将人とともに together with Masato

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中学卒業後

2007年03月21日 | 卒業後
今回卒業した中学生6人のうち、1人は光の村高等部に進まず、今度新設されたさいたま市の埼玉県立養護学校さいたま桜高等学園に入学する事になった。(5人は光の村高等部に進学。)

知的障害児の中学以降の進学先は、地元の県立養護学校、地元の市立中学校特殊学級、私立養護学校のいずれかという事になると思うが、中学卒業以降はかなり限定される。

というのも、高校は県立で、市立中学校にあるような特殊学級がないからだ。ただ、中学校まで多数整備されている知的障害者の受け皿が中学以降養護学校しかなくなるのでは、いきおい養護学校高等部がすし詰め状態となる結果となり、長らく問題となって来た。

そこで、埼玉県は平成19年度から県立高等養護学校をさいたま市と羽生市に開校する事となったそうで、それに光の村中学部3年の男子生徒が受験、合格したのだ。

光の村では生活指導を通じて算数、国語的な指導はしていただけるものの、日記以外、いわゆる時間を決めた学科の勉強がほとんどなく、仕方なく、うちでも帰省時に百マス計算、本読み等を積極的にさせているが、それでも高等養護学校の難関入試に合格できた事は値千金だと思う。

特に障害児は人それぞれで、あの子がどうだからうちの子もどうだとか、付和雷同しても意味がないが、自由度が高い事はいいことであるに違いない。

また、聞くところによると、数年後には埼玉県の県立高校にも特殊学級が併設される事になるらしい。

したがって、今の時点ではっきり言える事として、光の村養護学校中学部卒業後は

(1).光の村養護学校高等部-秩父校土佐校
(2).県立高等養護学校-さいたま市羽生市
(3).県立越谷西養護学校高等部
(4).私立若葉養護学校
(5).県立高校内併設養護学校分校
(6).県立高校定時制?
(7).私立武蔵野東技能高等専修学校
等の進学が考えられる。

もちろん、義務教育は中学で終わりなので、進学自体を考えず、個別の徒弟的な職業指導なども選択肢に挙げる事はできるだろうが・・・。

実際、この15年間ほぼ2週間おきに欠かさず通っている広島風お好み焼き店の店主が、冗談かどうか、大変有り難い事にも、食事中の話しの中で、将人を弟子にしてお好み焼きの焼き方を教えようかと漏らしてくれた事があった。

どの進路に進むかはその子その子の力量で当然違うだろうし、子供あるいは親の年齢、または家庭状況に応じて変わってくるだろう。実際、送り迎え、行事の度に学校まで往復するのはかなりきついものがあるし、経済的にも県立校に比べ数倍も負担がかかっているのだから・・・。

「小学校までのふらふらした所を何とかシャキッとさせたい」という私の強い思い入れから、今は将人も、寄宿舎生活を通じた光の村の生活指導が一番と思っている。しかし、大変有り難い事にも、先生方の昼夜を問わないご指導でだんだんそれが矯正されて来ると、次の欲が出て来るだろう。

実際さいたま桜高等学園に進学して行く子も入学時は大変だったようだが、光の村の強力なご指導の効果が大いにあり、高校まで含めた全生徒の中でもいろんな意味でトップクラスと言ってもいい子だ。その分みんな寂しいし、先生方も折角あそこまでになったのだから高校3年生のトライアスロンまでもって行きたい。「光の村教育の究極像を完成したい」という思い入れが強いに違いないと思う。

だが、そんな子でも気持ちよくみんなで送り出した。教育施設の宿命とはいえ、この事もとても気持ちのいいものだった。

桜高等養護は新設でもあるし、歴史はこれから作っていくしかない所なので、もしかしたらまた光の村に戻って来たいという事になるかも知れない。おそらく、その場合でも光の村ならまた気持ちよく迎い入れて下さるに違いないと思う。

障害者年金と親の援助あるいは保険金を頼りに何とかひっそりと生きていく道を探る事も一方では大事だが、職業を持ち、人様の援助に頼ることなく、自分で自分を養って行ける事ほど尊い事はないはずだ。

そのためにも、今、24時間、光の村で強力にご指導頂いている生活、運動教育を通じた自立訓練が全てのもとになると信ずる。





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