一生

人生観と死生観

重障児と音楽3

2009-01-22 11:06:46 | 哲学
1月22日 雨
 重障児であって知能に重いダメージを受けた子どもといっても、すべてがゼロ(場合によってはマイナス)というわけではない。思いもかけない能力がひそんでいて、その発現に接するとき、私たちは創造の神が人に与えられたもろもろの仕組みの奥の深さにただただ驚くのだ。Mは言葉を操る一切の機能を失ってしまったが、それはワクチン接種後の高熱ににより、脳が破壊されたためである。担当医師も経験したことがない病状に戸惑うほどのものであった。急性期の3週間足らずの間に脳内のあちこちが怪鳥につつき回されたかのような、哀れな犠牲者のMであったが、なにもかもゼロになったわけではなかった。
 妻はMが音に反応する事実に勇気付けられ、次の段階に進むことを考えた。それは童謡の世界であった。大正時代以来鈴木三重吉ら「赤い鳥」グループなどの活動により、日本には愛情に充ちた多くの童謡の名曲が作られた。そのテープ(のちにはCD)をMに聞かせるのである。
 言葉は理解できなくてもMは曲を味わうことができるようになった。調子のよい曲には手足をバタバタさせて喜ぶ。たとえば「お猿のかごや」
  えっさえっさ えさほい さっさ
  お猿のかごやだ ほいさっさ
   日暮れの山道 細い道
   小田原ちょうちんぶら下げて
  ・・・・
それは見事な反応であった。こうしてMの音楽教育の第一歩がはじまり、見守る家族はみなMのために祝福した。