わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

【栃木那須で夢を語る】 ~仲間さがしの旅は続く~

2018年01月16日 | 全国のなかまたち
栃木県那須町。
もう、そこは福島県という、栃木県北部の町だ。
皇室の御用邸(皇室の別荘)がある。
そんな町にある環境省の施設から講演の依頼がかかった。





御用邸が置かれるほど豊富な那須町の自然資源。
それらをどう活かして次の地域を創っていくのか。
そしてそれを担う人を育てていくのか。
日本全国の地域が抱える、ある意味普遍的な課題でもある。
そしてそのような地域から最近、お呼びがかかる。



今回のテーマはこれ。
「ひとづくり×地域づくり」の素敵な未来
最近はこのテーマが多い。
その地域が持つ教育力をカタチにできれば、素敵な地域になっていく、というものだ。
泰阜村における30年の実践を語っているだけだが。



会場には老若男女、いろんな人が集まった。
私の講演はさておき、ファシリテーターの若林さんがまたいい。
ワークショップでは多くの素敵なアイディアが出された。
那須町には役場の若手職員で組織される「新鮮組」なるものがあるらしい。
その新鮮組の皆さんもたくさん参加してくれていて、今後の展開に期待できる。



私の講演もずいぶんと響いたようだ。
最後に、私の夢を語った。
泰阜村のこどもを、那須町に留学させてくれないか、ということだ。
交換留学である。
2つの地域だけではなく、全国の5~10地域で一斉に交換留学。
1年が難しければ、まずは3日とか1週間から。
こどもたちだけではなく、いずれNPOスタッフ同士、役場職員同士、教員同士、猟師同志、農家同士などなど、夢は広がる。
こんな私の呼びかけに、会場はどよめいたい。
ちょっと昔なら「何バカな事言ってるの?」という感じだったが、最近は違う。
「ぜひ実現させてみたい」というどよめきだ。
時代が動いていることを強く感じる。



次の地でもまた夢を語ろう。
仲間探しの旅は続く。


代表 辻だいち


【結局、だれがそれをやるのか、である】~PTAはあと2か月なのだ~

2018年01月12日 | 日々雑感
今日、今年度最後のPTA部会があった。
現在、長女(中3)が地元泰阜中学校に通っている。
PTAとして関わるのもあと2か月を切った。


学年1クラスで生徒数は10数人しかいない。
3学年あわせても40人そこそこである。
全校生徒で、都市部の1クラス分だ。
この人数では必ず何らかの役員がまわってくる。
私なんかは、3人の子どもがいたので、学年役員か地区役員のどちらかをほぼ毎年やっている。
今年も地区役員と新聞作りの部会の部長だった。
先週は地区役員として、どんど焼きとこども会お楽しみ会。
そして今日は新聞作りの部会の最後の部会。
もう、たいへんである。



小さな地域では、出番も多いし役割も多い。
もちろんそれは責任があるということだ。
その責任を避けるのではなく、少しずつみんなで持ち寄って果たしたい。
まあ、私も言うことはかっこよくでも、やるのは難しいのだが。



小さい学校をどうするのか。
小さい村に住む子どもの未来をどうするのか。
現状の課題は何なのか。
みんな、それぞれの立場で指摘もするし、意見もするし、提案もする。
でも、結局は「誰がそれをやるのか」である。
そこで話がとまってしまうことがしばしばなのだ。



ハラをくくる。
責任を持つ。
そんな自分でありたいと常に想うのだが、それがなかなか難しいよなあ。
とりあえずはあと2ヶ月弱、しっかりと部長と地区役員の職責を果たしたい。

代表 辻だいち


【泰阜村総合戦略推進官】 ~つくづく泰阜村の教育力に感動する~

2018年01月11日 | 日本初!教育で立つ村
「お、来たね。じゃあ、第2会議室で!」
役場に行くと、奥から笑顔で出てきた副村長。
長身の彼は、颯爽と会議室に向かっていく。
四方山話を5分ほどしてから、本題に入る。


副村長と定例の意見交換。
おおよそ2か月に1度の頻度で行っている。
私はNPOグリーンウッドを代表して、副村長はもちろん泰阜村を代表して。
かれこれ4年くらになるかな。
今年度は少し頻度が高くなっている。
それもそうで、泰阜村とNPOグリーンウッドが協働して政策を実行することが増えてきたからだ。


泰阜村は、次の時代を生き残っていくつもりだ。
「教育」をど真ん中に据えた村づくりを展開することによって、である。
血眼になってIUターンなど都市部の若者を農山漁村に定住させようとする時代。
そんな時代にあって、世のため人のために行動を起こせる人材を輩出し続ける村。
まるで逆を行く発想の戦略。
そんな戦略を進めるために、私は昨年から「泰阜村総合戦略推進官」を拝命した。





