日常である。
少なくとも暮らしの学校「だいだらぼっち」にとっては。
でも、タマゴにとってはもう、まるでディズニーランドに来たようなものだろう。
それくらい、新鮮で楽しかったに違いない。
その非日常の学びが、彼女の日常に落ち着く学びになるには、もう少し時間の熟成が必要になる。
すぐにはわからないだろうな。
それでいい。
学びってそういうものなのかもしれない。
じわじわと発酵していくような。
混沌さから滲み出てくるような。




▼写っているのはほとんどこども。学生は奥の黒い服を来た女性のみ







今日も小学生が大学生に暮らしの指導をしていた。
学びとはかくも多様で深く、そして混沌から生まれるオルタナティブなものだと確信する。
さあタマゴタチよ、いよいよ社会に出ていくんだな。
君たちなら大丈夫。
きっと豊かな価値を生み出していける。

あんじゃあねえっつうことよ(大丈夫だという意味の方言)。


代表 辻だいち


【これ以上、こどもたちの命が失われないように】 ~地元短大でゆっくりじっくりと命を語る~

2017年12月08日 | あんじゃねぇ=平和で安心な社会へ
9月下旬から半年間、地元の飯田女子短期大学で授業を受け持っている。
養護教育専攻科で「ファーストエイド演習」という科目だ。
養護教諭のタマゴたちに、救急救命法国際認定コースの「MFA(メディックファーストエイド)小児用」コースを、がっちり教える。
通常の資格発行講習では7~8時間で終わるコース。
それを15コマ(1.5時間×15=22.5時間)もかけて、ゆっくりみっちり伝えることができるのだ。
学生の素朴な質問を丁寧にひろえる。充実した講義になっている。
それは学生だけではなく私にとっても。





MFAコースの最大の特徴は、「難しそうだから私には無理かもしれない・・・」という人を育ててしまう従来の講習を、「難しそうだけど私にもできそう」という人を育てる画期的な講習に変えたことだろう。
つまり、学習しやすい講習。
そして、「やる気」を育てる講習なのだ。
救命の技術をどれだけ持っていたとしても、それを「使おう」という気持ちなしには人に手をさしべることはできない。



数年前、目の前で小6の男の子が、のどに氷を詰まらせる状況が起こった。
チョーキング(のどつまり)だ。
のどを抑え、青い顔をして、近寄ってきましたが、呼吸できていない。
もし意識を失い心肺停止状況に進んでしまったとしたら、救急車を呼んでも15分以上かかるこの村では、男の子の命をよみがえらせるには困難な状況に陥る。
そんなことを頭で考えながら、男の子の背後にまわり、チョーキングの対処をすかさず遂行した。
無事のどから氷が、文字通り「ぽーん」と出てきて、事なきを得る。
しかし、目の前に家族や知り合いがいて、声も聞こえるし、顔も見えているのに、自分の声は出せず、呼吸もできず、死んでしまうのかもしれない恐怖を感じたのだろう。
男の子は、しばらく恐怖におののいて泣き続けた。




今日もまた全国でいじめや虐待で命の危機にさらされているこどもたち。
世界中で紛争や飢餓に直面しているこどもたち。
生きたいと強く願いながらも、死んでいくこどもたち。



信州の小さな街で、青年たちが命の尊厳についてしっかりと学ぶ。
これ以上、こどもたちの命がむやみに失われないように。
「やる気」を育てる救命法講習、のぞむところ。
こういう講習を授業として導入してくれた大学にまずは感謝。
そして、それを受講してくれた学生さんたちにまた感謝である。



代表 辻だいち


【日課は薪割なのである】 ~これが暮らしの学校「だいだらぼっち」の日常~

2017年12月07日 | こどものソコヂカラ
これ、小4女子。

この後、この薪を割りきる。

「まだ上手くないけどね、へへ。8ヶ月もいるのにね」と、はにかんだ。

じゅうぶんスゴイ。

オソルベシ女子。




こちらは野郎ども。

登り窯(陶芸窯)に使うために、さらに小さく割る。

「これ楽しい。1日中やれる」とニヤリ。

小6男子、オソルベシ。





こうして暮らしの学校「だいだらぼっち」の日常が過ぎていく。



代表 辻だいち


【困らない時もお互い様】 ~被災地熊本からミカンが届いた~

2017年12月06日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
みかんが届いた。
なんと九州、熊本からだ。
信州こども山賊キャンプに招待したこどもたちと、その保護者の皆さんかららしい。




今年夏、熊本地震で被災したこどもたちを、キャンプに招待した。
2年目となると、全国からの支援もなかなかないとのこと。
表面的には復興が進んでいるかのようにみえる被災地。
でも、こどもたちの心に残した傷は深い。
泰阜村は、教育を通した支援を、一貫して続けている。
それは、阪神大震災に始まり、中越地震、東日本大震災、そして熊本地震へと。



