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緑の切妻屋根の家が建つ

60代も後半になり、ひょんな事から一人住まいの実家を建て替えることになりました。

娘が休職に至った理由

2024-06-21 13:06:56 | 日記

 リビングの窓際に置いてあるソファに横並びに座って、娘の休職に至る話を聞いたり、私が家を建てている最中の苦労を話したりした。娘の休職の理由は、以前のようにパワハラでなく、早い話が「過重労働によるストレス」が原因だった。一般的なヘアメイクの担当する結婚式の件数は月平均7件なので、年に換算すると84件、しかし娘が担当したのは年154.5件(0.5は二人で担当したということらしい)面倒くさいお客さんもどんどん回されて来て、一般的な件数の2倍近くを担当して、社内1担当が多かったと言うことで、表彰されたりしたらしいが報奨金は無く、3万円分のカタログギフトを貰ったのみだったそうだ。

 12時間の結婚式リハーサルがあり、次の日の午前中も別のリハーサルが入っていたりして、もしここで一旦家に帰ったら2時間しか寝られないと気づいて、上司に頼んで近くのビジホに泊まり、どうにか二つのリハーサルをこなした次の日、研修があって行かないとと思っていたら、肝臓が痛み(肝臓が痛くなるとは聞いたことないので多分腹痛か?)それを見た娘の夫が出勤を止めて、「モンスターハズバンドになるから。」といって「嫁は休みの日も寝てばかりいる、いったいコンプライアンスはどうなっているんだ?」と上司に掛け合ってくれたらしい。それで、ポストは一旦副主任ではなくなり、技術に特化したスペシャリストということになったらしいが、娘の代わりにその副主任の座についた娘と同じ時期に入社した少し年下の同僚が仕事が出来なさすぎて、仕事の軽減どころかストレスを増すことにしかならなかったそうだ。年齢は娘と同じだが新卒でずっとそこで働いていた主任だった人が異動になってから、この事態になったそうだ。主任が居る頃は、お互いの大変さを共感し合うことが出来たので、どうにか大変な仕事もやれていたそうだ。しかし、その人が抜けてしまってから、チームでやっている仕事なのに、ホウレンソウが徹底できず、自分がミスをしてしまったことにうろたえ、お詫びに誰にも相談なく料金の一部をサービスするという事を担当したお客さんに言ってしまうというような副主任の尻拭いもしつつ、以前のように自分が担当者を変えてもらいたいと言われてもその代わりになってくれる社員がいないという緊張というストレスを抱えていたそうだ。そんな中、こだわりの強い私物も沢山持ち込んでくる花嫁を担当し、その人がこのヘアースタイルにしたいという動画を見て、自分が祖父に受講料を出して貰ってヘアセットの講習に通っていた先生の動画だと気づき、その先生のところにわざわざ行ってやり方を教わるとかそういった努力をしていたのに、満足して貰えず担当をかえてほしいといわれたそうだ。副主任は全くヘアーセットは出来ないので、結局異動していった前の主任がわざわざ来て代わりをやってくれたそうだが、前髪が必要なスタイルなのに、前髪がないのをどうしたんだろうね?と不思議がっていた。そして、やはり女性は大変なときは共感してくれる人の存在が大変重要ということは凄く同意してくれた。しかし、娘も一回り弱年下のS氏に対しては「20代半ばなんてまだまだ子どもなんだから・・・。」と同情的だ。娘は今では後進を指導する立場だけれど、自分たちの頃よりそれは難しいといっていた。娘は自分は技術力を身につけるために始業1時間前とか終業後1時間とかよく練習をしていたそうだが、今はそういう事はあまり若い人達に勧めづらい状況だそうだ。

 そして、その花嫁担当を外れて上司の面談を受けて産業医に診断書を書いて貰い休職に入ったそうだ。

 娘の言うとおり、床には結構人や猫の髪が落ちていたり掃除もできてなくて、夜寝られなくてやっと眠くなってきたから寝ようとした時の私の訪問だったが、色々事情は話してくれたし、片付けの大変だった話も聞いてくれた。自分だったらどんどん捨てると言っていたので、うっかり私が「鋼の錬金術師」のイラスト集をブックオフに出してしまったことを言ってしまったら「初版本だったのに・・・」と悔しそうだった。子どもの頃娘が「鋼の錬金術師」にはまっていたことは知っていたから「やはり聞いた方が良かったか・・・そして、このことは言わない方がよかったな。」と思った。

