一生

人生観と死生観

まことの神と友・兄弟への愛

2010-12-09 19:04:49 | 哲学
12月9日 雨のち晴れ
 東京で動き回った後だからよく眠った方だ。不眠症などといっていたのは結局運動不足ということに帰着するのではないか。それが分かっただけでも今回の旅行は意義があったことになろう。人生思い込みではなく、動いてみて、すなわち身をもって体験することによって新しい局面を切り開いてゆくのだ。うじうじと愚痴をこぼすような思索はまったくいただけない。消極的になることは敗北である。積極的が人生を救うとは事実である。
 さてキリスト教でもっとも大切な命題は何かとイエスが問われたとき、神を愛すること、そして隣人を愛すること、の2点を答えられた。イエスは普通ではとても考えられないほどの天才で膨大な旧約聖書の中でもっとも大切なものを直観しておられたのであった。キリスト教の神は唯一神でどこまでも人間の真実を要求される。人は恐らくその要求にまともに答えることは不可能である。本来人間はずぼらでいい加減で、神を見上げるよりはもっと現実的なこの世のことに目がいってしまい、きょろきょろと落ち着きがない。だから神は人間に苦難を与えて訓練なさるのだ。この訓練はきついことが多く、その過程で人は自らの罪を自覚して苦しむことになる。そしてイエス・キリストの贖罪の愛に気がつくのだ。イエスを通して神をはじめて仰ぐことができるとは体験的事実である。そのような体験を通して信仰に至ったものは、神を仰ぐことの大切さと同時に、隣人を愛する愛に目覚めるのである。これは仏教的世界観・人生観と比べ、より積極的色彩を帯びるように思われる。この世のことにも対処する姿勢がはっきりしてくる。慈善事業やその他の救済事業などへキリスト者の関与が目立つのである。