泰阜村のひとびとの暮らしの営みから滲み出るように産み出される教育のチカラ。
その教育力が、キャンプを通して熊本のこどもたちの身体と心に流れた。
そう確信している。





保護者の方からメッセージが来た。
「素敵な夏の思い出になりました。また行きたいそうです。いつかリーダーで参加してくれたら嬉しいです。お世話になりました」
待ってるよ。
困った時はお互い様。
困らない時も、お互い様。


薪ストーブを囲んで、さっそく食べた。

うまい。

「支え合い」の味がする。


代表 辻だいち


【わしゃ、生まれ変わったら、教師になりたい】 ~魂の言葉が学生のココロを揺さぶる~

2017年12月05日 | 泰阜村のひとびと
「私たちにとっては『先生』だな」
「今日の姿はすてきな先生だと感じました」
「木下さんの生き様がとても素敵」
学生たちのリアクションペーパーにはそんなことがたくさん書かれていた。


立教大学「自然と人間の共生」授業はゲストスピーク。
泰阜村最奥の集落から招いたゲスト。
「朝4時半に家を出たよ」というから、大学まで7時間かかったことになる。





木下藤恒さん。
齢80を数えようとしている。
拙著「奇跡のむらの物語 ~1000人のこどもが限界集落を救う!」をお読みいただいた人は知っているかもしれない。
「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」という魂の言葉を発した、あの木下さんだ。
今回はしかもご夫妻で来てくれた!



絞り出すようにつぶやく魂の言葉の数々。
信州でも1、2を争うへき地で、どんな逆境でも生き抜いてきた生き様が、300人の学生の心を揺さぶったのかな。
学生からの反応は、心の底から発せられたきらめくコメントだった。
泰阜村の教育力が、確かに学生に届いている。












私は木下さんを勝手に師匠だと想っている。
その師匠が、「教師になる」という生まれ変わりの夢をちょっぴり叶えた。
それが、とにかく、心の底から、うれしい。





代表 辻だいち


【次の時代が始まる】 ~最近、国内外のシンポジウムに登壇することが多い~

2017年12月04日 | おかげさまで30周年!
最近、立教大学で登壇することが多い。

今回は、こんなシンポジウムに登壇。
日本環境教育フォーラム25周年記念シンポジウム。

のこのこ田舎から出てきて何の役に立つのかとも思った。
でも、せっかく呼ばれたからには少しは気のきいた話もしたい。
先月は、同じ場所で国際シンポジウムに呼ばれた。
あの時の高揚感がいまだにあるのかもしれない。

このシンポジウムのテーマは「環境教育の未来を考えるシンポジウム」。
趣旨は以下の通りである。

今、国連の持続可能な開発目標(SDGs)が非常に注目されています。
一方、地域の視点からは、人口減少や過疎の問題は引き続き大きな問題です。
また、技術の視点で見ると、AIの発達により社会構造そのものが大きく変わろうとしています。
さらに、人間や個人の視点からは「人生100年時代」というキーワードはさまざまな課題を想起させます。
こうした大きな動きを踏まえて、各界の有識者のみなさまのお話を伺いながら、「環境教育の未来」について全員で考えてみたいと思います



▼全国に散らばる盟友とも再会できた




そして国内から12人の人たちが登壇した。
私もその一人に入れてもらっている。

定松 栄一(シャプラニール理事)
長沢 恵美子(経団連 教育・CSR本部統括主幹)
星野 智子(環境パートナーシップ会議副代表理事)
長井 一浩(グリーンダウンプロジェクト理事長)
篠 健司(パタゴニア日本支社 環境社会部)
藤田 香(日経BP環境経営フォーラムプロデューサー)
山藤 旅聞(東京都立武蔵高等学校教員)
辻 英之(グリーンウッド自然体験教育センター代表理事)
二ノ宮 リム さち(東海大学准教授)
李 妍焱(日中市民社会ネットワーク代表)
諏訪 哲郎(日本環境教育学会会長)
森本 英香(環境省事務次官)


▼私も大学講義でよくやっているが、ライブ感覚の発表方法



こう、なんというのか。
川嶋直さん(日本環境教育フォーラム理事長)の軽快な、そして本質的な議論を促す進行もあって、とても心地よいあたたかな気持ちになったのだ。
もちろん、SDGsなど現段階の国内外の到達点を確認できたのはいうまでもない。
だが、それだけではなく、多様なセクターが有機的に絡んでいる豊かさを、なんだか感じる。