 それにしても、娘が再婚していて本当に助かったと思った。自分は家を建てているのに、娘のサポートもしなければならなかったとか考えられない。夫としてお婿さんがしっかり娘を支えてくれているから娘も安心して休める「しっかり休んで・・・」と言ってくれたそうだ。休職中に友人と宮古島に行ってスキューバダイビングをしてくるそうだ。休職中に今までしたくても出来なかったことを全部やって復帰するつもりだと言っていた。

 二度目の夫のことを自分は濃い顔が好きだからと、高橋大輔に似ていると娘がいう今の旦那さんを大変気にいっているが、南の島には旅行はしたくないとか、人混みの中へのお出かけは嫌いとか一緒に付き合って欲しくても付き合って貰えないことがあるのが残念らしい。でも、そういうのは友達に付き合って貰っているということだった。担当した花嫁さんから友人になった人もいて、一緒に旅行したりしたこともあるそうだ。

 私が多少資金援助もしたマンションは7階で見晴らしもよく、リビングや娘の部屋は南向きだった。フルリノベした物件のせいか、とても綺麗で使いやすそうだった。食洗機を入れると言っていたけれど、食洗機は結局入れなかったから、使ってみてどんな感じか教えてと言われたが、多分私も使うことなんか一年に何回もなく、ただの食器乾燥機になりそうな気がする。それにしても、娘夫婦の購入したマンションは2LDKで二人と猫2匹程度が暮らすには十分な広さだと思うけれど、ずっと私の家を建てるより金額が高い。東京の交通の便の良さそうな区内に住むって本当にお金がかかることなんだなと思った。

 あと、昨日や明日だったら家に居なかったと言われた。ちょうど、寝ようとしていた時だというので、もう少し遅かったら会えなかったかもと思った。本当にいいタイミングで会うことが出来て良かった。


娘の家に初訪問続き

2024-06-21 08:36:51 | 日記

 祐天寺の駅は周りにあまり何もなさそうなところだった。グーグルマップで調べたら、1キロほどのところにガストがあるからお昼を食べに寄ろうかと線路沿いを歩いた。駅構内の高架下に東急ストアがあるようだったが、そのまま通り過ぎ、しばらく行くとマイバスケットがあった。マイバスケットって確か安いスーパー?と思い入って見た。わざわざガストまで行かなくても、何か買って食べればいいか?と気がついた。確かに安めだったので、おにぎりを二個買って、駅の方に戻ろうとしたが、ちょっと景色が違う。反対方向に進んでいたようだった。それに気づいて駅方向に戻り、駅前のバス停のベンチに誰も座っていなかったし、知る人もいない場所だからとそこでおにぎりを食べて駅構内に入ろうとしたら、スタバの試飲をやっていた。なんでもアーモンドが入っているらしく、アレルギーの有無を聞かれた。

 このときガストまでわざわざ行って、昼食に無駄な時間をとらなかったのはよい判断だったことがあとでわかった。

 祐天寺から中目黒駅までは一駅、でも降りてどこが日比谷線のホームか分からないので聞いたら階段を上がっていくホームだった。地下鉄といってもいつも地下にあるとは限らない。ヤフー路線では2番線に乗ればいいように書いてあったが、不安なので近くの男性に「これ日比谷にいきますか?」と聞いたら「分かりません。」と言われた。乗ってからスマホで確認しようとしてたら「これ日比谷に行きます。」と答えてくれた。そして、その人は日比谷の前の駅で降りる人だった。日比谷で都営三田線の乗り換えは意外と分かりやすかった。娘の住んでいるマンションの最寄り駅は板橋区役所前というところで、地下鉄から地上に上がるとすぐその横に区役所が建っている。道路の音がうるさいので、区役所の中に入って、娘の事も相談しているS氏にも最寄り駅を降りたけどどうしようかと、多分背中を押して欲しくて電話したが出なかった。区役所の案内の女性に地図を見るのが苦手な私が、地図を見せながら氷川町方面に行きたいんですけど・・・と言ったら、紙の地図を出してきて思っているのとは見当違いの方を指す。グーグルマップ上に、マンションの近くに区立のホールがあるのを見つけて、この近くですといったら、建物を出てまっすぐ道路を渡って進めばよいということが分かったので、その通りに行ったら、5分くらいでマンションに着いてしまった。