私に期待されているのは、「教育立村」の土台作り。
観光でもない、企業誘致でもない、「学び」によって自律的な地域になるための戦略作りと、その着実な実行を期待されている。
村からの給料はゼロ。私の方から「いらない」と言った。
お金よりも自由度がほしい。
「私のようなNPO実践者を庁舎の中に置いておくよりは、野に放った方が良い成果を出せる」という訴えを、この村は受け入れてくれた。


村とNPOのハイブリッドな人材を、この地域が産み出してくれた。
つくづく泰阜村の教育力に感動する。
そのおかげで、縦横無尽に動けている。
私はNPO代表理事として全国を駆け巡るが、同時にその言動には村の政策実現の責任も伴うことにもなる。
それを重荷に感じるのか、可能性と感じるのかは大違いだ。
少なくとも私は、このハイブリッドな立場を「可能性」として捉え、小さな村が教育によって自律するための方策を日々考えている。



さあ、次回の意見交換はいつだろうか。
来年度予算の時期だからまたすぐにその機会があるかもしれない。

代表 辻だいち

【あきらめない、しぶとくしたたかな想い】~豊かなどんど焼き~

2018年01月09日 | 泰阜村のソコヂカラ
今日は集落のどんど焼き。
正月飾りを焼いて、みんなで無病息災を願う。
朝早くから私の居住する集落「田本」の人々が集まってくる。
老人ばかりと思われがちでだが、こどもがとても多い集落。
とてもにぎやかなどんど焼きとなった。






私は集落のこども会役員。
焼き肉やイワシを焼いて振る舞う。
大きな火を囲みながらお酒を飲んで、イワシを食べて、焼き肉をつついて。
こどもたちはこどもたちで、こども会の会長(私の中3になる長女)がジュースやお菓子を振る舞っている。
娘がこども会会長なので、自動的に親が役員なのだ(笑)
もちろん書初めを燃やしておおはしゃぎ。
最後は熾でお餅を焼いて無病息災を祈った。
集落の老若男女が集まって、持ち寄って支え合っての手作りのどんど焼き。
なんだか豊かな気分になるものだ。







小さな山村の集落が営んできた「支え合い」の土台があればこその、このどんど焼きの豊かさだ。
お互い様・支え合いの文化に身をおくことはことのほか心地よい。
集落に住む人々だけではなく、全国の人々も、無病息災でありますように。
泰阜村の風土が育んだ、「あきらめない、しぶとく、強(したたか)かな想い」が、小さな集落の大きな炎に乗って、全国に連なっていく。

代表 辻だいち


【夢を語るのは理屈抜きに楽しい】 ~さあ、新しい挑戦が始まる~

2018年01月08日 | 日々雑感
スタッフ新年会。
冬の信州こども山賊キャンプの打ち上げを兼ねて。





冬の山賊キャンプのこどもたちが今朝、帰っていった。
明後日には暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちが村に戻ってくる。
こどもがこの場にいないのは、年に数日なのだ。
番犬チャロも、今日は静かに過ごせそうだ。



新年会では、若手スタッフが考えた楽しい催し物もあった。
しばし翼を繕い、30年という時間で紡がれた縁や物語を肴にワイワイ。
みんなとびきりの笑顔だ。



来し方をしっかりと丁寧に見つめることなしに、行く末は見据えられない。
さて次の30年はどんなふうにしようか、と酒を入れながら若いスタッフと語り合った。
未来を語ること、夢を語ることは、理屈抜きに楽しい♪
気づけば私も四周り目の年男。
さあ、新しい挑戦が始まる。



ちょっと酔っぱらったかもしれない。
心地よい酔いが身体をかけめぐる。


代表 辻だいち



【もうひとつの1月7日】 ~昭和⇒ボランティア⇒タイガーマスク

2018年01月07日 | 震災支縁=支え合いの縁を紡ぐ
1月7日。

七草粥を食べる日だが、若い世代は今は食べるのだろうか。
「人日」の節句である。
私の世代が知るもうひとつの1月7日は、29年前、1989年のこの日だろう。
昭和の歴史が終わった。
私は当時大学受験真っ最中。
最後の共通1次試験が目前に迫っていた。
折しも、平成の歴史が終わろうとしている。
数十年後に、今年のことを思いだす人がいるかもしれない。




