牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

牛頭天王と東方浄瑠璃世界

2010-12-23 00:24:00 | 日記

 クリスマスが近づいてきました。街にはクリスマスツリーをイメージしたイルミネーションが飾られ、サンタクロースの帽子をかぶって売り子がクリスマスプレゼントを売らんとする姿をよく見かけます。11月から12月25日までは日本はキリスト教国になった感があります。そして、12月31日には除夜の金を聴いて仏教徒になり、その翌日は神社に行って初詣。神道に鞍替えです。ものすごく変わり身の早いこと。こういう国民、民族は他にはないでしょう。もっとも、八百万の神をもつ多神教国家。「現世御利益」のためなら何でも信仰対象にします。この根性はどこから来ているのでしょうか。最近わたしは思うのですが、長い間の「貧しさ」からきているのでないかと・・・。その貧しさが生まれたのは弥生時代以降でしょう。階級格差が大きくなった弥生時代から・・・・・。
 室町時代に日本にやってきた朝鮮使節は日本に乞食の多いことに驚き日記に書いているとのことです。階級格差の大きくなった弥生時代から現在に至るまで、日本の多くの民は「貧しさ」の中に身を置くこととなります。
 わたしたちはよく「西方浄土」という言葉を聞きます。「極楽浄土」は西にあるということですが、それは阿弥陀様を信仰する浄土教・浄土宗・浄土真宗の立場です。薬師様(薬師如来)は「東方浄瑠璃世界」の教主です。「浄瑠璃世界」とは瑠璃色に輝く素晴らしい世界を言い、人形浄瑠璃はそこからうまれた言葉です。お釈迦様がいた頃(縄文時代末期)の「東方」とはどこを言うのでしょうか。日本でしょう。実際に「東方浄瑠璃世界」を語ったのはお釈迦様ではなく、古代中国の仏教徒で彼らがお経に記したのでしょう。
「東方世界」を理想郷と思ったのは、中国の仏教徒だけではありません。孔子様もそうなのです。『論語』子罕《しかん》第九に 「子欲居九夷」とあります。子=先生=孔子のこと。九夷=東方にいる九種の生活レベルの劣った種族。「先生は言った。東方の生活レベルの劣っている民のところに行きたいと。」という意味になると思われます。孔子のいた地域よりも東の方だから中国東部・朝鮮半島・倭国(日本)も含めての多くの種族を言うものと思われます。生活レベルは劣っていても、平和がいいという意味でもありましょう。孔子は春秋戦国時代にいて、もう戦争はこりごりだと思っていたのです。戦争で悲惨な思いをするよりも、貧しいながらも落ち着いて暮らせる方がいいと思って、こんなことを言ったのに違い在りません。
 しかし、近年、日本の縄文時代においては、衣類は貧しくとも、食生活・精神生活は豊かだったことが実証されつつあるようです。階級格差が少なく、他の部族とのトラブルも少なかったことによると思われます。
 以前に書きましたが、牛頭天王の人気が薬師様よりも高まったのは、国分寺の本尊が薬師如来の場合が多かったところからも分かるように、階級格差を進める国家権力が薬師様を「後押し」したためでしょう。薬師様は武士階級・一般民衆から遊離していきました。代わりに牛頭天王が迎えられるようになっていったのです。 古代中国の仏教・儒教ともに「東方」を讃えました。今わたしたちはその「東方」にいるのです。 わたしたちが何を誇りにして何をすべきか見えてくるような気がします。


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