 受付に訪問者の訪問時間とどこを訪ねたかを記すノートがあって、右の方に進むとエレベーターがあったが、6階どまりで、6階に行っても、さらに上には行けないので、降りて下で管理の仕事をしている人に他にエレベーターの有無を聞くと反対側にもあるというので、そちらに行こうとしたら、どちらをおたずねですか?というので、部屋番号を告げてそちらのエレベーターに乗った。

 エレベーターを降りるとそのすぐ右側が娘家の部屋だった。思い切ってインターホンを押したら、返答があったので、「心配だったから来ちゃったよ。」というと「えー、今から寝ようとしてたのに・・・。部屋も掃除してないし。」とか不機嫌そうな感じだったが、そこで話してても仕方がないと思ったのか、ドアを開けて中に入れてくれた。


アクセサリーミュージアム

2024-06-20 20:34:40 | 日記

 C公園に行ったときに、明治神宮ミュージアムというのがあるのを知った。紀子様などが復元された大礼服を見にいったというニュースにもなった大礼服が展示されていた美術館らしい。惜しくももう大礼服は展示されていないようだが、行ってみたい美術館だなと思って、グーグルマップで行き方を調べているとき、地図の下のほうにアクササリーミュージアムというのがあるのに気がついた。小田急高速バスで停車する池尻大橋辺りからも遠くない。なので、高速バス乗り場が近くにある仮住まいのうちに行ってみたいなと思っていた。

 7時40分の小田急高速バスに乗ることにした。本当は事前に切符を買って置いた方がいいけど、ウィークデイだから乗れるか?と思って行った。歩いて行こうかと思ったが、ちょっと時間に余裕ないか?と思って自転車で行った。駐車場の方にある建物は昔は切符も販売していたが今ではしていなかったので、バスの中で切符を購入した。小山高校に通っていると見られる、高校生も大勢乗り込んでいた。私の長男も、自転車通でなくてバスにしてあげればよかったかな?と思った。小山高校は東名足柄のバス停に近い。

 渋滞もなく順調に10時より15分以上も前についた。グーグルマップを見ると1.6kmと徒歩でも行けそうな距離、ちょうどつく頃が開館時間になりそうだからと徒歩出行く事にしたが、グーグルマップのナビを利用するのが苦手なので、歩き出してすぐにこの道でいいのかどうかと反対から歩いてくる女性に確認した。立ち止まって地図を見て大丈夫だと教えてくれた。この後、初めて利用のところが多かったので何回も駅や色々なところで、道行く人に道を聞くことが何回もあったが、誰もがみな親切に教えてくれて本当に助かった。自衛隊病院の脇をとおるのだが、「これが有名なプリンセスクルーズで出たコロナ患者を入院させたけど全く院内感染を起こさなかったことで有名な病院なのか・・・」などと思ながら通り過ぎた。自衛隊病院を通り過ぎると、本格的に住宅地に入っていくのだが、どこも道幅が狭いし、結構歩き始めた段階から坂も多い。敷地いっぱいに建っている家ばかりだ。なので、この辺りでは絶対にセキスイハイムの家は建てられないような住宅街だなと思いながら歩いた。近くまで来ても道が分からなくて、もう一回歩いている女性に道を聞いたが、人に質問しながら、自分が地図のどの辺りにいるか分かり、すぐ近くまで来てて少し行きすぎていたことに気づいた。