さて、それから8年後の1997年1月7日。
覚えているだろうか。
福井県三国町の日本海で重油タンカーナホトカ号がひっくりかえり、大量の重油が日本海を汚染したことを。
福井は私の故郷で、三国の海岸はこども時代によく遊びに行った海だ。
小正月に帰省した時に、油だらけの真っ黒な海を見て絶句した。
「日本海が終わった」
そう想うほどに壮絶な状況だった。
荒ぶる真っ白の吹雪と、黒い油膜がうねる荒波のコントラスト。
でも、いつもの冬の荒々しい波ではなく、重々しい波に、涙が出るどころか、この世の終わりとばかりに震えたものだ。
実に、21年前のことである。



ここで活躍したのが全国から集まった青年ボランティアである。
その2年前の1995年が阪神大震災を機にボランティア元年と呼ばれ、間をおかずに勃発した災害に、国民が反応した。
全国から集まった善意が地域住民の不屈の想いと重なり、日本海はよみがえった。
そして私もまた重油を掬いに行ったボランティアの1人である。
もちろん、暮らしの学校「だいだらぼっち」の子どもたちも。
その当時、新聞に紹介された記事を2件、紹介する(毎年紹介しているけれど、まあおつきあいいただきたい (笑))。




1997年(平成9年) 1月22日(水曜日) 中日新聞

福井の重油回収 県内の若い力も支援活動
泰阜のダイダラボッチの小中生 11人、駆け付け奉仕
すくい出しやふき取り



 泰阜村田本、通年合宿所ダイダラボッチ(辻英之所長)の子供たち11人(小学生6人、中学生5人)は19、20の両日、ロシア船籍タンカーによる重油流出事故で海岸への漂着被害を受けている福井県坂井郡三国町を訪れ、ボランティアで重油回収作業を手伝った。
 辻所長(26)は福井市の出身。小正月で実家に帰省した際、三国町で重油回収作業に参加し「一人でも多くのボランティアが必要」と感じ、子供たちに福井からファクスで参加を募った。

 合宿所で生活する子供たちの中には、神戸市灘区から来ている小学生もおり「阪神大震災の時のお礼もしたい」と全員が賛同。19日が授業参観で、20日が振り替え休日となっていたことから、19日午後にマイクロバスで三国町に入った。

 日本海は荒天で、回収作業は20日の午前中、2時間ほどしかできなかった。しかし、子供たちは、海岸の石を一つひとつ持ち上げ、すき間にたまった重油をすくい出したほか、石に張り付いた重油をふき取る作業に一生懸命に取り組んだという。

 19日は、辻所長の友人宅に泊めてもらい、現地の人から重油が海や環境へ与える影響など、貴重な話を聞くこともできた。

 辻所長は「わずかな時間しか参加できなかったが、小さなカの積み重ねが大切だということを学んだと思う。日本海が元の姿を取り戻すまではしばらく時間がかかる。また機会を見て、ボランティアに参加したい」と話している。(終)












1997年(平成9年)1月24日(金曜日)  信濃毎日新聞

重油回収 僕らも
泰阜村 山村留学の子供たち参加
福井・三国町で深刻さを実感「また行きたい」



 日本海のタンカー重油流出事故で、下伊那郡泰阜村の山村留学施設「グリーンウッド遊学センター」(辻英之所長)の子供たちがこのほど、タンカーの船首部が漂着した福井県三国町で、全国から集まったボランティアに交じって重油回収に協力した。

 ボランティア参加したのは、関東、中京方面から山村留学し、村内の小中学校に通う子どもたち13人。19日に現地入りし、20日の午前中、海岸に打ち寄せた重油の回収を手伝った。

 「チョコレートが溶けたような感じ」(子供たち)で至る所にこびり付く重油を、竹べらやスコップでこそげ取り、石を一つひとつ布でぬぐう。「気の遠くなるような作業だった」と辻さん。神戸市民をはじめ、全国からボランティアが詰めかける中、子供たちは新聞やテレビニュースでは想像もできなかった被害の深刻さと、人々の支援の力を実感した。

 福井市出身で、小学生のころ現場近くの海岸に遠足に出掛けたという辻さん。たまたま帰省していた18日に三国町に立ち寄り、汚染のひどさを見て、センターにファックスを入れた。支援の呼び掛けに、子供たちは即座に参加を決定。阪神大震災で被災し村に来ている小学五年生も、高校受験で横浜市に帰っていた生徒も駆け付けた。

 「またボランティアに行きたい」と子供たちはいう。「元通りのきれいな海に戻すには相当時間がかかるはずだ。助け合いがどんなものなのか、感じ始めた子供たちと、また現地に行きたい」と辻さんも考えている。(終)






