ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

八十となり、みたび縁しに、導かれ

2015年02月09日 03時30分44秒 | 自叙伝

愛妻を最後で迎えた此の医院、以来私も此の医院の患者になっていた壮年期を終える頃、車で例えると耐用年数が来た中古自動車で、自分の健康管理を意識している人は最低年に一回は検察入院でチェツクを受けている、車の車検と定期検診なのだが、こんな人は全体的に見て稀と思う。

60才代頃には、老人の意識は全く私とは無縁と思っていた、現に70才迄は山専用にヤマハトライアル250を車に積んで山菜採りやキノコ採りに乗り回していた、バイクを乗せて行く車が壊れてしまいそこでバイクは断念した。

丁度その頃近くに住む従兄夫婦が、シニア大学の創造学園でそれは楽しそうに通っていた、方や習字方やフオークダンスに二人とも今でも続けている、私とは10才先輩だが、等々90才を超えた、私の身近なな所に素晴らしモデルとなったのが竹内稔、キサ夫妻だ。

その後、妻に先立たれ妹と同居するようになってから、旧姓に戻った妹の泰子を伴って二年間シニア大学に入学したのは75才を過ぎてからで、楽しい二年間だった卒業パーティーの真っ盛り中東北大震災が襲っていた、この日は忘れられない記憶となってしまった。

妻の病気が、不治の疾と知り20年以上ペタンク普及の先頭に立ってやってた、後継者も育っていたのでペタンクのリーダーとの役割を終えた、妻の理解と協力があってこその「ペタンク爺さん」今はブログの名前だけになってしまった。

せめて今年の秋頃迄に、市内の大会に参加出来るような体に回復しよう思っているが、少し先を読み過ぎているかも。

今夜から三日間が勝負となる。

 



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