ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

パッション(メル・ギブソン監督)

2008-01-05 | Weblog
ストーリー;イスラエルで布教をしていたイエス・キリストはユダによって密告され審問を受ける‥
出演;モニカ・ベルッチ、ジム・カビーゼル、マヤ・モルゲンステルン
コメント;新約聖書の著述をかなり厳格に分析して再現した映画‥。ただしマリアとイエスとの関係は新約聖書よりもかなり親密に描かれている。カソリックの教会などではマリア信仰が相当に強いが、聖書の解釈ではマリアはやはり人間であるべき。またイエスキリストも「人であり神の子でもあり」(ニケイヤ会議)といった曖昧な位置づけ(トリニティ構造)、映画の中でも奇跡に対する演出は案外地味である。イスラエルといえばやはりユダヤ教だがこの土地では元来一神教が発達しており、このユダヤ教から現在のキリスト教とイスラム教が派生してできている。したがって、一神教の流れを汲むと同時に、神のために犠牲となって死ぬという旧約聖書のイザヤと同様のラインを新約聖書では描いている。イエスキリストの偉大さは「われを迫害するものを愛せ」という救済の範囲をユダヤ民族だけではなく世界全体に拡大した点にあるだろう。この思想からするとキリスト教徒によるイスラムへの軍隊派遣などということはありえなくなるわけだが。ユダヤ教にあるような割礼などの儀式性をあまりもたないキリスト教はパウロによってギリシアやローマにも拡大する。そして宗教革命をへて現在の資本主義社会を構築するにもキリストは大いなる貢献をした。いわば現在の市場システムはキリスト教の影響ぬきには考えられない。現代でこの映画が最後の晩餐から十字架までをかなりしつこく描く理由は、「現代」と「イエス」の思想の彼岸を描くことにあったのだろう。映画としては面白さはいまひとつだが、新約聖書やイスラエルの知識がある程度ないと楽しむことすらできない映画かもしれない。
 関連としてイエスの横で磔になったバラバについてはリチャード・フライシャーの「バラバ」、またなぜかこの映画では重点が置かれなかったが「主よ、なぜわれを見捨てたもうた」というセリフにはかなり重要な意味があるが、これを拡大解釈した名作に「最後の誘惑」がある。
(イザヤ)
 旧約聖書にでてくる預言者。旧約聖書の第53章はイエス・キリストの登場を「予言」していたとされる。
 彼はいやしめられて、人に捨てられ
 悩みを知り悲しみの人だった
 人が顔をそむけるまで卑しめられ
 われらも彼を心にとめなかった
 げに彼はわれらの悩みをおい
 われらの悲哀を負ったのだ
 ‥
 彼こそわれらの不義のために傷つけられ
 われらの咎のために砕かれた

 当時のイスラエルには一般の人間には旧約聖書は口述されていたはずだ。だがイエスキリストの死にともない地震が起きるがそこでイスラエルの民が一様におびえるのは、このイザヤの予言を書籍かあるいは口述で知っていたためであろう。映画の中にもイザヤ、エレミヤといった人間の名前がでてくるがいずれも旧約聖書の預言者であり、逆にイエスキリストの受難は旧約聖書の予言をそのまま現実にしたことになる。「彼らは知らない」つまり旧約聖書の中でふれられていた存在が今目の前にあることを知らない。このイエスキリストの死によって人類は旧約聖書とは異なる新たな神との契約を締結したことになる。だからイエスの言行は「新約聖書」ということになる(ただし当然ながらユダヤ教は新約聖書は認めない)。
(エレミアの再来)
 キリストがピラトから尋問されるときに「エレミアの再来というが‥」とたずねるくだりがある。古代イスラエルが滅亡するときの預言者で、神から一方的に預言者に指定される。北から異民族の侵入を受けてイスラエルが滅亡するという予言をするが、紀元前587年にバビロニア王ネブカドネザルによって古代イスラエルが予言どおり滅亡させられる。このときエルサレムは落城していわゆるバビロン捕囚につながる。このあたりはエレミア書(旧約聖書)に詳しいがそれまでのイスラエルの絶対神信仰がこのエレミアの登場で神とイスラエルとの新たな契約関係に入りユダヤ教が始まったとされる。
(さらに基本中の基本ですけが)
 キリスト教の世界思想の基礎にバビロン捕囚があるのではないかという考え方もできるだろう。もともとユダヤ教ではユダヤ民族中心だったが、バビロン捕囚でユダ王国は新バビロニアに吸収される。この時期にメソポタミアやペルシアの影響を受けて世界宗教の下地ができたのかもしれない。さてキリスト誕生時の支配階級はサドカイ派、律法主義を重んじたのはパリサイ派。この映画では主にパリサイ派が全面にでている。論争をしたのもパリサイ派が相手で、最初に逮捕されたのは聖書にでてくるゲッセマネ。十字架の刑のやりかたは聖書のままだろうが、これは当時の奴隷などに用いた方式。聖書はとっぴょうしもないエピソードの反面、風習などについては結構詳しく著述してあるようにも思うし、それを映画化するのもまたすごい‥。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