ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

タイガー・ランド(ジョエル・シューマッカー監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;1971年ルイジアナ州に人工的に築造されたベトナム戦争シミュレーション地帯。タイガーランドとよばれるその地域は、基礎訓練を終えてベトナムに出征する兵士たちの最後のハードな訓練となる。「ジョニーは戦場へ行った」を愛読しているボズはその基地で独特の人生論を披露しはじめる…。
出演;コリン・ファレル、マシュー・デイビス、トーマス・ゲイリー
コメント;コリン・ファレルがやはりすばらしい。黒い髪と鋭い目が魅力的で、「アレキサンダー」といった作品よりもこうした反体制的な存在として小隊を率いる姿が輝いて見える。ジョエル・シューマッカーには珍しくカメラが大きくぶれて、画面もややイエローが入っているがこれは1970年代を印象づけるためか。本来はこうした演出は嫌いなのだが、それもまた許せるほど70年代している映画である。
 ベトナム戦争は1975年にニクソンが終結させた(パリ協定)が、この当時はまだ無差別攻撃を行い、世界の世論が米国政府から離れつつあった時期。「プラトーン」などの映画の遺産を受け継ぎ、ややどぎついまでの米国政府の内幕をさらけ出している。当時はまだ冷戦状況で「ベトコン」(南ベトナム民族解放戦線)といった蔑称はソビエト連邦の支援を受ける「北ベトナム」やゲリラについて、だがしかし「敵を敬え」といったセリフに、ゲリラへの敵意と一種の相反する感情もみてとれるピーク時には年間54万人の兵士がつぎ込まれたようだが、戦死者は5万8千人、ベトナム人民の被害者は約200万人といわれる。北緯17度線が一応境目ではあるが、映画にもあるように密林でしかも雨が降る状況では、ゲリラと正規部隊との戦いになる。近代戦争を超えた極限状況の戦いが精神的に大きなダメージを与えたのは当然の話だろう。
(「中国とフランスをやっつけたやつら…」)
 映画の中で「ベトコン」を語るセリフだ。19世紀にはベトナムはフランスの植民地であり、仏領インドシナと呼称されていた(大日本帝国軍もここを占領した)。日本が敗退した後再びフランスが占領。しかしホーチミンの指導(インドシナ共産党)によりフランスとベトナム人民との間に戦いが起こる。一部日本軍の残党もこの独立運動に加勢したともいわれる。1954年にフランスはアメリカに援助を求めるが当時はマッカーシズムといわれる反共主義運動が盛んな時期。1964年にアメリカとベトナムの戦闘が始まり、パリ協定に至るというわけだ。つまりフランスを追い落としたベトナムということになる。では中国とベトナムだが、これはもうすさまじいばかりの対立の歴史である。そもそもは中国の秦の時代に北越(北ベトナム)に中国が進入し、その後約1世紀にわたり中国文化の影響をベトナムで強める。漢、唐の時代など相次いでベトナムの独立戦争が起きるが鎮圧されている。1075年の宋の時代にはベトナムが中国に侵攻している。当時のベトナムは大乗仏教や科挙制度を導入し、国力を充実させていた。そして1862年にフランス・スペインの侵攻を受ける…。ただし映画の中で言及されている中国との関係は、ホーチミンと毛沢東が一時期仲がよかった割にはその後険悪となるなど非常に難しい関係だ。ただ国の規模からすれば信じられないほどの健闘を見せたのがベトナムともいえる。
(ソンミ村)
 1971年時点ですでにアメリカのマスコミが報じていたのがこのソンミ村の事件。1968年にアメリカ陸軍中尉が南ベトナムのソンミ村を襲撃し、合計504人が殺害された。反戦運動にさらにはずみがついたとされている。ソンミの名前がでた瞬間微妙な雰囲気が漂うが、厭戦気分をかいまみせる材料ではある。
(ジョニーは戦場に行った)
 第一次世界大戦で手と足を失った青年が新たなコミュニケーション手段を発達させる…といった映画だと思っていたがノベライゼーションを読んでいたのだろうか。ただ地雷の恐怖をバスで訴えるシーンでは伏線として非常に効果的ではある。読んでいないといいながら、かなりよみこまれている様子が表紙の汚れから推察される。

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