自分が若くてクラクラする(笑)
阪神大震災の時(1995年)、被災児童を暮らしの学校「だいだらぼっち」で3年間預かった。
そのこどもが、1997年の福井重油事故では、先頭に立って重油を掬ってくれた。そそう、私は、神戸のこどもたちにも、ふるさとを助けてもらった一人である。
その恩を、私は一生忘れない。


覚えてるだろうか2011年の今を。
タイガーマスク現象が巻き起こった時期だ。
3月には未曽有の大地震が起こる。

その2011年から今まで、東北のこどもたちを支援することに奔走してきた。
支えられた自分が、今度は東北を支えてきた。
同じことは一昨年の熊本地震でも。
あの時、重油をすくった子どもたちは今、30歳を超えた。
そのうちの一人は、昨春、結婚した。
もちろん、私も参列した。
うれしすぎる。
きっと彼らは今でも、周囲のひとびとを支えているはずだ。
それでいいのだ。

善意のタイガーマスクは常に世の中に存在する。
私は、全国のボランティアに故郷を救ってもらった1人である。
だからなのか今、被災地を想う。

ひとは、傷つけば傷つくほど、ひとにやさしくなれるのだと想う。
苦しめば苦しむほど、悲しめば悲しむほど、ひとを想いやれるのだと想う。
支え合いは、支え愛。
1月7日はいつも、愛を感じる日なのだ。


代表 辻だいち






【素敵な成人式】 ~素敵なひとになっていく~

2018年01月03日 | ひとねる=自律のひとづくり
盆暮れ正月が一番忙しい私たち。
そんな私たちが、年末年始で一番うれしい日。

今日はわが泰阜村の成人式。
この村は、暮らしの学校「だいだらぼっち」の卒業生を成人式に呼んでくれる。
素敵な村である。
まさに第二のふるさと。



この村の方言で、子どもが「育つ」ことを「ひとなる」という。
人に成る、という誇り高き言葉である。




成人した卒業生に聞いてみると・・・
「大都市の成人式だと、もう知り合いもわからない。そもそも高校なんて、全然違う自治体から通学してきた友人だから、ほとんど逢えないし」
「でも、泰阜だと、友人全員と会える。それがうれしい。村長さんとか来賓もみんな知り合いだし(笑)。ほんと、招かれたって感じ」



村にたった一つの小中学校なら確かにそうだな。
しかも、こどもたちはこの村の宝だ。
みんなで成人を祝うんだよ。
やっぱり、1年といえどもこの村で過ごしたこどもは、宝なのだ。



この中に、私の長男もいる。
今年は格別なうれしさだ。
この後、村の友人たちと2次会だそうだ。
素敵な仲間にも恵まれて、素敵な人生の一歩を踏み出して、素敵な大人に成長していく。


きっと私もうれしい顔をしていたに違いない。
だから今日は気分がいい♪


代表 辻だいち



【元旦からマラソンするのが信州人である】~おっさんから20代に引き継がれた~

2018年01月02日 | 泰阜村のソコヂカラ
元旦は、「新春お年玉マラソン大会」が行われた。
30年ほど続く私の集落の恒例行事である。
集落のひとびと100人以上が集り、おだやかな元旦の時間を走ったり歩いたり。
あちこちから「・・・今年もよろしく・・・」の挨拶が聞こえ、走った後の大宴会も、カラオケあり、抽選会ありで、とっても楽しい元旦になった。
もちろん締めは、信州恒例の「万歳三唱」。



想えば、この村に来た25年前からすでにこのイベントは行われていた。
当時若手のひとびとが企画・運営を手がけて。
私も20代前半だったが、周りのひとたちも皆、20代後半や30代と、バリバリ若かったな。
5年前から集落に住む現在20代の若者たちが、このイベントを引き継いでくれた。
みんな家でのんびりしたいであろう元旦に、私たちがずっとやり続けてきた行事が、こうやって次の世代に引き継がれていくことはほんとにうれしい。
5年前まではあのステージの上で司会者として絶叫していた自分を想い出し、笑える想い出として元若者のおっさんたちで飲んだ飲んだ♪



国道も信号もコンビニもない山村のひとびとが、少ないながらもそれぞれの資源(時間、労働、情報、食料、お金)を持ち寄って、支えあいながら豊かなコミュニティを創りあげている。
時代を生き抜いた小さな山村のひとびとの営みに敬意を払い、今年も身の丈にあう形で世の中に発信を続けたいと想う。



