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一生

人生観と死生観

小事争うべからず

2010-11-27 11:56:34 | 哲学
11月27日 晴れ
 がっかりしたのは国会の嵐。大した事でもないのに大臣を問責する野党の議員たち。もっとも現在の与党も野党時代には同じようなことをやっていた。
 日本人は細かいことにこだわる傾向が強い。大きなことを判断する脳の働きこそ人間の進歩の基本をなすものである。勿論細かいことはどうでもよいと云うことではない。大局判断の材料として、または大局を判断した後に、あるいは大局観のかたわらにあってこそ、細かい事実認識が生きてくるべきだ。このさい現代脳科学で検査すればどうなるか、きっとはっきりした違いがでてくることだろう。
 ついでにメモしておく。東海村の森山氏から私の著書『夕映えの杜に』読後感が寄せられた。この人はかって私の次男の予防接種事故のさいに関わりを持った人である。この人の長女も次男と同年であって、ほぼ同時刻に接種を受けてひどい副作用を経験したが、幸いにも回復した。今は女医さんになって働いている。人生いろいろなことが起こるが、その中に自分の使命を見出して進む、これが自分の行くべき道だと思ったらその上を進む、私自身はそのように行動できて、烈しい試練の中で幸せだったのかもしれない。

雪蛍の物語

2010-11-26 10:55:24 | 哲学
11月26日 曇り後晴れ
 静かな朝を迎える。老夫婦には騒音は似つかわしくないが、困ったことにわが家の奥様は耳が遠く、小さい声で話したのでは聞こえない。極力大きな声で話すことにしているが、その話し方がまた問題になる。私はどちらかといえば理系人間の常として目の前のことを形容なしにありのままとらえて話すーつまり率直話法を取る。文型人間だととらえた事象に対して修飾したり、説明的なことを抜かりなくやるだろうが、私はそうは行かないので家内に叱られる。曰く「いきなり唐突に話してくれても何のことか分からない、分かろうとして頭をめぐらすのに時間がかかる、貴方は不親切だというのである。」そうかなとも思うがそうは簡単に治らないのだ。
 さらに困ったことがある。家内は見かけは気が利いて、他人のことをよく気遣い、男っぽいと思われるほど気持ちを切り替え、現実的打開策をみつける人だ。ところが家の中で自分が何かしている時に私が部屋に入って話しかけるとびっくりして心臓が止まりそうになるという。同じ家に住む夫婦で泥棒じゃあるまいし、急に話しかけてもびっくりするイワレはないと私は思うのだが、家内にとって精神衛生上とても良くないと言う。こんなことで近頃家内の生活は大変デリケートな段階にはいったようにも思える。老夫婦は相手をなるべく刺激しない方がよい。永い眠りにつく日はいずれやってくる。どちらが先かは神のみぞ知る。
 こんなことがあった時、家内が雪蛍が庭に来ているので見に来ないかという。雪蛍とは南の方の人は多分知るまい。雪が降る季節の少し前、雪の前触れであるかのように、地上の草木の上を飛ぶ極く小さな虫である。注意してみないと見落とすほどの大きさで、タンポポの花の一部が風に飛んでただようほどの風情なのだ。白い体はよくみるとほとんど透明な本体と羽から成っている。本体の胴の中味はかすかに薄い紫の着色がある。なんだか聖霊がただよっているようだ。こんな雪蛍が今朝は何匹も庭を飛び交っている。家内はこの虫に特別な親しみをもっているようだ。最近出した句集にも『雪蛍』というタイトルをつけた。その生涯を介護した次男のことが染み付いた句集なのだ。雪蛍は小さいかすかな次男の呼びかけであるかのように彼女は受け取っている。
 雪蛍、雪蛍、お前の到来はわが家にとって何の徴なのだろう。仰ぎ見るみくにが近いかもしれないが、私たちは生きる、ひと時ひと時を大切に。

アイデアは書きとめなさい

2010-11-22 09:49:11 | 哲学
11月22日 晴れ後?
 いい夫婦の日とは情けないほど単純な語呂合わせの日だ。作家など創造的な仕事をしなければならない人たちにはアイデアの到来は時に千載一遇のチャンスだ。これを逃したらすべてがパーだということもあり得る。だからひらめきや、思いつきなどを大事にしたい。そうはいっても頭の中からその貴重なものが飛び去るのは早く、止めようがない。だからアイデアはすぐ書きとめられるように手軽なメモ帳を用意しておくと良い。というようなことを考えているうちに、私はひとつのアイデアを思いつきそしてそれが飛び立ったのを感じた。あっという間だったのでそれがなんだったか覚えていないのだ。残念。
 さて昨日のブログ『公と私』について一言。柳田法相の辞任は確定的とテレビでいっている。こんな他愛もないことで辞任するのは哀れだが、本来こんなことは大臣の予備教育のうちで注意しておくべきであったのだ。恐らく大臣になったとき彼は補佐する誰かに進言されたのだ。もしも国会で質問に会い、答えに窮したときどうするかという場合、二つの返答を覚えておけばよい。ひとつは法に従って粛々とやります。もうひとつは個別の事案には答えられませんと。このようなことを教えたのは多分先輩か国会に悪擦れしたやからであったに違いない。。前法相の誰か、元法相の誰かか、または官僚トップに近いゴマすりやか。これは柳田氏のような無責任な答弁をする人の言葉の真の犯人探しになる。マスコミも時にはこんなことも話題にしたらどうだろうか。

