ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

第三の故郷になった円山

2015年02月19日 17時35分09秒 | 自叙伝

毎年北海道神宮の初詣では欠かした事はなかった、大通り20丁目に住んでいたので、家から一家揃って歩いて参拝に行くことが多かった、時には、車で行くこともあったが北二条通りを南 進し他人の家の前に無断駐車していたこともあった。

五月のお花見時期は桜は綺麗だが、あの人混みに入ることはなく、円山公園を素通りし盤渓峠や小別沢峠付近にお弁当持参で山遊びに出掛けていた、帰りには山菜がお土産になり自然と山菜の知識が蓄積されていったのもこの頃からです。

徒歩で行ける所は、この辺までで、時には三角山山頂から大倉山ジヤンプ台山頂そして小別沢峠で降りて帰るコースも歩いている、良く歩いてもいた。

少し本格的に山菜を採る様になったのは、盤渓スキー場裏側の百松沢山にも通じる深い沢が何本もあり最初の頃は車でも可なり奥まご入れていた、営林咼が弱体すると共に林道の整備が殆ど手付かずになり山は荒れていった。

車から降りて直ぐ採れる環境なら兎も角、羆との共存地帯なので自然と足が遠ざかってしまった、後半になり二輪車を持つようになてからは、良く出掛けたアイヌネギの畑があったり秋にはきの子が簡単に採れる所でもあった、沢の奥の方に採石場があり一般車両が出入り出来なくなり、それ以来足を踏み入れていない。

 その項の我家の冬の越冬食糧の浸けフキはここで間に合っていた。

9曰に一度取りつけていた人工肛門を、破れている前後を切り取り縫合する手術をおこなった、傷口が完全に繋がる様に食事類を一切絶つ、それに替わってエルネオパ2-1500「ブドウ糖、電解質、アミノ酸、総合ビタミン、徹量元素」一日一本1.500cc を心臓の直ぐ近くの血管から入れていた、一週間続き17日の昼から重湯を取り初めエルネオパ2の1000にし夜間は止めていた、所が初めての便ががあり縫合している一部から漏れて要ることが判明し、今日から又も絶食たなる、エルネオパ2-1500に後戻り、此では退院も遅れそう。

厳しい現実に戸惑う。

昨年の春、十勝岳吹き上げ温泉に湯治に行き三段山まで登り帰りは手作り橇で滑り降りて来る、今年は不可能也。

 

 

 



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