昨年は姉が急逝したので新年のご挨拶を欠礼していま。
今年もよろしくお願い申し上げます。



今年1年、よろしくお願い申し上げます。


代表 辻だいち


【山村の文化が色濃く残る】 ~2017年の終わりに~

2018年01月01日 | 泰阜村のソコヂカラ
昨年の大晦日の話になる。

盆暮れ正月が一番忙しい私たちの職場。
昨年最後の日は、冬の信州こども山賊キャンプのこどもたちがもちつきをしたりおせち料理をつくるそばで、若手スタッフや息子たちと、施設群すべての注連縄(しめなわ)をつくった。
今年、暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちと一緒につくたお米。
収穫の際にできた稲ワラが材料である。




村のおじいまの「魔法の手」には足元にも及ばないが、縄を「なう」一連の作業と、注連縄の際に使う「逆ない」の作業、そして注連縄は3束使うんだってことを教えた。
母屋の玄関を飾る大注連縄つくりは高2になる次男とチカラ作業。
毎年やっているからだろうか、次男に「違うよ、こうだよお父さん」と言われる始末。
腕力と握力の成長にも驚くばかりだ。
本来は大人4人がかりでの業である。
2人だけで作ったわりには良い出来栄え。
飾り付けは、キャンプのこどもたちが担当してくれた。
まあ、トータルで合格としよう(笑)




正月を迎えるにあたり必要なものは自分たちで創る。
泰阜村は昔ながらに大晦日が過ぎていく。
夕方からは、みんなで伝統行事の「お年とり」。
この村では「年越し」ではなく「年とり」という。
そしてこの「年とり」こそが伝統文化を色濃く残す行事なのだ。
村中の人がみんな、各家庭で「年をとる」。




「年とり」って何?ということだが、その昔とっても貧しかったこの山村で、大晦日の夜だけはなかなか手に入らない尾頭付きの魚を食べて、家族全員でひとつ”年をとった。
いわゆる数え年の考え方だ。
おもしろいのは元旦ではなく大晦日におせち料理を食べてしまって「年をとる」ということ。
今でもこの風習が息づいていて、大晦日の夕方は村中の家で、一家の大黒柱が「さあ、みんなでひとつ、年をとるぞ」と、尾頭付きの魚を食べることになっているのである。





私も尾頭付きの魚を食べて、冬の信州こども山賊冬キャンプのこどもとスタッフ家族みんなで、ひとつ年をとった。
そして、こどもにかかれば、伝統的な「お年とり」もパーティーになってしまう。
それでいいのだ。



今年は戌年。
年男。
気づけばもう4周り目である。

代表 辻だいち


【1600人の村民と、村外のファンと共に】 ~いつか日本を代表する教育になるように~

2017年12月31日 | おかげさまで30周年!
このたび、NPO法人グリーンウッド自然体験教育センターは、地方自治法施行70周年総務大臣表彰を授与されました。
この表彰は地方自治法施行70周年を記念して、地方自治功労者を表彰するものです。
私たちは「都道府県及び市町村の行政に積極的参加し又はコミュニティづくりに熱心に取り組んでいる民間団体、住民自治組織」として長野県庁から推薦されました。
前回が60周年記念表彰だったので10年に1度の表彰ということになります。







11月20日(月)に東京国際フォーラムで行われた表彰式に私ダイチが行ってきました。
会場には3500人の関係者が集まり、厳粛な雰囲気での式典となりました。
驚くべきことに、天皇皇后両陛下が参列されておりました。
私自身は両陛下を間近で見たのは初めてのことですが、さらに両陛下の前で内閣総理大臣、衆参両議員議長、最高裁判所長、すわなち三権の長が次々と祝辞を述べる光景もまた、初めて見るものでした。







この表彰は民間団体の活動内容を単に表彰するものではないということです。
つまりは民間団体が地元行政としっかりと協働し、住民と共に歩んだ功績を評価するということです。
この泰阜村にお世話になって30年。
胸を張れる評価であると感じておりますが、しかしNPOグリーンウッドだけが表彰を受けたとは感じておりません。
泰阜村の皆さん、そしてこれまで支えていただいた関係者のみなさんと一緒に歩んだ軌跡を表彰されたと強く感じております。
皆様に心から感謝申し上げる次第です。





今後も皆さんと歩んだ30年の歴史の積み重ねに敬意を払い続け、日本を代表する教育活動になるよう邁進していく所存ですので、引き続きご指導ご支援をいただけますよう心からお願い申し上げます。

本年もたいへんお世話になりました。
新しい年が未来に向けて耀く年になりますように、そして皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
良き新年をお迎えください。

代表 辻だいち