将人とともに together with Masato

For the parents in the world, whose children have autism.

もう物足りない運動量 5/5

2009年01月13日 | 体育
中学1年生の入学時には、顔はだらしなく緩み、言う事もほとんど聞かず、完全なマイペース。姿勢も猫背で、立ち姿勢が保てない、ふにゃふにゃ人間でした。それが、この3年間で大きく変わり、シャキッとしました。

家では、パブリックとプライベートを使い分けさせていますが、一応パブリックではちゃんとできる事もあるようになりました。(ただ、このパブリックとプライベートの区別自体がまだまだ曖昧で、我がまま優先なのが今後の課題です。)

それが、腹筋200回やっても平ちゃらになってくると、また以前のような感じに戻る時が出て来たのです。

正直、マラソンは5㎞で十分だし、光の村マラソンでもハーフで十分じゃないかと思っていました。ところが、この冬期家庭学校中に、この子にはもうそれでも物足りないんじゃないかと感じるようになってきました。

10㎞走ったらさすがに「疲れたー」と言いますが、息もほとんど乱れておらず、最近こだわっている、お気に入りの「門」を見るために、その疲れた体で爆走して近くの家に飛んで行きます。

1周1㎞の周回コースを10周走った時のことです。はじめの1~3周は普通に走りますが、いつもよりかなり速めで、まるで100メートル競争です。後を見越したペースで走る気がありません。そのため、もっとゆっくり走るよう声かけします。

そうかと思えば、時々止まったり、ヤンキー座りしたりします。しかし、これも声かけすればまた走り始めます。走れるのに止まってしまうのです。

この時点で、「もう嫌だー」と、走るのを嫌がりますが、心拍数もあまり上がらず、息もほとんど乱れていません。表情にもまだまだ余裕があります。そのため、「駄目。残り5周走ります!!」と毅然とした口調で言うと、「わかったよ」とばかりに吹っ切れたように走り始めます。まるで、駆け引きを楽しんでいるかのようです。といっても、この子にはこういうことで人と交わるしか、その術(すべ)がないのですが・・・。

すると、どうでしょう。今までよりむしろ若干ペースが速くなり、しかも安定した走りで、休むことなく、いつもの「お仏壇に猫、入れていいですか」の独言も消え、最後の5周を走りきりました。「ただひたすらに何かをした」瞬間です。これこそが光の村教育の目標到達点じゃないかと思いました。

いつもそうですが、将人は後半の方がいいように思います。後半の走りが崩れてきた時こそ本当に疲れて危ない時期なのだろうと思いますが、今のところ、それに到るにはまだまだ余裕がありそうです。

それができたから何なんだ、というのはあります。バスの運転手さんになれるわけでもなく、コンビニの店員さんになることも難しいでしょう。しかし、何をするにしても、前半と違った後半の走りができて初めて次があるような気がしてきたから不思議です。私もいつの間にか、光の村信者になってきたのかもしれません。健常者なら、絵画に没頭してもいいだろうし、料理や数学、介護、はたまた農作業や建築作業に奔走することで同じような経験もできるのでしょうが、この子たちに関し他のアプローチが、今の私には見えません。

私から見ると、かなりきつい運動をやって今に到り、情緒的にもずいぶん変わってきた将人ですが、目標情緒までにはまだまだです。そして、これまでの運動は物足りなくなってきている様子・・。ならば、もう少し負荷を上げてみたらどうかと、私自身が思うようになりました。今のままの負荷を繰り返す事では、少なくともこれ以上の情緒的な変化は期待できない・・・。むしろ退行して行きそうだ、と。もちろん、先輩方の実例があるからこそそういう気持ちになれたのですが・・。

先生方がこれほどまでに献身的に指導して下さる所はなかなかありません。また、高校でもお世話になる事に決めました。どうかよろしくお願いいたします。



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