 地図を見ながら確かめ確かめ歩いたのでついたのは開館時間を10分以上は過ぎていた。でも、私が一番早い入場者だった。住宅街の中の美術館なので、それほど大きくはない。地下一階地上二階の展示室だ。コスチュームジュエリーを販売をしていた個人の収蔵品を展示してある美術館だった。ダウントンアビーに出てきた、ジュエリーと一緒に来ていたコスチュームの展示も多少あった。

アールヌーヴォーとかアールデコのコスチュームジェリーが普及し始めた頃の展示品が、やはり見甲斐があると思った。現代に近づくにつれ、見慣れた物も多くなるのであまり面白いとは思わなかった。


昨日突然同窓生から電話があった

2024-06-09 19:28:58 | 日記

 昨日突然知らない女性から電話があったと思ったら、同窓生の一人だった。中学校時代の同級生だけど、それほど親しくしていたわけではない人だ。成人式の頃とても綺麗に撮れた写真が写真屋さんに長く飾られていた人だった。同窓生のライングループにも誘われたので、とりあえず入っておいた。

 しかし、私は小学校5年の半ばからの転入生だし、中学校は二つの小学校から通っていたので、知らない人も多いし、あまり中学校時代はいい思い出がない。しかも、卒業後も交流が続いている人もいない。最近、友人づきあいしている人のMさんが居る程度だ。なので、今まで、1~2回くらいは同窓会に行ったかなと言うほどだ。そして、8000円という会費を払ってまで、食べたり飲んだり騒いだり謳ったりを一緒に別にしたいとは思わない。女性陣だけで半額くらいのお茶会くらいだったら参加してもいいと思う。


一難去ってまた一難

2024-05-28 13:15:00 | 日記

 せっかく、ハイムとS氏への信頼が少しずつ戻り、食欲も出てきたし、眠れそうかなと思う状態になってきた。昨晩は、風雨の音に睡眠を妨害されたので、ぐっすり眠れるとは行かなかったが。パナソニックHOME'Sで20年前に新築した従兄弟の家に初めて行ったのは、叔父の初盆の時だった。叔父は新築した家に入れないままなくなってしまった。訪れた時は夏の雷雨が酷い時だったが、家の中に入ってしまうとその音が全く聞こえなかった。やはりロックウールの遮音性って優れているのだ。その後、結婚するのか?できるのか?と心配だった従兄弟は職場で見つけた派遣社員だった、20歳も年下だった女性を娶って結婚した。結婚式では、新郎の友人が「羨ましい。」という事のみが良く伝わってくるスピーチをしていた。お子さんも娘二人だけど、どちらも優秀で、長女は5芸大に匹敵する京都市立芸大に今年から入学し、次女はこの地域で誰もが進学校と認める歴史ある伝統校に塾にも行かず合格し通学している。なので、叔父さんは残念だったが、従兄弟は家を建てた後の人生展開は良かったわけだ。ただ、年取ってのお子さんだから娘さん達が社会人になるまでは大変だろう。

