一生

人生観と死生観

レッテル貼りの弊害

2009-02-24 11:16:51 | 哲学
2月24日 晴れ後曇り
 他人の性格、性向などを彼は何々主義者だとか、彼女はB型人間だとか、レッテルを貼なければ気がすまない人がいる。なるほど当たっていると思うこともあるが、多くの場合当人の存在の総体を見ないで一面的な見方に陥っているため、本人に迷惑なことがある。別の可能性も大いに考えなければならないのだ。
 思想の問題でいうと、戦時中あいつは赤いと言うことになれば刑務所行きも覚悟しなければならなかったし、今でも表立っていわないまでも、共産党というと暗い危ないイメージで見る人は多いのだ。レッテルが人間の思考の組立要素になってしまうと奇妙な結論がでることになることを警戒しなければならない。レッテルはどこまでもレッテルでしかない。テレビの討論などでこのことを心得ておかないとどうも納得のゆかない結末になりがちである。
 宗教の場合もこれに近い見方をされることがある。彼は創価学会だ、彼女はキリスト教だというレッテルは迷惑だろう。人間対人間の付き合いではまず人間であることが必要である。宗教人の顔を見せると警戒されることが多い。宗教人でもその宗教が人間的次元においてその人のいのちをを生かしている場合には問題もないであろうが。

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