ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

しあわせの法則(リサ・チョロデンコ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー ;ハーバード大学医学部を卒業したイアンは大学教授の娘アレックスと交際中だがあえてハーバードには残らずローレル峡谷に移り研修医としての修行を始める‥
出演 ;クリスチャン・ベール、ケイト・ベッケンセール、フランシス・マクドーマンド
コメント ;えらく退屈そうなベッドシーンに幕を開ける。その後もさしたる展開がありそうには個人的にはまったく思えないが、「プール」といった装置が一種の「快楽装置」として機能し、プールをめぐって娯楽と破天荒ぶりが展開される。母親と母親の若い恋人と息子の恋人が互いに口付けしたりするのもプールだし、ゆるやかなテンポでロックシンガーはプールの上を横断する。こうしたのったりしたプールの上の浮遊はきわめて楽しい気もする。一応謹厳実直な息子がやや古臭いロックシンガーたちによって、別の世界への入り口が開かれてその狭間で「苦悩」するという展開をめざしたものらしいが、物足りない。それはケイト・ベッケンセールがあまり可愛くはみえず、クリスチャン・ベールもはれぼったい顔をしているからかもしれない。照明の当たり具合が悪いせいかもしれないが、俳優の顔つきが綺麗にとれていないのが残念ではある。クリスチャン・ベールは精神科医という役どころだが、物腰がすでにそうした雰囲気ではなく、バットマンが適役なんだろうなあ。クリスチャン・ベールも「ヴァン・ヘルシング」で見たときにはあまりに足が太いので個人的にはひいたのだがそれほど可愛くもなくキャスティングとしては、フランシス・マクドーマンドのスッピン演技が光るところか。ナターシャ・マケルホーンが演じるユダヤ系統の精神科医もなかなか。

 悩み系統の映画が退屈なのはなぜだろう。映画にそうした問題提起や問題解決など望んでいない観客も少なからずおり、「しあわせの法則」と「エイリアン対プレデター」ではやはりプレデターの演技のほうが百倍楽しめる‥というのが個人的見解である。

インファナル・アフェア(アンドリュー・ラウ アラン・マック監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;香港警察の2002年。10年前に香港マフィアから香港警察に送り込まれたスパイと香港警察からマフィアに送り込まれたスパイ。麻薬取引売買の失敗から双方がスパイの存在にきづき、探りあいが始まる‥。
出演;アンディ・ラウ、トニー・レオン、アンソニー・ウォン
コメント;ブルーを基本に置いた画面が美しく、なぜかいつも待ち合わせ場所がビルの屋上という設定も心地よい。ところどころハリウッド映画の模倣もみえるがそれをまた独自の解釈で映画に取り込んでいるところも面白い。ブラッド・ピット主演でリメイクされるらしいのだが、これはこのままのほうがいいのではないか、などともおもったりする。トニー・レオンがとにかくすばらしく、髭を生やしつつも童顔という欠点を気軽に難しい役を演じているように見える。
 エレベータが下がりつつ銃撃音がする場面は「グロリア」を思い出したし、エレベータの外で警官が集結している場面は「羊たちの沈黙」を思い出す。またエレベータにいきなり「手」が入ってくるあたりのタイミングはまるで「デイ オブ ザ リビング デッド」ととにかく過去の種々の映画のエッセンスを見事に取り込み、独自に再編集した美学。夕陽の逆光で画面に照らし出される斜めに傾いた車両と黒い影のトニー・レオンはまるで美術品のようである。

