一生

人生観と死生観

生きものーその行進

2010-12-23 16:11:01 | 哲学
12月23日 晴れ時に曇り
 天皇誕生日の12月23日、休日を楽しむ人は多いだろうが、何しろ年末のこととて心忙しい気分であろう。長男は孫を連れて山形県小国の基督教独立学園に日帰りでかけた。彼の母校であり、何かと故郷のように思っているらしい。ここはキリスト教の学校で全人教育をやってくれるところである。朝日新聞やその他テレビで紹介され、全国的に有名になったが、田舎の学校であるだけに受験に不利なことは間違いない。長男も中学校のはじめごろまでは宮城県でもトップクラスの成績であったが、この学校を志望して不利を覚悟で入学した。お蔭で大学入試には二度失敗して三度目に医学部に入ったのだが、悔いることのない高校生活であったようだ。アクセク受験勉強しない生活に憧れる人は若者には結構多いのではないかと思う。この高校は生活費も高くないし、何より先生と生徒たちの間、生徒同士の親密さは他に比類を見ないといってよいだろう。
 さて表題の生きものの行進だが、進化論の発生は18世紀にさかのぼり、有名なラマルクやエラズマス・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの祖父)らが論陣をはったのち、19世紀になってチャールズ・ダーウィンが近代的・合理主義的な進化論を唱えたのである。生物は生存競争によって進化するというのがその骨子である。ダーウィン自身はその説が英国国教会の教義に反していると非難されることを恐れて、容易に発表できなかったのだが、ほぼ同様な見解に達したウォーレスの未発表論文を見て、学者としての決断をしたのであった。彼はウォーレスに譲られた形で進化論を発表したのであった。ダーウィンは教会を離れ、不可知論者になり、聖書にある天地創造説は採らなかった。その後の烈しい論争を経て、進化論は科学の世界で一定の地歩を確立した。しかしダーウィンは生命の誕生のことまで言及はしなかった。現代の進化論はたとえばひところ唱えられた木村資生の幸運者生存(ダーウィンの適者生存に対して)のような理論も越えて進んでいるらしい。その詳細は素人の私がここで述べることは差し控える。ただ進化論は最終的には生命の誕生と密接に関連することは間違いなく、何故、何時、何処で、如何にという問いは大変な難問である。ただ素人でも「いのち」は
あまりにもよくできていること、進化はどんなに精緻な説明をしても謎を含んでいることは分かる。そこに超越神の介在を見ることは科学と矛盾するわけではない。科学はHow を記述し、宗教はWhy を直観に訴えるといっておこう。生きものの大行進は止まることを知らないのである。人類も滅びのときが来るかも知れず、決して驕ってはならない。

最新の画像もっと見る