生命の起源

2010-11-20 22:01:32 | 哲学
11月20日 晴れ後薄曇
 「生命の起原」とはむずかしいことを取り上げたものである。仮設の上に仮説を積み上げるような困難が伴う作業だ。しかしいまそれについての研究はかなり進んでいるらしい。私の机の上にはサイモン・コンウェイ=モリスの『進化の運命』(遠藤一佳・更科功訳、講談社2009)が載っている。これは従来の諸説に対して懐疑的に取り上げ、一見何を言いたいのか訳が分からないように見えながら、結局わが地球の生命の神秘を科学的に眺めているのだ。著者は神の存在とその高次の意味の介入を否定していない。この意味で科学は宗教と両立しうると考えているのだ。私は彼のような専門家はないが早くからそのことに賛成する立場であった。私が書いたエッセイの中にもそのことに触れたことがある。生命ほど創造のみ業を反映するものはない。物質をたくみに用い、物質の法則に乗りながら、目的論的にうまく進化の道筋を作っているのは驚異というほかない。科学者は唯物論者や不可知論者ばかりではないことを知るべきである。今著者は英国ケンブリッジ大学の教授で、進化古生物学の輝ける星。味方を得た思いでこのブログを記す。

睡眠について

2010-11-19 08:40:13 | 哲学
11月19日 晴れ
 睡眠については睡眠障害になったときはじめて分かることがある。快眠をむさぼっている人には分からないことだ。
 先ず本来眠りは神の賜物で、どんな人にも平等に与えられる甘美な果実だということ。それが損なわれるとそこには地獄が展開される。
 眠りに入るその入り口は一種の鬼の門番がいるのだということ、この鬼に拒否されるとどんなに頑張っても門をくぐる事は出来ない。頑張れば頑張るほど辛さは増すばかりだ。ちっとやさっとの浅知恵で通り抜けられるようなものでない。
 それでは開き直ってねむらないことにするか?とんでもない。自然の摂理に背けば恐ろしい罰が待っている。一日中うつらうつらで気分の悪いこと。
 この門を別に表現する?一種の窪みだ。窪みの中に穴がある。その穴にうまく嵌れば快眠だが、簡単に成功しないのだ。ゴルフの名手でもスランプということはある。石川遼の天才をもってしてさえそうだ。窪みに入ったボールは行きつ戻りつ、窪みのあちこちを行き来して空しく停止する。ああまた駄目かと思えば思うほどやってもやっても失敗するのだ。
 眠りの浅い深いは夢を見るか見ないかによって表わす、いわゆるレム睡眠、ノンレム睡眠に示されるのが普通だ。しかし私は言う。眠りはもっと複雑だ。快眠度、不快眠度などの指標がいるのだ。
 人類は社会生活の複雑化により天与の賜物を活用できなくなった。快眠に感謝をしない。情けないことだ。
 
 ここで昨日のブログに訂正。男性ホルモンはテストステロン、女性ホルモンはエストロゲンである。こんなことにもいい加減な言葉遣いをするべきではない。

ためしてガッテン最新無気力症状

2010-11-18 15:16:33 | 哲学
11月18日 晴れ時に曇り
 昨夜のNHKの番組「ためしてガッテン」で最近のLOHという無気力症状―不眠症を含む―を知らされた。インターネットで検索してもあまり詳しいことは出ていない。ひとつは加齢男性性機能低下症候群:LOH症候群として説明してあり、泌尿器科学会での講演要旨だ。もうひとつあるが、これは染色体のヘテロ結合性の損失(loss of heterozygosity)である。染色体上の遺伝子が片方は正常、片方は異状という場合に、細胞が特定の遺伝子でヘテロ結合性を示すというのだそうだ。その細胞に放射線をあてて両方とも異状にすると、ヘテロでなくなる。両方とも駄目になると機能に重大な支障が現われることになろう。
 上に述べたように、LOHと言っても2種あるが、NHKの取り上げたのは前者の最新版らしい。これは男性ホルモンのエストロゲンの分泌不足により起こるという。いわば男性更年期症状というようなものか。ひどく無気力になるというのも目立った症状だ。お腹のデブになることもある。しかし驚いたことに(1)日本中で患者が600万人もいる、(2)なかなか的確に診断されていない、たとえば鬱病と間違えられる、(3)男性のみならず女性にも起こる、女性にもエストロゲンはでているから、(4)注射で治せる。
 私の不眠はこれではなさそうだが、いろいろな原因が重なって起こっているかもしれない。相当無茶な生活になっているということも自覚はしている。医者に見てもらうことが必要かもしれない。たかがホルモン不足くらいでと侮ってはならないそうだ。