パッション(メル・ギブソン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;イスラエルで布教をしていたイエス・キリストはユダによって密告され審問を受ける‥
出演;モニカ・ベルッチ、ジム・カビーゼル、マヤ・モルゲンステルン
コメント;新約聖書の著述をかなり厳格に分析して再現した映画‥。ただしマリアとイエスとの関係は新約聖書よりもかなり親密に描かれている。カソリックの教会などではマリア信仰が相当に強いが、聖書の解釈ではマリアはやはり人間であるべき。またイエスキリストも「人であり神の子でもあり」(ニケイヤ会議)といった曖昧な位置づけ(トリニティ構造)、映画の中でも奇跡に対する演出は案外地味である。イスラエルといえばやはりユダヤ教だがこの土地では元来一神教が発達しており、このユダヤ教から現在のキリスト教とイスラム教が派生してできている。したがって、一神教の流れを汲むと同時に、神のために犠牲となって死ぬという旧約聖書のイザヤと同様のラインを新約聖書では描いている。イエスキリストの偉大さは「われを迫害するものを愛せ」という救済の範囲をユダヤ民族だけではなく世界全体に拡大した点にあるだろう。この思想からするとキリスト教徒によるイスラムへの軍隊派遣などということはありえなくなるわけだが。ユダヤ教にあるような割礼などの儀式性をあまりもたないキリスト教はパウロによってギリシアやローマにも拡大する。そして宗教革命をへて現在の資本主義社会を構築するにもキリストは大いなる貢献をした。いわば現在の市場システムはキリスト教の影響ぬきには考えられない。現代でこの映画が最後の晩餐から十字架までをかなりしつこく描く理由は、「現代」と「イエス」の思想の彼岸を描くことにあったのだろう。映画としては面白さはいまひとつだが、新約聖書やイスラエルの知識がある程度ないと楽しむことすらできない映画かもしれない。
 関連としてイエスの横で磔になったバラバについてはリチャード・フライシャーの「バラバ」、またなぜかこの映画では重点が置かれなかったが「主よ、なぜわれを見捨てたもうた」というセリフにはかなり重要な意味があるが、これを拡大解釈した名作に「最後の誘惑」がある。
(イザヤ)
 旧約聖書にでてくる預言者。旧約聖書の第53章はイエス・キリストの登場を「予言」していたとされる。
 彼はいやしめられて、人に捨てられ
 悩みを知り悲しみの人だった
 人が顔をそむけるまで卑しめられ
 われらも彼を心にとめなかった
 げに彼はわれらの悩みをおい
 われらの悲哀を負ったのだ
 ‥
 彼こそわれらの不義のために傷つけられ
 われらの咎のために砕かれた

 当時のイスラエルには一般の人間には旧約聖書は口述されていたはずだ。だがイエスキリストの死にともない地震が起きるがそこでイスラエルの民が一様におびえるのは、このイザヤの予言を書籍かあるいは口述で知っていたためであろう。映画の中にもイザヤ、エレミヤといった人間の名前がでてくるがいずれも旧約聖書の預言者であり、逆にイエスキリストの受難は旧約聖書の予言をそのまま現実にしたことになる。「彼らは知らない」つまり旧約聖書の中でふれられていた存在が今目の前にあることを知らない。このイエスキリストの死によって人類は旧約聖書とは異なる新たな神との契約を締結したことになる。だからイエスの言行は「新約聖書」ということになる(ただし当然ながらユダヤ教は新約聖書は認めない)。
(エレミアの再来)
 キリストがピラトから尋問されるときに「エレミアの再来というが‥」とたずねるくだりがある。古代イスラエルが滅亡するときの預言者で、神から一方的に預言者に指定される。北から異民族の侵入を受けてイスラエルが滅亡するという予言をするが、紀元前587年にバビロニア王ネブカドネザルによって古代イスラエルが予言どおり滅亡させられる。このときエルサレムは落城していわゆるバビロン捕囚につながる。このあたりはエレミア書(旧約聖書)に詳しいがそれまでのイスラエルの絶対神信仰がこのエレミアの登場で神とイスラエルとの新たな契約関係に入りユダヤ教が始まったとされる。
(さらに基本中の基本ですけが)
 キリスト教の世界思想の基礎にバビロン捕囚があるのではないかという考え方もできるだろう。もともとユダヤ教ではユダヤ民族中心だったが、バビロン捕囚でユダ王国は新バビロニアに吸収される。この時期にメソポタミアやペルシアの影響を受けて世界宗教の下地ができたのかもしれない。さてキリスト誕生時の支配階級はサドカイ派、律法主義を重んじたのはパリサイ派。この映画では主にパリサイ派が全面にでている。論争をしたのもパリサイ派が相手で、最初に逮捕されたのは聖書にでてくるゲッセマネ。十字架の刑のやりかたは聖書のままだろうが、これは当時の奴隷などに用いた方式。聖書はとっぴょうしもないエピソードの反面、風習などについては結構詳しく著述してあるようにも思うし、それを映画化するのもまたすごい‥。