 話はずれてしまったが、昨年娘はやっと再婚できた。初婚はたしか21歳くらいだったと思う。高校時代にガラケー時代のメル友募集掲示板で知り合った人だ。専門学校中退してアルバイトしていた人と誕生日が同日って事でメル友になり、そのまま2番目の彼氏となった人と結婚した。私からするとメンタル弱い娘を支えてくれるので、ありがたい人だと思っていた。しかし頼もしさが足りなかった。娘は夫に正社員になってくれることを願っていたが、その努力を十分しているとも思われない、頼んでおいた家事もやってくれない、夫婦としての将来への展望も失せてしまい、夫に対する愛情もなくなってしまった。娘は将来を心配していてきちんと資格を取りたそうだったので、祖父が学費と生活費をだして孫である娘を今度は美容師の資格の取れる専門学校に入学させてくれた。その契機で,娘夫婦は別居することとなった。資格を取った後も、そのまま東京で職場を探したが、中々いいと思える職場も見つからなかったが、コロナが始まった頃、やっと池袋のメトロポリタンホテルの結婚式場に併設する美容室に就職して、自分の理想の職場と言っていたのに、鬱病から職場復帰してきた先輩からのパワハラで自殺しそうになるところまで追い詰められて、私にSOSを出してきたのだ。それに対して夫は一緒に心配してくれるわけでもなく、「もう嫁にやった娘だ。夫が居るから関係ない。」という言動、別居してることも知ってたのか知らないのかは、私も言ってなかったか知らなかったと思うが、あまりにも冷たい親ではないかと私は呆れ果てた。その頃知人のすすめもあってコロナ下ではあったが、初めて娘に会いに行った。娘はその当時交際していた人に、せっかく来てくれるんだから母親に会うように言われて、私と会った。私は新宿で宿を探して泊まった。コロナ下だったからか、都庁の隣のホテルに安く泊まれ次の日に娘に会えた。私は娘のために自分では言えなかった実情を娘の上司に伝え、シフトを配慮してもらうなどして、その先輩と一緒には働かなくて済むようにしてもらった。そのために不足した生活費なども補ってあげたりした。しかし、その美容室はコロナ下のための経営難で撤退することとなり、娘はまた就活する羽目になった。次に見つけてきたのは港区のグランドハイアット東京の中にあるサッシュアルモニアというサロンだった。でも、そこも長く続けられなかった、そこは色々技術の資格試験のようなものがあり、それに合格していかないと本採用というような立場にはなれないのだが、娘は前職での後遺症があり、本番になってしまうと手が震えて十分実力を発揮しきれないという困難を抱えてしまっていたのだ。結局その職場も離れることとなった。次は、ミス日本の審査の時に和服提供などで知られる会社の美容部門に勤めた。

 そこではパワハラに会うことなく順調に仕事をしているかと思ったが、コロナにかかってしまった。そしてその前後の職場のグループラインの先輩のあまりに思いやりのない体育会系の物言いに我慢が出来ず、また辞めてしまったが、意外とすぐに次の就職先が見つかったが、最初はまだ常勤できるところは決まってなくて、一ヶ月近く都区内その周辺地域の結婚式場にあちこち行ってはヘアメイクの仕事をしていた。黒のパンツスーツに大きなキャリーバックを曳いて歩いてる人見たら、それは私と同業の人だな。と思うと娘が言っていた。その大変な一ヶ月を過ぎて、娘が常勤する所が、一番職場の人間関係がよくて仕事がやりやすいと言っていた大宮の結婚式場に決まった。そして、一ヶ月いろんな式場の手伝いをしたことが、「あの一ヶ月あなたを雇用してなかったら、仕事がまわらなかったよ。」と言われ、今まで凹まされてきた娘の自己肯定感が回復したようでよかった。娘は自分の自己肯定感が低いのは私のせいと思っている部分も大きかった、私も多少身に覚えがあったりするので、何回も娘が転職したりしている頃タロットを使って相談にのったりして、娘を支えてきた。やはり機能不全家庭で育つってハンデをしょっていると思うが、私から見るとそれだけでなく、娘はちょっと気の弱そうに感じられるところもある。そのせいか、話しかけても拒まれない雰囲気があるのか、よく変な男の人に声を掛けられやすいと言っていた。私も娘を駅に迎えに行ったら、横にいる中年男性に話しかけられていたのを見かけたことがある。後でなんて声かけられたの?って聞いたらここにタクシー来るの?みたいな見れば分かるわざわざ聞かなくても良さそうなことを聞かれたと言っていた。

 娘の二度目の夫は、北池袋駅を挟んで徒歩10分の距離の所に住んでいた。マッチングアプリで知り合ったが、お互い×1、猫好き、子どもは持たない派と色々共通点も多く、猫友達から始まって結婚に至った。娘としては医療職だったこともポイントだったようだ。鬱病や適応障害にも理解が大きいと思ったのだろう。

 せっかく結婚して1年。少し前までは2匹目の猫を飼うために猫のケージは捨てないで欲しいとか言っていたし、仕事のポストも少し重要なところに変わったなどといっていたが、そのストレスのせいだろうか?それともまたパワハラされて?

 なかなか、人生心配事は次から次へと訪れるものだ。