NPOグリーンウッドも活動開始から30年を過ぎた。
平成も30年を迎えようとしている。
次の時代が始まる。
次の時代に進まなければ。
そんなワクワク感とドキドキ感を感じる。

日本環境教育フォーラムの25周年を心よりお祝い申し上げます。

代表 辻だいち

【こどもたちが東京へ出張!】 ~こうして30年続いてきたのだ~

2017年12月03日 | こどものソコヂカラ
興味のある人が50人も集まった。
暮らしの学校「だいだらぼっち」(1年間の山村留学)の募集説明会だ。
今年暮らしているこどもたち自身が企画運営。東京・名古屋までこどもたちが出張するのだからなんともたくましい。





企画も運営もすべてこどもが手掛ける。
年に一度の珍道中である。
何が起こるかわからない。
何を話すかわからない。
だからおもしろいのだ。






来年度のこどもたちの募集。
それはつまりは、こどもたちにとっては仲間さがしである。
私のような大人がPRするこのではなく、こどもたちがその声で語りかけるからこそ意味がある。
きっとこれまでも、こどもたちが30年の間こうやってこどもたちに語り掛けてきたのだ。
だから、今がある。
こどもたちの、たどたどしい説明。
テマヒマかけてるなあと想わせる映像や実物の数々。
こどもたちが自分の言葉で伝える。それって本当に尊いこと。
きっと伝わると信じている。




これからの時代を豊かに生き抜くための学びが、来年も続く。


代表 辻だいち

【こうやって小さな集落は守られてきた】 ~いつまでもこのワイワイが続きますように~

2017年11月26日 | 泰阜村のソコヂカラ
週末は、集落自治会の「道つくり作業」
集落構成員総出で、道路の溝さらいや草刈り、支障木撤去など。
早朝からたっぷり3時間。
もちろん、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちも出労。
みんなで力を合わせて、細い道の先にある老夫婦の家までの道がきれいになる。
こうやって、集落は守られてきた。





「道つくり作業」の後に、「阿弥陀様」祭り。
難病の神様で、その昔、疫病の流行からこの集落の人々を守ってくれたとか。
その感謝を今に伝えて構成員全員で祭りを行っているというわけなのだ。
暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちにも、そのいわれを長老が語ってくれる。仲間や家族がインフルエンザやノロウィルスなどに罹らないように、私も真剣に祈った。




本来は阿弥陀様の前にゴザを敷いて、班構成員総出でお祭りの宴会をやるところなのだが、寒いので会場を移動して焼き肉。
それでも外で食べたけど(笑) 
この村は、何かあると焼肉、それが文化である。
各戸からの持ち寄りの漬物や果物が彩りを添える。





乳幼児から長老まで、生粋の泰阜人からUIターンの人まで、立場や背景に関係なく、みんなでワイワイと肉をつつき、お酒を酌み交わす。
こうやってワイワイやるからこそ、きっと今年の冬も感染症から阿弥陀様が守ってくれる。
そういうことなのだ。


小さな集落に住む人々が、少ない財(労働力、時間、汗、祈り、夢、などなど)を持ち寄って、この集落を守り続けている。
その豊かさを、次世代に伝えなければならない。
いつまでもこのワイワイが続きますように。


代表 辻だいち


【こどもから怒られた】 ~コメの暮らしから産み出される学力~

2017年11月25日 | こどものソコヂカラ
やっと脱穀が終わった。
やっと、ついに、とうとう。
そんな言葉が似合う、と勝手に想う。
毎週末の雨に悩まされ、稲刈りは4週遅らせることになった。
しかも水がなかなか引かずに足元がぬかる中での稲刈り。
必然的に脱穀も遅れる。
しかも夏の長雨もあり、今季はちょっと不作だ。






もうやだー! と嘆きたくなるものだ。
でも、こどもたちは誰も嘆かない。
「早く新米を食べたい」
と、むしろ積極的に脱穀作業を進めている。
よく働くこどもたちだ。
目を細めていると「だいち、ちゃんと機械動かしてよ」とこどもから怒られた。
春から手間暇かけて育ててきたコメ。
いろいろあったけど、1ヶ月天日に干した新米だ。
きっとおいしいにきまっている。









4月には、土いじりもできなかったこどもがいる。
そんなこどもが、今、「もったいない」「みんなで拾えばお茶碗何杯分かな」と言って、泥だらけになって落ち穂を拾っている。
ここで培われた「学力」はどんな「学力」なのか。
それはけっして、水稲栽培の知識と技術といった「学力」だけではない。
それはきっと、仲間の暮らしを長期的に見据える視点を伴った「学力」なのだ。
暮らしが産み出す「学力」。
今こそ問い直すべきだ。

代表 辻だいち