一生

人生観と死生観

神秘・怪奇と啓示的との差

2010-12-21 19:49:29 | 哲学
12月21日 晴れ後曇り
 今日本屋で見た雑誌は『ムー』という神秘・怪奇を扱うもので月刊誌のようで読者層はかなり厚いとのことであった。UFOの記事、古代東北のこと、外国の怪奇物語などをのせている。このような雑誌を見ると、いわゆるオカルトのおどろおどろしさがあって、現代知識人には馬鹿にされるに違いない。科学的根拠もなしに飛躍した論理が、病理的感覚・感情と混じり合って人を恐怖に陥れるのである。
 しかし聖書の教える聖霊なるものはどうもこれとは性質を異にするようである。科学的に説明できるようなものではないが、ある超越的な、先在的な力で人間の内部感覚に訴える点で、普通の感覚とはまったく違う。第六感というような直感的なものと仮に言っておこう。しかし狂った感覚とはまったく違い、醒めた理性の人にも迫ってくるものであり、きわめて合理的でもある。これによって普通は考え付かない大局的なこと、はるか時を隔てた先のことまで見通しを与えることができる。啓示的であって天才の直観と似た要素があるようだ。その大本は神聖な世界から来る、すなわち聖書的には神から来るとするのである。神ーキリストー聖霊の三位一体とはこのような消息から解せられるもののようである。宗教の分からない人にはむずかしいだろうが、これは極めて重要な聖書の概念である。
 私の解釈は上のようなものである。しかしもっと深い理解もあるかもしれない。私は今の時点の考え方を述べたものである。聖霊よ、すべての人にまことの行くべき道を教えたまえ。