オペレッタ狸御殿(鈴木清順監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;「がらさ城」の跡継ぎ雨千代は、父親からその美貌を妬まれて、襲撃されるが狸姫に救われる‥
出演 ;オダギリ・ジョー、チャン・ツイィ、由紀さおり
コメント ;ストーリーはあってなきが如しの映画だがとにかく監督の演出力がすさまじい。低予算の中でありえない美学を追求する。チャン・ツイーがなぜか追いかけてきて一こまづつ巨大になったり、明らかな書割の舞台の上にポルトガル人やスペイン人がくつろいでいたりする。だが奇をてらうだけのよくある三流映画と異なるところは、すべてがいろいろな過去の映画とつながりをもちつつ、さらには意表をつく斬新な画面で観客をあきさせない。「関東無宿」という映画と比較をすれば、いかさま賭博の階段の下にはってあった針金と、チャン・ツイイーと薬師丸ひろ子が「綱引き」をしながら唄う場面は明らかに映画的模倣だし、チャン・ツイイーが平幹二郎に刺された場面で空に赤いデジタルの線が走る場面は、小林旭が人を二人袈裟懸けに切った後、襖が倒れるシーンを彷彿とさせる。だが、一番の凄みはオダギリ・ジョーとチャン・ツイイーが恋に落ちる場面を二人がタップをふむ数十秒のシーンですべてみせてしまうところだ。つまりセリフなどにはあまり重きが置かれておらず、場面場面ごとにダンスとオペレッタが挿入され、絵画の中を三次元的に俳優が浮遊する。ありえないはずの映画がなぜか成立してしまい、「チゴイネルワイゼン」などでは時間的配列をまったく無視した構成をしていた鈴木清順はこの映画では空間的配置や民族的な背景すらのりこえた独自の空間を作り上げたのだ。すごい。

タイガー・ランド(ジョエル・シューマッカー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1971年ルイジアナ州に人工的に築造されたベトナム戦争シミュレーション地帯。タイガーランドとよばれるその地域は、基礎訓練を終えてベトナムに出征する兵士たちの最後のハードな訓練となる。「ジョニーは戦場へ行った」を愛読しているボズはその基地で独特の人生論を披露しはじめる…。
出演;コリン・ファレル、マシュー・デイビス、トーマス・ゲイリー
コメント;コリン・ファレルがやはりすばらしい。黒い髪と鋭い目が魅力的で、「アレキサンダー」といった作品よりもこうした反体制的な存在として小隊を率いる姿が輝いて見える。ジョエル・シューマッカーには珍しくカメラが大きくぶれて、画面もややイエローが入っているがこれは1970年代を印象づけるためか。本来はこうした演出は嫌いなのだが、それもまた許せるほど70年代している映画である。
 ベトナム戦争は1975年にニクソンが終結させた(パリ協定)が、この当時はまだ無差別攻撃を行い、世界の世論が米国政府から離れつつあった時期。「プラトーン」などの映画の遺産を受け継ぎ、ややどぎついまでの米国政府の内幕をさらけ出している。当時はまだ冷戦状況で「ベトコン」(南ベトナム民族解放戦線)といった蔑称はソビエト連邦の支援を受ける「北ベトナム」やゲリラについて、だがしかし「敵を敬え」といったセリフに、ゲリラへの敵意と一種の相反する感情もみてとれるピーク時には年間54万人の兵士がつぎ込まれたようだが、戦死者は5万8千人、ベトナム人民の被害者は約200万人といわれる。北緯17度線が一応境目ではあるが、映画にもあるように密林でしかも雨が降る状況では、ゲリラと正規部隊との戦いになる。近代戦争を超えた極限状況の戦いが精神的に大きなダメージを与えたのは当然の話だろう。
(「中国とフランスをやっつけたやつら…」)
 映画の中で「ベトコン」を語るセリフだ。19世紀にはベトナムはフランスの植民地であり、仏領インドシナと呼称されていた(大日本帝国軍もここを占領した)。日本が敗退した後再びフランスが占領。しかしホーチミンの指導(インドシナ共産党)によりフランスとベトナム人民との間に戦いが起こる。一部日本軍の残党もこの独立運動に加勢したともいわれる。1954年にフランスはアメリカに援助を求めるが当時はマッカーシズムといわれる反共主義運動が盛んな時期。1964年にアメリカとベトナムの戦闘が始まり、パリ協定に至るというわけだ。つまりフランスを追い落としたベトナムということになる。では中国とベトナムだが、これはもうすさまじいばかりの対立の歴史である。そもそもは中国の秦の時代に北越(北ベトナム)に中国が進入し、その後約1世紀にわたり中国文化の影響をベトナムで強める。漢、唐の時代など相次いでベトナムの独立戦争が起きるが鎮圧されている。1075年の宋の時代にはベトナムが中国に侵攻している。当時のベトナムは大乗仏教や科挙制度を導入し、国力を充実させていた。そして1862年にフランス・スペインの侵攻を受ける…。ただし映画の中で言及されている中国との関係は、ホーチミンと毛沢東が一時期仲がよかった割にはその後険悪となるなど非常に難しい関係だ。ただ国の規模からすれば信じられないほどの健闘を見せたのがベトナムともいえる。
(ソンミ村)
 1971年時点ですでにアメリカのマスコミが報じていたのがこのソンミ村の事件。1968年にアメリカ陸軍中尉が南ベトナムのソンミ村を襲撃し、合計504人が殺害された。反戦運動にさらにはずみがついたとされている。ソンミの名前がでた瞬間微妙な雰囲気が漂うが、厭戦気分をかいまみせる材料ではある。
(ジョニーは戦場に行った)
 第一次世界大戦で手と足を失った青年が新たなコミュニケーション手段を発達させる…といった映画だと思っていたがノベライゼーションを読んでいたのだろうか。ただ地雷の恐怖をバスで訴えるシーンでは伏線として非常に効果的ではある。読んでいないといいながら、かなりよみこまれている様子が表紙の汚れから推察される。

