・3時過ぎ、秩父のSさん主催(?)の有志ゼミに参加&講演するために出動。後楽園、本郷三丁目と乗り継いで、赤門から理学部2号館に入る。かなりレトロな雰囲気の建物の中で、例によって迷いつつ、どうにか会場へと到着。3連休初日ということもあって、聴衆が集まってくれるのか心配だったのだが、15名くらいは来て頂いた。今回は理学部の皆さんも多く、初めてお会いする人が多い中での講演となった。
・頂いたコメントの中で重要なものは、一つは3年生まで低標高で育てる中で、実はセレクションがかかってしまうだろうというものである。そう考えると、過去の文献をもう一度詳細にチェックする必要があるだろう(が、知りたいことのデータがまとめられていて再解析とかは難しかったりするんだよねえ・・・)。一番の理想としては、標高別の種子をもう一度採取して、現地に直播して生残状況を詳細に調べるといいよね、というのが一つの結論である。
・トドマツ種子散布論文のベイズモデルでお世話になったKさんのお友達(?)でもあられる著名なTさんから頂いたコメントも重要である。低標高と高標高では確かに開花フェノロジーがずれるので、なかなか交流しないのは分かるが、すぐ隣の標高域とはフェノロジーもオーバーラップするはずで、それにもかかわらず、どうして遺伝的分化が起こるのかというものである。これについては、農学部のセミナーでも、H先生から同様の質問を頂いていたものだ。
・この件について、関連するのかどうか、まだよく分からないけれど、面白い話をTさんはしてくれた。例えば、とある樹種はある場所以上には北方向にはいかずに止まっている(ブナを思い出していただければ、イメージはできるだろう)。この樹種の北限の小さな集団の少し南には、この集団に比べればやや大きな集団があることになる。そうすると、北限集団で北の厳しい環境下に適応的な遺伝子が生まれても、南の集団からの遺伝子流動が大きいと、交雑によって引き戻されてしまい、何らかの条件が加わると、理論的にはある一定の場所で分布が止まることが予測できるらしい。
・ちょっと正確ではないかもしれないが、今回の標高別の適応は、こうした分布の端っこの問題と少し似ているような気がするということであった。種の分布の限界の問題は既にOIKOSの2005年1月号で特集が組まれるくらいに既存研究があるようなので、一度、じっくりと調べてみたいところだ。そのほか、高標高に植栽した個体のシュート特性とか、着花特性など、これから取り組まなければならない研究に関する色んなヒントを頂いた気がする。やっぱり、鋭い人たちに聞いてもらうと、それだけで勉強になる。時折、こうした刺激を受けないと・・・、日々に追われていてはいけませんなあ。
・頂いたコメントの中で重要なものは、一つは3年生まで低標高で育てる中で、実はセレクションがかかってしまうだろうというものである。そう考えると、過去の文献をもう一度詳細にチェックする必要があるだろう(が、知りたいことのデータがまとめられていて再解析とかは難しかったりするんだよねえ・・・)。一番の理想としては、標高別の種子をもう一度採取して、現地に直播して生残状況を詳細に調べるといいよね、というのが一つの結論である。
・トドマツ種子散布論文のベイズモデルでお世話になったKさんのお友達(?)でもあられる著名なTさんから頂いたコメントも重要である。低標高と高標高では確かに開花フェノロジーがずれるので、なかなか交流しないのは分かるが、すぐ隣の標高域とはフェノロジーもオーバーラップするはずで、それにもかかわらず、どうして遺伝的分化が起こるのかというものである。これについては、農学部のセミナーでも、H先生から同様の質問を頂いていたものだ。
・この件について、関連するのかどうか、まだよく分からないけれど、面白い話をTさんはしてくれた。例えば、とある樹種はある場所以上には北方向にはいかずに止まっている(ブナを思い出していただければ、イメージはできるだろう)。この樹種の北限の小さな集団の少し南には、この集団に比べればやや大きな集団があることになる。そうすると、北限集団で北の厳しい環境下に適応的な遺伝子が生まれても、南の集団からの遺伝子流動が大きいと、交雑によって引き戻されてしまい、何らかの条件が加わると、理論的にはある一定の場所で分布が止まることが予測できるらしい。
・ちょっと正確ではないかもしれないが、今回の標高別の適応は、こうした分布の端っこの問題と少し似ているような気がするということであった。種の分布の限界の問題は既にOIKOSの2005年1月号で特集が組まれるくらいに既存研究があるようなので、一度、じっくりと調べてみたいところだ。そのほか、高標高に植栽した個体のシュート特性とか、着花特性など、これから取り組まなければならない研究に関する色んなヒントを頂いた気がする。やっぱり、鋭い人たちに聞いてもらうと、それだけで勉強になる。時折、こうした刺激を受けないと・・・、日々に追われていてはいけませんなあ。