中高年にパソコンの普及を

2010-11-17 16:29:11 | 哲学
11月17日 雨
 いわきの気温は昨日よりはやや高いが雨なので夕暮が早い。秋は進んでいる。
 さてパソコンが普及しているが、中高年の年齢層ではこれを苦手とする人たちが多い。私も1年間パソコン教室に通ったが、決して得意にはなれない。機能があり過ぎ、すべてを使いこなせないのである。ブログを投稿するのはもう3年ほどになるが、他の人とのコミュニケーションはなかなか円滑に行かない。私はブログを著作の下書きくらいに考えており、いつか出版のときに役立てばよいくらいに思っている。従って間違いもあるだろうし、練れていないまま人様の目の前にさらすことになっている可能性が高い。大体訪問者が少ないので勝手なことを綴っても反応はほとんどない。それについて同世代のパソコン利用者人口の少なさが大いに関係していると思う。共感を得るような年齢層をターゲットにして意見を述べたいが、それが適いにくいわけである。中高年にパソコンを普及させるためには、パソコンの器械の値段を下げることも必要だが、身近なアドバイザーの存在がもっとも重要である。若者と付き合いのある人ほど早く上達するのだ。こういう環境を各自が作るように努めたいが、町内会あたりでも便宜を計ってくれればなお良いだろう。

欲望の限界

2010-11-08 16:41:25 | 哲学
11月8日 晴れ後薄曇
 人は欲に駆られて限りなくそれを膨らませ、ついにパンクするに至る。愚かなことだが至るところにそれはある。孔子のように老齢になって「己の欲するところに従いて則を越えず」というのは人間修養すれば向上するという思想だが、凡人が真似すると欲望を制限することに疲れ果てる。
 いずれにしても人間には限界があるからーそれは個人の体力の限界だったり、組織や制度の限界だったりするーあまり高望みは失敗する。老齢者の場合計画は控え目に、欲望ーそれが欲というより大望という性質のものであってもーは抑え目にというのが賢明だ。自戒の言葉としておこう。

根無し草にはならない

2010-11-07 17:25:12 | 哲学
11月7日 晴れ
 人生漂流。思いがけない事件が起こり、私が通った道はあちこち飛躍がある。間もなくやってくる二男の予防接種禍事件の記念日だが、私の人生はひどく変えられた。本来の専門のほかにワクチンのことに首を突っ込み、しかも裁判にまで関わったものだから快く思わなかった人もいたに違いない。しかし私はこのことでむしろ私の人生が豊かになり、それは私の関わるあらゆることに新しい視点を与え、成功に導いたとさえ思っている。つまり普通なら煩わしいとか、他の人から干渉されそうだからやめておこうだとか、そんな消極性を打ち消し、果敢に新しい領域に足を運ぶことをいとわなくなったといえる。ドイツ・フランスへの旅がそうであった。助教授として移った大学で新しい仕事に行き詰まり、学生にも教授にも無用の長物扱いにされそうになった時、自己研修の機会を作らねばならないので、教授の反対を押し切って、首を覚悟で思い切って決断した。その時は二男の事故調査を併走させることが使命だと思った。ドイツに渡り、ホストの教授の家にはじめて招かれたとき、彼からこの家の裏手に種痘の犠牲者がいるから紹介してやると聞いてあまりの幸運に驚喜した。この世はこの世の論理だけで説明しきれない何かがあるとさえ実感したのであった。こうして調査が進んでいる間に本務である研究も驚くほど順調に進んだ。私は根無し草にはならないと決心したが、その通りになった。ありがたい幸運に感謝する。私自身には高慢になるほどの才能はほとんどないが、上なる神の導きは取るに足らない私を奮い立たせたのである。

台風は去り晴天来る

2010-11-02 08:49:55 | 哲学
11月2日 晴れ
 変な台風だったがもうすぎた。これから11月初旬の穏やかな天気を迎え、いろいろな行事が方々である。菊祭りがおこなわれるところもあるだろう。日本は晩秋の菊。欧米で菊は弔問の花。それを知らずに初めての訪問に菊を持っていった愚か者がいた。それは私だった。咎めずに受け取ってくれたあの美しい婦人はもう天国だ。ドイツのハイデルベルクの郊外だった。それから40年に近い。思い出は蘇えって私は感謝で一杯になる。
 日本の経済はよくない。日本の外交も何ということか。ロシア大統領に国後、択捉を訪問されてしまったが文句を言っても、後手、後手の印象だ。大体面倒なことは先送りの日本の政治家が無能なのだ。鈴木宗男が一生懸命やったことをまったく生かせていない。これから打つ手なし。無策、無策で干上がってしまわないよう注意。