スパイダーマン3(サム・ライミ監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;スパイダーマンと大学生、そしてフリーのカメラマンの3つの顔をもつピーター。スパイダーマンとしては名誉市民賞を獲得、そしてプライベートではMJとの交際も順調でプロポーズも決意していた。だがしかし夜空の星をMJと見に行った直後から、新たに「黒い影」がしのびよる…
キャスト;トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト、ジェームズ・フランコ
 「サイドウェイ」で印象深い演技をしていたトーマス・ヘイデン・チャーチが低音が魅力の悪役サンドマンで出演。もともと「おどろおどろしい」顔つきではあるのだが、珪素の化け物という演出がほどこされるとさらに「おどろおどろしい」感じになる。特撮メイクとはいってもやはりこういう演出でないと、映画がつまらなくなる。この映画の中ではやはりサンドマンが一番お得な役回り。特に砂の表面がさらさら揺れて一つの物体を形作るまでの画面の流れがとても綺麗。どうしてこんなアイデアが浮かぶのかが不思議だが、サム・ライミ監督にはこうしたSFXの撮影をたくみに取り込む才能があるのだろう。スパイダーマンの跳躍感覚はやはりPART1が一番面白く、3になるとさすがに見飽きた部分もある。が、初登場のサンドマンにはこれまでのシリーズ作品にはないゆったりした動きと滑らかな画像がみられる。そしてこの映画でシリーズ3作連続出場のジェームズ・フランコがまた素晴らしい。一応悪役という設定だが、それでもキルスティン・ダンストと一緒に撮影している「料理」の場面がとても素敵だ。これ、実際にジェームズ・フランコが料理をしているのだと思うが、とても美味しそうな料理の数々。特にオムレツをひっくりかえすシーンやダンスを踊るシーンがナチュラルで素敵。トビー・マグガイア自体も主役としては悪くないのだが、この映画では、特撮に頼らないジェームズ・フランコの自然体の演技がいいなあ…。意味があるのかといえば実はないのだが、意味なくMJと料理を作って踊るシーンがラストのアクションシーンよりもずっと印象が深い。